「焼かないドリア、名付けて〈イオニアごはん〉」by id:momokuri3


まだ小学生だったころ。「今夜はドリアよ」という母の言葉に、わくわくして夕食を待っていました。ところがキッチンから聞こえてきたのは、「あちゃー、チーズ切らしてたの忘れてた」という声。今から買いに行くの大変だから今夜は別のものでいい?という母に、夕食を心待ちにしていた私は、猛然と駄々をこね始めました。


「やだやだやだやだ、ドリアでなきゃやだ」
「でもチーズがないと焼けないのよ」
「じゃ焼かなくていい」
「ええー?ライスの上にホワイトソース掛けるだけになっちゃうよ」
「それでもいい」


そんなの美味しいかなぁと渋る母に、さらに駄々こね攻撃。ついに母は根負けして、焼かない中途半端なドリア作りを始めてくれたのでした。ごはんはチキンライスです。
「これ卵で巻いたら美味しいオムライスになるんだけどなぁ」
「やだ、ドリア!」
もう私も引っ込みが付かなくなっていました。母のオムライスはそれは美味しく、ファミレスで食べるよりイエの方がずっといいと思えるくらいの出来映えです。そのオムライスを蹴ってまでチーズなしドリアにこだわってしまったことを後悔しましたが、もう仕方がありません。


父が帰ってくると、母はバツが悪そうに苦笑しながら、ことの成り行きを説明していました。父も苦笑しながら、じゃあ俺も同じ物頼むよと言って椅子に座りました。二人とも、ごめんなさい、私が変な意地を張ったばかりに。でも男の子、いったん口に出したら引っ込められない時もあるんです。って、そんなプライドを賭けるような話じゃありませんが…。


しばらくして出てきたのは、みごとにチキンライスの上にソースが乗っているだけのしろものでした。母も同じメニューです。中途半端な作りかけドリアを前に、みんな揃って「いただきまーす」。


でも一口食べて、父が「うまい!」と言いました。どれどれ、私も一口。お、ホワイトソースがスパイシーで大人の味です。そこに子供も大好きなチキンライスの風味が混ざり合って、これは今までにない美味しさではありませんか。ドリアとは違う、新しいメニューの誕生です。


さっそく父がこの新メニューに名前を付けました。
「これを『イオニアごはん』と名付けよう!」
何それと聞くと、音楽用語でドリアといったら昔のヨーロッパで用いられていた旋法の名前の一つなんだとのこと。グレゴリオ聖歌などの独特なメロディの一部がこれにあたるのだそうです。
「そうした旧世代の旋法に新たに加わっていったのがエオリアやイオニアと呼ばれる新時代の旋法だったんだ」
そもそも旋法の意味がよくわかりませんが、音楽好きの父らしい発想です。
「そのイオニア旋法っていうのが、現代の長調、メジャースケールの元になっていったんだよ」


ようするに、ドリアの後に続く新しいものがエオリアやイオニア。この料理は食べると明るいメジャースケールのように人を笑顔にさせるから、イオニアの名を与えようと。そういうことのようでした。ほとんどわけわかりませんが、とにかくこの呼び名とともに、焼かないドリアはわが家に定着していきました。


その後、わが家のイオニアごはんには、様々なバリエーションも生まれていきました。ライスをチリソースで辛口にして、まろやかな味に仕上げたホワイトソースをかけるバージョン。ライスを香草でさわやかに仕上げて、そのさわやかさを損なわない粘度のゆるいソースをかけて食べるバージョン。他にも色々あります。ソースが主役級に躍り出ることで様々な工夫が可能になったこの「イオニアごはん」はもう、わが家の定番料理の一つ。今でも時々「あんたが駄々こねたお陰で生まれたのよねぇ、これ」なんて言われますが、そんな思い出も含めて、これがわが家の幸せの中心にある料理のひとつです。


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