「下座の心」by id:TinkerBell


生まれてきたのは父母のお陰。
こうして社会生活が営めているのは隣人や友だちのお陰。
自然のお陰、空気のお陰、水のお陰、何でもかんでも何かのお陰。
そう考えるとあらゆることに感謝の念が湧き、頭が上がらなくなる。
それが下座の心というものだそうです。


でも、心がひねくれていると、「おかげさま」を感じることができません。
おかげさまの心が逆に「お前のおかげで」と人と争う心に変わってしまいます。
それはとても悲しいことだと思います。


そこで、心はどうあれ、まず形から下座に慣れる工夫をしてみませんか。
暮らしの中で、下げようと思わなくても自動的に頭が下がる工夫を考えてみるんです。
その一つがゴミ拾い。
落ちている物を拾おうとすると、ほら、自然に頭が下がるじゃないですか。
その時、拾ったゴミに対して、尊い資源を粗末にしたことを詫びる気持ちで「ごめんね」と声をかけると、
そこから資源のお陰、自然のお陰、作ってくれた人たちの労働のお陰などと感謝の心が湧いてきて、
それに対して頭が下がる下座の心が生まれてきます。
イエの中でも、マチの中でも、ちょっとそんな下座の練習をしていくと、何か新しい幸せの形が見えてくるかもしれません。


下座の心は争いのない世界を願う心でもあります。
みんながそんなふうになったら戦争だって無くせるかもしれません。


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