いわしの回答(転記)
学祭シーズンですね 学生さんはお祭りへのカウントダウンでソワソワしてる時期ですね!! 最近はミスコンもネットを駆使して行われていると知り(候補がブログを書いたりするそうです)、何て時代なんだと驚愕しています
で、何を隠そう私、大学時代に学祭の実行委員会に入ってました 夏休みから本格的に準備を開始し、11月頭の当日まで走り回ってましたよ 仲間や参加団体とぶつかったり予定通りに運ばなかったり当日暴風雨でぐちゃぐちゃになったり、まあ色々辛いことがありましたが、いいこと・楽しいことの方が何倍もたくさんあって日々充実していました 夢中になって打ち込めることがあるっていいなとあらためて思います 青春でしたね☆
いよいよ学園祭の時期ですね。私も大学時代は、友だちのバンドが演奏していたので、応援に行きました。
私にとって学園祭には特別な思い入れがあります。小学生の頃に親と一緒にたまたま通りかかったら学園祭をやっていて、くじを引いて田楽を食べた思い出があるのですが、その後その大学に入学したのです。当時は大学のことは全然分からないし、お兄さんお姉さんを前にくじを恥ずかしがりながら引いたものでした。今思えば不思議な縁でつながっていたような気がします。
私の住む愛知県では、毎年「稲沢市の国府宮神社」で「国府宮はだか祭」が行われます。
毎年旧暦正月13日ですから、今年は2009年2月7日(土)に行われましたね。
この祭りは、約1240年前からと伝統が長く、「厄除け祈願」として有名です。
「厄払い」ですから、数え年で42歳と25歳の厄年の男性が中心です。前厄・後厄の人もいるでしょうね。
「はだか祭」の名前の通り、「サラシのふんどし、白足袋」だけです。
しかも夏ならともかく、2月の初頭の一番寒い時・・・
見てるだけで、こちらが寒いです。
「数千の裸男たち」が目指すのは、選ばれた「素っ裸の神男(しんおとこ)」に触れて
厄を落とすことです。
当然、「数千の裸男たち」は、押し合い、もみ合いの凄い光景・・・
冷たい真水を掛けるのですが、すぐに「白い湯気」として蒸発・・・
実は、私の母の実家が稲沢市のすぐ近くですので、親戚の叔父たちは当然参加しています。
従兄弟も2人参加しました。
母も叔父たちも、私に「参加しろ、参加しろ!」とうるさいでした。
何度も「厄払いしないと酷い目に遭うぞ!」と言ってきました。
でもイヤです・・・、恥ずかしいし、寒いし、第一あんな所に投げ出されたら押しつぶされて
大ケガです。
「厄除け」どころではありません。見てるだけで結構です。
あと、この「はだか祭」には「大鏡餅」の奉納が欠かせません。
大きさは50俵(約4トン)です。
奉納の役目は尾張区域で順番に行います。私の住む市も数年前に奉納しました。
皆さんも厄年が心配な方は是非参加して下さい!
特に男性の42歳、女性の33歳は「大厄」で危ないですから!
そう言えば「女人禁制(にょにんきんせい)」の祭りも多いですね。
逆に男性禁制も・・・
しかし、もう今は男女平等ですから、来年の旧暦正月13日に参加をどうぞ!
一度だけ見に行ったことがありますが、やはり有名なだけあって、その規模は目を見張るものがありました。
数多くの雪像、氷像が並んでいるのですが、どうやって作っているのか全く想像が出来ないビル並みの大きさのものもあれば、
ほどよい大きさで、時事を反映したような人物やキャラクターなどを描いた像、様々楽しめるものがありました。
冬の北海道ですから、非常に寒い中で行われているのですが、夜にはライトアップもしているので、こちらも見逃せません。
特に巨大なものには、凝ったライトアップの演出もあるので、昼と夜にそれぞれ見なければ、勿体ない気がします。
テレビ塔からは、一直線に伸びる公園内を見渡すことができ、日暮れ前に登ると、ライトアップまで刻々と移りゆくとても綺麗な景色を見ることが出来ます。
有名なお祭りですが、一度はぜひ生で見て欲しいとお勧めできるお祭りですね。
常に観光客で溢れる京都の町ですが、お祭りの時の雰囲気は、また別格なものがありますね。
山鉾自体の美しさ、その大きさに圧倒されますが、見所はやはり辻回しでしょう。
御神輿どころではない、凄まじい大きさなわけですが、構造上は直進しかできません。
ですが、それを交差点で方向転換させ、街中を練り歩きます。その方向転換のさせ方が面白い。
車輪の下に多数の青竹を敷き、その上に水をまき、かけ声と共に一気に綱を引き、滑らせるように方向を変える……
という粗っぽくも見えることを何度か繰り返して、ようやく角を曲がるのです。
その一連の行程、凄まじい音とともに巨大な山鉾が動く姿は、圧巻の一言でした。
東急世田谷線、いわゆる玉電の宮の坂駅近くに、世田谷八幡宮という神社があります。もちろん駅名の宮の坂は、この八幡宮の脇の坂のこと。相撲が盛んな神社で、昔は奉納相撲の勝敗によって翌年の農業の作柄を占ったりもしていたそうです。今も境内には土俵や力石があって、秋の例祭にはすぐ近くにキャンパスがある東京農大の相撲部による奉納相撲が恒例です。
その他は特に珍しい所は何もない普通のお祭りですが、でも駅の周辺からもうお祭り気分が一杯。屋台もたくさん並びます。やはり食べ物の屋台が多いですね。子供たちはスパゲッティを揚げた物とかソース煎餅などの軽い物を何種類も食べるのが好きみたいですが、私はガッツリ食べごたえのあるものがほしくなります。最近流行りの爆弾焼きの屋台も出ていました。
さて、ここには神楽殿という舞台があります。この時はお神楽ではなく楽しい演芸が行われていました。それも、お祭りにありがちな地元のお父さん達のカラオケとかではなく、本格的な芸人さんたちの舞台なんです。それだけはここのお祭りのすごいところ。本格的です。
まず白塗り顔のピエロが登場。ジャグリングもするし、皿回しも本格的。そしてメインはバルーンアート。出来たバルーンアートは子どもたちに配られます。ちょうだいちょうだいと子供たちが群がって大人気でした。
紙切り漫談もありました。観客のリクエストに応じて即興でドンドン切っていきます。しゃべりがうまい。軽妙な話芸に笑っていると、あっというまにすごい作品が完成しています。出来上がった作品は希望者に配られますが、こちらも子供たちがちょうだいちょうだいと大盛り上がりでした。
テレビにドップリ浸かっている私たちは、テレビに出てくる人だけが芸人さんだと思いこんでしまいがちですが、前述のピエロといい、この紙切りの人といい、テレビとは離れた世界にこそ、すごい芸人さんがいるんですね。活躍の場が違うだけで、芸は一流です。むしろテレビという加工が可能なメディアではなく生の舞台が勝負の人たちだけに、芸の確かさには群を抜く物があります。いい物を見せていただきました。途中で知り合いに呼ばれて舞台の前を離れてしまいましたが、その後も舞台の上では多彩な催しが続いていました。
何もないと思って回れば何もない。楽しくてたまらないと思いながら回れば本当に楽しくてたまらない。それがこういう地域の神社のお祭りではないかと思います。私も久し振りに童心に返って楽しめました。
祭りといえば、屋台ですね。小さい頃は、お祭りのときにお小遣いをもらって、そのお小遣いで何を買うか相当真剣に悩んだものです。屋台で売られていると、すごくおいしそうに見えるんですよね。型抜きなんかでお金を増やしたり、くじを引いてみたり、面白かったです!
夏に親戚の家に泊まりに行って、盆踊り大会に参加していました。ちょうちんであるとか、浴衣であるとか、そういった雰囲気がとても非日常的ですごく印象に残っています。見よう見まねで踊ったのは良い思い出です。
私の住んでいます東海市では毎年秋に、
「横須賀まつり」「大田まつり」の2つの山車祭りがあります。
今年の日程は、
「横須賀まつり」は9月26日(土)、27日(日)
「大田まつり」10月3日(土)、4日(日)
2つの祭は江戸時代から続く伝統行事です。
それぞれ4〜5台の「からくり人形の山車」の高さは6メートル超、重さ4〜5トン。
見せ場は「どんてん」と呼ばれる、山車の方向転換で、前輪を上げて後輪を軸に回転する場面です。
私は「からくり人形」の動きがユーモラスで大好きなんですけどね!
ブランコしたり、なんと習字で字を書いたりするんですよ!
これを見ると「秋」が来たなぁ〜と感じます。
2つの地域の距離は3〜4㎞ぐらいしか離れていません。
電車の一駅だけです。
ですから山車が9台揃うと壮観ですよ!
東海市の山車詳細http://www.city.tokai.aichi.jp/~kyoiku/syakyou/dashi/dashi2.html
明日から「大田まつり」で、もう提灯など飾り付けは終わっていますが、
天気が心配です。
「横須賀まつり」
http://www.city.tokai.aichi.jp/~shoukou/kanko/kanko-event/yokosu...
「大田まつり」
http://www.city.tokai.aichi.jp/~shoukou/kanko/kanko-event/oota/o...
山車で思い出すのが、わが町湯河原の「やっさ祭り」です。
毎年8月2日・3日に、「湯河原やっさ祭り」が開催されます。
この2日間は町を挙げてのお祭り。夕方、やっさ踊りコンテストが始まり、山車が繰り出す時間帯になると、お祭りムードが盛り上がります。
お祭り(やっさ踊り)の由来は、こちらに解説があります。
http://www.yugawara.or.jp/yassa.htm
ところで、湯河原は温泉街ですので、芸者さんが居ます。やっぱりプロですから、やっさ踊りの踊りも上手いです。芸者さんの山車も登場します。
夕暮れとともに繰り出す山車が列を作ると、祭りの気分は最高潮に盛り上がります。
ちなみに、やっさ祭りは歴史的に湯河原と縁のある広島県三原市から取り入れられたもので、つまり、三原市が「本家」というべき存在です。
http://www.yassa.net/history-and-origin/index.html
検索したら、何と、千葉の東金市にも「やっさ祭り」があるようです。
東京西部に位置する八王子市には、中心市街地から高尾駅に至るまで、約4kmに渡るイチョウ並木が続いています。その数およそ770本。新緑のころも、青々と葉が茂る夏も美しいですが、とりわけ秋の黄葉は圧巻です。
このイチョウ並木は今から80数年前に植えられたそうです。以来ずっとこの町と共に生き続けているイチョウを愛で、古い住民も新しい住民も、さらに市内に存在する多数の大学の生徒たちも交えて、自然との触れ合い、人と人との心の触れ合いを大切にしていく地域文化を作っていこうと行われているのが、この八王子いちょうまつりです。
会場となるのは、追分交差点から小仏関所跡に至る甲州街道(国道20号)沿いをはじめ、市内の様々な施設や公園などです。
バザールには様々なお店が並びますし、学生が企画する広場には、各大学の参加サークルがそれぞれ趣向を凝らした出し物を企画しています。たとえば理系学生が主催する科学遊びショーのようなもの、学園祭そのままの雰囲気の様々な模擬店、来場者参加のクイズなど、色々な企画で来場者を楽しませてくれます。
ステージも学生による企画で運営され、歌やダンスなど様々なプログラムが用意されています。
そのほか、様々なゲームあり、紙芝居あり、手作りクラフトコーナーあり、写真展もあれば大道芸もあり、園芸好きの人には花の苗の配布や鉢の絵付け、リースづくりなんていうコーナーも企画されています。とにかく、ありとあらゆる企画を考えられる限り盛り込んだ巨大市民祭り。それが八王子いちょうまつりだと思ってください。
来場者参加型イベントとしては、昔、武蔵の国と相模の国の間に置かれていた小仏関所(現・八王子市裏高尾町)にちなんで、「関所オリエンテーリング」というのがあります。会場となっている甲州街道のイチョウ並木沿いをずっと巡って、各所に設けられた「関所」(チェックポイントですね)に立ち寄って焼き印をもらって歩きます。これがすごいんですよ。本当に目の前で通行手形に焼き印を押してくれるんです。木の焦げる匂いが何とも言えません。12ヶ所の関所のうち6以上を回った人は、福引き会場で福引きができます。さらに全12の関所を全部回るとパーフェクト賞ももらえますが、各関所はかなり離れているので、12ヶ所完全走破は難関です。
友人が八王子にある大学に通っていて、学生のころからこの祭りに関わり続けていました。その友人はよほどいちょう祭りが気に入ったのか、いつのまにか八王子市民になっていて、今もこの祭りに関わり続けています。
今年は11月21日(土)・22日(日)の二日間だそうです。ぜひ来てくれと呼ばれているので、久し振りに行ってみようと思っています。特に今年は30回記念の特別ないちょうまつりとのことですから、きっと賑やかになると思います。
近年、高尾山ブームが起こっていますが、高尾山ブームが起こる前、いまから10年ほど前でしょうか、一時本気で高尾山麓に住もうと検討していたことがあったので、このお祭りをチェックしていたことは言うまでもありません。
Oreganoさんの書いてある「関所オリエンテーリング」は街道を知ってもらうために始めたものなんです。いまではお祭り期間を過ぎても写真に納める自転車愛好家が後をたたないと言います。
甲州街道のいちょう並木は美しいですよね。八王子は自宅からですと少し遠回りしないと行けない場所なのですが、ぜひ行ってみたいです。
自然との触れ合い、人と人との心の触れ合い
地域文化に欠かせない財産ですよね。かつては収穫を祝うためのお祭りが地域文化の継承や発展に欠かせない行事として執り行われる八王子のいちょうまつりは示唆するところが多いと思います。
true tearsというアニメ作品がありました。富山県に実在する町並みを舞台に高校生達の青春群像を描くストーリーです。そのストーリーの進行に重要な関わりを持って描かれたのが、毎年9月中旬に行われる、この「城端(じょうはな)むぎや祭」(作品中では『麦端祭』)。
この番組は東京の会社ではなく、「むぎや祭」の地元も地元、南砺市城端にある“P.A. Works”という所が担当しましたので、祭の様子がとてもリアルに描写されています。
さて、この城端町という所ですが、2004年に合併して南砺市となる前は、東礪波郡に属する町でした。合掌造りで知られる五箇山に通じる山麓の町で、海抜100mくらいの平地と、1000m近くになる山の両方を擁する変化に富んだ景観が特徴です。
その城端町で開かれる「むぎや祭」は、1951年に始まった比較的新しい祭です。民謡の宝庫といわれる五箇山の文化を埋もれさせずに全国に発信していこうと始められたもので、以来半世紀。古い街並みの残る城端の里にしっくりと合う秋の風物詩として、もうすっかり定着しています。
この祭の主役は民謡「麦屋節」。
麦や菜種は二年で刈るが
麻が刈らりょか半土用に
浪の屋島を遠くのがれて来て
薪こるてふ深山辺に
烏帽子狩衣脱ぎうちすてて
今は越路の杣刀
心淋しや落ち行くみちは
川の鳴瀬と鹿の声
川の鳴瀬に布機たてて
波に織らせて岩に着しょう
鮎は瀬につく鳥は木に止まる
人は情の下に住む
「烏帽子狩衣脱ぎうちすてて今は越路の杣刀」というところから、公家、あるいは武家が都を追われ、この地で農作業をしながら暮らすことになった、それを歌った唄、ということが分かります。地元では平家の落ち武者が慣れない農作業の合間に都をしのんで歌い踊ったのが始まり、と言われています。
ですから、麦屋節は女性も踊りますが、男性も踊りの主役なんです。男の踊りの装束は紋付き袴。襷と白鉢巻をキリリと締めて、これから討ち入りにでも行くような装束です。しかし腰に帯びているのは一尺五寸の杣刀。杣とは林業のことですから、これは山の作業用の刀なんですね。侍装束をしていても、腰に差すのは農民の刃物。そんな落ち武者の姿を表します。
男の踊りの特徴は、手にした菅笠を流れるように器用に操りながら、要所要所でピタッと動作を止めていく所にあります。ですから、動きにキビキビとしたメリハリが生まれ、踊りなのに何かの武術を見ているような気持ちになってくるんですね。そんな踊りの勇壮さが、「麦屋節」の特徴の一つと言えるでしょう。
この「麦屋節」の唄と踊りが、街中に溢れます。メイン舞台となる「城端別院善徳寺」と「じょうはな座」のほかに、町の随所で「街並み踊り」というのも繰り広げられます。古い家並みの残る情緒豊かな街角で、子供から大人まで、様々なグループが入れ替わり立ち替わり登場して踊ります。
まず小学校高学年かな、もしかしたら中学生もいるのかな、そんな年頃の子供達のグループが出てきました。男の子達は大人と同じ凛々しい紋付き袴装束ですが、女の子達は可愛い早乙女姿。皆息がピッタリ合って、大変立派な踊りでした。いっぱい練習したんでしょうね。伝統文化を次代に継いでいく貴重な少年少女達です。
大人の女性の踊りには、華やかな着物姿あり、袴装束に襷掛けの凛々しい姿ありで、とてもバラエティに富んでいます。華やかな着物姿のグループは、菅笠を持たない手踊りを披露していました。踊り方は一つではなく、色々なバリエーションがあるんですね。
ほかにも、円形の笠が二つ折りになっている、いわゆる「おけさ笠」をかぶって踊る女性達のグループもありました。その舞いの実力は素晴らしく、皆さん日舞の名取り以上の舞い手です。
こうした伝統の踊りの他に、新しいストリートパフォーマンス、「じゃんとこいむぎや」というのもあります。これはいわば「YOSAKOIソーラン祭」の富山版といった感じの創作踊りパレードで、音楽には五箇山民謡を取り入れること、踊りには菅笠やササラなどの伝統的アイテムを使うことなどの一定の条件を満たせば、あとは自由な発想で踊って良しという楽しい企画。
もしかすると始まった当初は、こんな伝統の踊りを壊すようなことを、といった反対の声もあったかもしれません。でも今は、新しい踊りが生まれていくからこそ伝統の踊りの価値が分かる、新しい踊りを生み出していくことと伝統の踊りを継承していくことは両立するし、両方が刺激し合っていくからこそ、どちらにもフレッシュな力が漲っていくと。そんなふうにとらえられているようです。
ちなみに「じゃんとこい」は麦屋節のはやし言葉でもありますが、このあたりの方言で「みんな来い」の意味らしいですね。魚津市では「じゃんとこい魚津まつり」なんていうのも行われています。
翌日二日目は、前日からの街並み踊りと並行して、昼間は全国から参加者が集まる「麦屋節コンクール全国大会」。そして夜は女性ばかり数百名が踊りながら大通りを練り歩くパレードも行われていました。
あ、そうそう。こういうお祭りは、よそ者は見てるだけ、というのがほとんどだと思うんですが、むぎや祭には、ぶらりと立ち寄っただけの人も、踊りの輪に参加できる方法があるんですよ。
まず昼間、メイン会場の「じょうはな座」前に行くと「踊り講習会」というのが行われていますから、そこに参加すると、笠の持ち方や回し方から丁寧に教えてくれます。
踊り方を覚えたら、祭のフィナーレを飾る「総踊り」。これは観光客も自由に輪の中に入っていいことになっているので、もうこれは踊らにゃ損の世界。参加者にはむぎや祭特製手拭いのプレゼントもあるので、いい思い出になりますよ。
お祭りというのはイベントが盛りだくさんであればあるほど、見ているだけの立場の疎外感を感じたりするものですが、むぎや祭に限っては、一人で行っても孤独を感じることがありません。もう「総踊り」が終わる頃には、帰りたくない、ここに住んじゃいたい、と言いたくなるほど人の輪に溶け込んでいます。
こうして街中が民謡と踊りに沸き返った二日間が過ぎると、城端の町はまた静かな秋景色に戻っていきます。
なお、城端むぎや祭は、毎年敬老の日(9月第3月曜)直前の土日2日間という日程になっているのだそうです。ですから来年は9月18日(土)・19日(日)の二日間ということになりますね。また行ってみたいです。越中富山、城端町。いい場所です。
お祭りは実家のほうと今住んでいる地域の所にしか行ったことはないのですが、隣の県でもお祭りに出ている屋台にいろいろと違いがあってたのしいです。
実家のほうでは屋台にてんぷらが出ていたり、金魚すくいのとなりに「うなぎ釣り」のお店があってみたり。
お祭りではないのですが私が子供のころは夜店では「カメレース」というものがありました、カメが何匹かゴールを目指してのんびり歩いていくので1着を当てるというレースでした、男の子は自分の選んだカメをすごく応援していて楽しかったです^^
こちらのほうではそれらは見ないのですが、お寺(神社?)で開かれていたお祭りではハンバーグくじやフランクフルトくじがあって焼き鳥もあるのですがもっと大きい鶏肉の焼いたもの(名前を忘れてしまいました・・・)がありました^^
そしてお祭りの一角でフリーマーケットをしていたりします^^
大阪のほうではたこ焼きやお好み焼きのお店が多いのかなとか、北海道ではじゃがバターのお店があるのかなとか、お祭りの屋台が気になってしまいます(笑)
子供の頃に行ったお祭りは割と大きめでにぎやかなものでした。
縁日では数多くの屋台と共に、見世物小屋とお化け屋敷もありました。
お化け屋敷には1回くらい入ったことがあるものの、
見世物小屋は子供には高くて、いつも我慢していました。
小屋の前でガラガラな声をしたおじさんが、マイクをつかって客引きをします。
「何の因果か、子に報い・・・」
「お代は見てのお帰りにー!」
なんていう言葉を繰り返しています。
隙間から女の人がチラッとだけ顔を見せたりもしていました。
また小屋の前に飾ってある看板がおどろおどろしくて興味をそそるのです。
大きくなってから入る機会があって、どんなものかとワクワクしていたら、
割と年配の化粧の派手な女性が大きなニシキヘビを首に巻いているだけで、
なーんだと思ったものです。(笑)
あとお化け屋敷は、子供にお化けの手伝いをさせていたようでした。
大きな声で
「わー!!!!」と驚かすたわいないものでしたけど、
それでも外で見ているだけでも、子供にとっては怖いものでした。
日本3大祭りの1つに数えられるのが天神祭り。
7月の25日が祭りのメインイベントの1つ、船渡御と呼ばれる船に御霊を乗せての川行きです。
この日には奉納の花火大会もあって、とにかくこの花火を観に行くのがナニワっ子の楽しみなのです。
若い人はデートで、あるいは家族連れで、お財布に余裕のある人は船を仕立てて乗り込んでビールを片手に花火を満喫するということもあります。
また7月23日にはギャルみこしといって、女性だけ(年齢制限なくなっています)がかつぐおみこしも商店街を練り歩くことになっていて、こちらも大人気です。
個人的な思い出としては、高校生の時にはデートで1回だけ行きましたが、その後は劇団に入ったので、毎年、天神祭りの季節には稽古稽古で花火見物ができなかったのを覚えています。
私の住んでいる近くでは、毎年近くの公園でお祭りがあります。
地域の小さなお祭りで、お店は子供の会などの人たちが開いていて、お好み焼き・焼き鳥・うどん・カキ氷・たこ焼き・フランクフルトなどが1つのテントで買えて、テーブルやいすがあってそこでのんびり食べることができます^^
それにモチ投げならぬ「お菓子・日用品投げ」があるんです。
それは大人に混ざって小さい子が参加するのは危険なので「子供と女の人の部」といった感じで、第1回目は男の人は参加できないようになっています^^
2回目に投げるときは誰でも参加できるのですが、さすがに男の人が混ざるとみていてもすごいです(笑)
私は参加したいと思いつついつも遠くから見ているだけなのですが、参戦した友達は「パン・お菓子・軍手・ティッシュ」を獲得していました・・・ほんとにいろんなものが投げられています(笑)
歌謡教室に通っている方が歌を披露されたり、楽器の演奏があったり・・・
最後には打ち上げ花火も上がります、数は少ないのですが連発もあって大きな花火もあがってきれいです^^
そして終わりの放送で「皆様足元に落ちているごみをゴミ袋までお願いします」という放送が流れるので、自分の周りのお掃除をして帰ります。
そんな小さいお祭りですが、いろいろ盛りだくさんなお祭りです。
これからも続いていってほしいと思います^^
地元のお祭りって心和みますよね。私の地元ですと、近所の神社で子どもたちと親御さんが集まって踊ったり、歌ったり、小さな小さな屋台が置かれ、何回でも遊ぶことのできるゲームなどをやっています。
こういうものを地域通貨のような形で運営できたらいいな、とは思うのですが、あまりお祭り自体をもう楽しむことができない年齢。祭りを通じて、後世・次世代に残せるものを重視したいと思っています。
でも、いつの歳になっても、屋台や縁日のワクワク感ってものはなくならないものですよね。
お祭りというと、やっぱり自分の生まれ故郷の夏祭り。
それから第二の故郷母方の田舎の夏祭り。
だった私。
結婚前に夫の母方の田舎へ連れて行ってもらったときに国東半島からフェリーに乗って渡った
姫島で見たお祭りの風景が忘れられません。
いくつかの伝統的な晩踊りの披露されるその日。
赤いちょうちんの明かりと、顔を白く塗った沢山の子供たちの姿が
まるで別の世界に来たみたいに不思議な気分にさせてくれました。
それはきつね踊りという踊りのために、顔を白く塗ってひげをかいて、白装束を着て白狐に扮した
子供たちなんだそうです。
ちょうちんをつるした傘を持って、きつねのしぐさを模した踊りを踊る子供たち。
滞在時間はわずかでしたが、なんだか長い夢を見ているような日でした。
地域文化遺産 ポータル
姫島盆踊り
http://bunkashisan.ne.jp/search/ViewContent.php?from=14&ContentI...
小さい頃いた地域では年に一度町を踊り歩くお祭りがありました。1週間ほど前から練習をし踊りました。練習自体はいやだったのですが踊った後そのあとジュースとかが配られ、たまらなくおいしかったです。