「ことわざ・格言からイエの防災を考える」by id:momokuri3


もうすぐ防災の日がやってきます。そこで、ことわざからイエの防災を考えてみたいと思います。


地震・雷・火事・親父】
恐い物を列挙して最後に語呂合わせで笑わせる洒落の一種ですが、これは“災害はオヤジなみに身近にある”ということを教える教訓ともとらえられます。また、火事や親父はどこでも恐い物ですが、筆頭に「地震」が来ていることから、いかに日本が昔からの地震国だったのかがよくわかります。


【天災は忘れた頃にやってくる】
そこでこの有名な格言になってくるわけです。この言葉は文人としても活躍し、漱石の元に集う弟子たちの中で最古参に位置していた、物理学者・寺田寅彦博士の言葉といわれています。著書中にこの言葉は見当たりませんが、博士の薫陶を受けた人たちがその教えを簡潔な言葉にまとめて後世に伝えたことは想像に難くありません。
博士の随筆に「津浪と人間」というのがあります。1933年3月に発生した昭和三陸地震では大津波が発生して、数千人規模の犠牲者が出てしまいました。ところが37年前にも同じ三陸沖で、昭和三陸地震の規模を超える明治三陸地震が起きていたのです。その時の教訓が生かされていたら助けられた命があった、そういう随筆です。
災害直後の緊張も教訓も、五年たち、十年たち、十五年、二十年とたつうちに忘れられ、いつしか人は無防備になっていきます。博士はそれを「鉄砲の音に驚いて立った海猫が、いつの間にかまた寄って来るのと本質的の区別はないのである」と表現されています。


【そなえよつねに:Be Prepared】
これはボーイスカウトガールスカウトのモットーとされる言葉です。
「いつなん時、いかなる場所で、いかなる事が起こった場合でも 善処が出来るように、常々準備を怠ることなかれ」
これがボーイスカウトガールスカウトに参加する青少年たちの規範ですが、それでは私たち大人はどうでしょう。防災用品を揃えたり、熱心に食料備蓄を心がけている人たちも、街を歩いていて、あるいは電車に乗っていて災害に遭遇したらどう対処できるでしょう。その時のためにどういう備えをしているでしょうか。
またスカウトは、いついかなる時でも、人のためになる行動を心がけます。つまりスカウトの「そなえよつねに」は、いかなる事態においても人のために行動できる、そのための備えということでもあります。
いざ何かが起こった時、私たちはどういう行いが出来るでしょう。自分が助かるだけでなく、人を助けるためにどういう行いが出来るでしょう。いまのうちにどんな準備をしておくべきか、その視点から考えてみたいものだと思います。


【悲観的に準備して、楽観的に行動せよ】
備えは最悪の事態を想定して行います。備えの段階で「まさかここまでの準備は要らないだろう」という楽観論は禁物です。
しかし、いざことが起こったら、常に希望は目の前にあるという気持ちで、居合わせた人との和も大切にしながら行動していきます。

http://tokyo-m8.com/
なお、アニメですが、今、フジテレビ系各局の深夜枠で「東京マグニチュード8.0」という番組が放送されています。もし巨大地震が自分の街を襲った時、いったいどんなことがおこるのか、いったいどんな行動を余儀なくされ、どんなことを求めて、何をすることができるのか、といったリアルな仮想体験ができる番組だと思います。途中からでもぜひ視聴してみてください。そのうちDVDも出ることでしょう。


【用心は無事なるうち】
最後に、江戸中期の浮世草子作者・浄瑠璃作者、江島其磧の言葉をもって本稿を締めくくりたいと思います。これは「浮世親仁形気」という作品中に出てくる言葉ですが、今の時代にあっては、自分を、家族を、イエを守る備えのための心構えとして最適なフレーズではないかと思います。特に家庭内の落下・倒壊が予想される物への対処などは、思い立った時が対策の好機です。あ、これ危ないなと感じたその場で対策。無事なるうちの用心が最大の防災です。


以上、設問の「イエのことわざ」からはちょっと外れたかもしれませんが、「イエを守るためのことわざ・格言」ということで書かせていただきました。防災の日にあたり、あらためて備えをしていきましょう。


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