「当たり前への感謝を〈新嘗祭〉で〜〈ワケあり〉、土作り、現代の農業〜」
by id:fwap



新嘗祭というと、五穀豊穣を祝う古来から行われてきた儀式・儀礼が頭にすぐ浮かぶことだと思われます。
先月、毎年のことですが稲刈りを天皇陛下がされました。収穫を感謝し、自然天候など天下泰平であることを祝うことも秋の夕暮れに思いを馳せてしまうのです。
毎年行われている儀式、そして神道の儀式として全国各地の神社で行われている新嘗祭は身近で行われていないか考えてみました。
すると、私の夫のイエでは軽い新嘗祭を行っていたのです。本来の新嘗祭は今月の23日ですが、私たちは出荷した日に行います。だいたい、第3週の水曜日(すなわち今日)です。
所用で私はイエで一人で留守番ですが、先週末から親戚の果実園の出荷の手伝いに行きました。
働いていたときには、週末しか手伝いに行けなかったので肩身の狭い思いをしていたと思いますが、仕事もやめて孫もよく遊びにやってくる、慎ましい中でも快適な生活です。
何度か私も手伝いをしたのですが米の収穫とは異なり、果実は外見が本当に重要です。ですから、もぐのにも一挙手一投足息を飲むくらいの神経を使います。
果実は皮がほんの少しむけてしまっただけで8割程度の価格になってしまいます。場合によっては自分のイエで食べる、あるいはご近所さんに説明して引き取ってもらいます。



夫のイエでの新嘗祭は、そのワケありものの果実や野菜を使います。傷んでしまったり、上述の皮がむけてしまったものだったり、出荷できないものをお祝い・神様への報告にお供えします。
一見、非常識かもしれませんが、これには深いわけがあるそうです。
まず、

  • いのちあるもの全てが完全であるものではない

これは、完全な人がこの世に存在しないのと同様に、自分の不足している部分を戒めるため。
また、完全でないものであっても同じ果実であり野菜も与えられたいのちであり、恵みものであることに感謝する。
私たちの現代の食生活では、満腹が当たり前。お米や動物性タンパク質のありがたさを感じないまま、暴飲暴食で生活習慣病が問題となっております。
その「ワケあり」収穫物を恵みものとして使うことで、生活習慣を見直すいいきっかけにもなるのではないか、と近所の医大の先生が仰ってました。
また、

  • 食べきれない「ワケあり」収穫物で土をつくる

これは、果実や野菜を自分たちで食べる以上に収穫することで、流通させ、そこで金銭を得る。現代消費社会を反映させるために必要なことです。
金銭を得ることができなければ、農家も生活はできない。生活するために収穫に感謝し、作物を今後の土作りに活かす。理由は、極めて単純なので参考になると思われます。
私たちが幼い頃は身の回りが田畑だらけで、作物が取れすぎてしまうと「豊作貧乏」という言葉をよく耳にしました。
農家の方がするのは、収穫物である野菜を小さく刻み、土に埋めて、そのまま土をつくっていたのです。
作物がよく獲れるために、作物を土にするとよいという体験から得た知識がそのまま使われていることに驚きました。


◆ 
農業に関する後継者問題や収入の問題、さらには諸外国とのFTAを巡る貿易自由化などの問題があります。
しかし、自給率、さらには私たち身近な食べ物、さらには食べ物を支える人への感謝の気持ちも当然、日常からあってしかるべきです。
私たちが当たり前のように生活できるのも食べることが出来、水を飲むことができるからだと感じませんか?
その「当たり前」に、日常では軽視しがちなことを神様を通じて感謝の気持ちを捧げたいと思います。


»このいわしのツリーはコチラから