リブ・ラブ・サプリ〜FORTUNE

「部屋にも真心、《室礼(しつらい)》の心」by id:TomCat


室礼とは、様々な節目に合わせた書・花・様々な物などを飾っていく暮らしの楽しみを指します。id:gallerybaabaさんの「今月のインテリア」などは、まさに室礼の代表格ですね。
http://d.hatena.ne.jp/gallerybaaba/


またこちらのいわしで「礼」の語源を教えてもらいました。
http://q.hatena.ne.jp/1245819281/222639/#i222639


要約すれば、礼の旧字体である「禮」は、祭祀に使う机をかたどった「示」に、形よく供え物をが並べられた様子を表す「豊」が合体した文字、ということなんですね。つまり、神様への真心のこもった供え物、それが「礼」という字の本義、ということです。


ですから、室礼の意義も、まずは部屋への捧げ物と考えられますね。暮らしの基本である家や部屋にどうやって感謝を捧げようか、どうやって家さん部屋さんに喜んでもらおうかという真心で飾っていく季節などの風物。それが室礼の心のスタートになると思うんです。


続いて、人に対する真心ですね。こんな風に飾ったら暮らしに潤いが生まれるかな、疲れが癒され心が和む家作りの一助になるかなといった、共に暮らす家族に対する思いやり。


同時に、小笠原流礼法では、

飾りはその御客の心を請けて飾り申すものに候


と教えますが、そういうお迎えするお客様の心に合わせて準備をしていく室礼の心というのもありますね。ただ趣味的に飾るだけでなく、見る人の心にどう映るだろうかということを意識しながら造形していくこと。これはアートの基本でもあります。


ちょっと蛇足になりますが、芸術とは、絵や彫刻といった物質に存在するのではない。そうした作品によって刺激を受けた人々の心の中に形成される物がアートなのだ、という考え方があります。


室礼もそれと同じですよね。暑い中を足を運んでくれた人には少しでも涼しげな風情を。寒い中をやってきてくれた人には出来るだけ暖かな温もりを。多忙な中をやってきてくれた人にはひとときの安らぎを。そういう思い、真心が伝わってこその室礼、ということです。


最後に忘れてならない真心が、自然に対する思いです。たとえば、先日の“リブ・ラブ・サプリ〜SEASON” #039でid:Lady_Cinnamonさんが写真付きで紹介してくれた「十五夜と十三夜:芋名月と栗名月」の、エノコログサとイガ栗を使った“玄関の秋用風景”。ここには野の雑草と呼ばれるような草や、庭に転がり落ちた栗の実などに対する親しみと愛情が溢れていますよね。
http://q.hatena.ne.jp/1251867108/231363/#i231363


そもそも日本の暮らしは、季節とそれをもたらす自然と共に日々を重ねていくところに基本がありました。


季節のもたらす恵みを収穫していくことが産業。季節の歳時記と共に日々を送っていくことが暮らし。毎年毎年同じことの繰り返しなのに、毎年が楽しみで、毎年が素晴らしい。単調な繰り返しのはずなのに、毎日食べても一生飽きないお米のご飯のような季節の楽しみが巡ってくる。これが日本の暮らしだったと思うんです。


今は、トレンドという名の使い捨ての流行を追いかけながら、日々変化のある新鮮さを求めていくのがお洒落な暮らし方なのかもしれませんが、それだけでは人間、疲れてしまいますよね。


たとえば、ああ、今年も重陽節句が迎えられた。去年の今ごろはけっこうヘビーだったなあ。今年はちょっと落ち着いてるよ。どれ、三宝を出して今日の日に相応しい飾りつけをしてみるか。俺だって伝統の菊の節句の飾り方くらい知ってるぜ。三宝に里芋、栗、柿を飾り、熨斗の付いた花包みの菊の花束を中央に立てるんだ。これぞ小笠原流礼法の重陽節供飾りだぜ。


こんなことがスルンと出来てしまう知性。これも現代人のかっこよさの一つなんだと思うんですよね。こうした中から、四季の恵みの有り難さ、自然の尊さ、美しさといったものを肌身で感じていく。そしてそれへの畏敬の念や感謝や親しみの心を表していくしつらいの工夫が進んで行く。これが現代生活を豊かにしていく素養だと思うんです。


そういう室礼の心。私は実は華道のお免状を持っていたりしますが、生け花とはなんぞやと問われたら、こういうことを答えにしたいと思いますし、それがお家元から教わった極意なんだと信じている所です。


自然に真心。部屋に真心。人に真心。天地人三位に真心を込めた室礼で、暮らしを豊かに彩ってみませんか。これがイエはてなの目指す暮らしのFORTUNEではないかと、私はそんなふうに思います。