「私的開運印鑑論」by id:TomCat


果たして印鑑で運が開けるのか、もしそうならどういう印鑑がいいのか、ちょっと考えてみたいと思います。その前に、印鑑の歴史をざっと眺めていくことにしましょう。


印鑑の発祥はおそらく、人類最古の文字体系を生んだと言われるメソポタミア文明に遡ります。重要物品を入れた容器などに粘土で封をして(これを封泥といいます)そこに印を押す。文字通りの封印の証としての印鑑です。粘土の封など物理的にはすぐ破壊出来ますが、そこに印が押されることで、不正開封を防ぐ大きな抑止力が生まれます。当時それは、あたかも結界魔法のような神秘的な力に思われていたかもしれません。


こうした押印者の権威や権利を示す印鑑は遠く中国に伝えられ、海を渡って日本にももたらされました。大宝律令(701年)にも印鑑に関する規定が盛り込まれていますが、当時の印鑑は朝廷の権威を示すもので、一定以上の官職にある者が官印として押捺する物に限られ、個人が自分を示す印鑑を持つことは許されていませんでした。


しかし平安も半ばにくると、密かに自分の印を作って用いる貴族が現れはじめます。さらに時代を経て室町時代になると北山文化・東山文化といった文化が栄え、その中で個人が印を持つことが流行の兆しを見せはじめました。書に秀でた人達が、その作品に押したりしたんですね。その流れは江戸時代へと続いていきました。


このあたりにきて、正しい篆刻とはどういうものか、という考察が始まります。中国で明朝が亡ぶと、新たに成立した清朝の弾圧から逃れるために、黄檗宗の禅僧達が日本に亡命してきました。この人達によって、中国の伝統的な篆刻が日本にもたらされたのです。


特に1653年に渡来した独立(人名)は中国でも有名な書家であり、日本黄檗宗の祖である隠元に連れられて江戸にまで赴き、そこで書法と共に明代より伝わる正統的な篆刻を広く啓蒙しました。独立はその後、日本篆刻の祖と呼ばれるようになります。1677年に来日した心越という渡来僧も徳川光圀に仕え、多くの人々に篆刻を教えています。


その後、こうして日本の中に花開いた篆刻文化は次第に装飾過多で卑俗なものに陥っていきますが、そこでまた篆刻のあり方を見直そう、秦漢の正しい篆法に則った篆刻に立ち戻ろうという運動が起こりました。こうした流れの中から何人もの優れた篆刻の大家達が生まれ、その後の篆刻と印鑑の文化に大きな影響を与えていくことになります。


さて、ずいぶん前置きが長くなりましたが、本来の「印相」というものは、こうした中国の伝統的篆法と、日本独特の美意識によって確立されてきたものだと思うんですね。日本において印相の吉凶について述べられている最も古い文献は、享保17年に大聖密院盛典という人が著したとされる「印判秘訣集」という書物だと言われていますが、この時代の文化の流れからすると、印相は吉凶よりも、彫る人・持つ人の品格を左右するものとの考えが主流であったと思われます。


また、日本では印鑑が広がっていく過程で、渡来した禅僧が大きな影響を及ぼしていますが、禅というものは物事をこうであると決めつけて教えることをせず、自らの悟りの中で真理を掴んでいく宗教です。ですからここでも、印相の吉凶はこう判断するといったマニュアル的な教えとは相容れないように思われるのです。仮に凶相の印があるとしても、凶相すなわち悪運をもたらすものとは限らず、悪運すなわち不幸とも限らず、そもそも運不運を受ける人間そのものが縁あって結ばれた地球の物質の一部から出来ており、その存在の本質は常住不滅である。よって一時の吉凶は幻に過ぎず・・・・と考えた方が、これも多分にマニュアル的な解釈ではありますが、禅の考えに近くなるように思われます。


などなど考えていくと、吉祥印、開運印とは、こうありたいという人生の目標がよく現れたポリシー有る印、という結論に落ち着いてきます。ハンコによって運不運が生まれるのではない。人生の目標を印鑑に現す。その意欲が人生の道を開く。それが人生を充実させる。これが本当の意味での運が開けるということ。私はそう考えるのです。


そこで私はハタチになって実印を作る時に、素材にこだわりました。私は、生きとし生ける全ての動物たちと共に歩む人生を送りたい、という希望を持っていました。したがって動物の死体から採取する素材はやめにしよう。すると選択肢は鉱物か金属か木質素材。ツゲ、特に薩摩柘植は二百年にわたる計画的な植林によって生産されているもので、しかも植林地は民家の庭先や畑の隣り、人の住む地域に隣接した土地などであって、伐採によって自然林に影響を及ぼす恐れが少ない。ツゲにしよう、薩摩柘植。こんな考え方で素材を決めていきました。


ただし、ツゲはニスなどの塗装を施すと、せっかくの緻密で堅牢な素材の良さが経年変化によって損なわれていく欠点があります。金属や鉱物と違って「生きている素材」だからなんですよね。朱肉に含まれる油分も同様です。無垢の木肌が覆われてしまうと、せっかくのツゲの良さがダメになってしまうんです。したがって、塗装はかけません。押印したあともすぐに朱肉を良く拭き取って、簡単なお手入れをすることが大切です。でも、こういう手間がまた私向き。生涯連れ添っていく印鑑としてピッタリです。こうしてハタチの私の手元に、高芙蓉によって起こされた古体派の篆法によって彫られた、シンプルながら気品有る書体の薩摩柘植の印鑑がやってきました。これが私の生涯にわたるポリシーを具現化した印鑑。すなわち私にとっての最高の吉祥印・開運印です。この印鑑を作ったハタチの私と、今の私は、真っ直ぐ同じ方向を見つめて歩んでいます。それが私にとっての最高のFORTUNEだと思えることが幸せです。


»このいわしのツリーはコチラから