いわしの回答(転記)
言霊というくらい、言葉には大きな力が宿っていますよね。
日々の中で、ふと心に傷を負ったときに身の回りの大切な人のことばが心の薬になったりします。
自分ひとりの力でどうしても乗り越えられない傷を乗り越えようとするとき、その力を増幅させてくれるように、大切な人たちの言葉で何度救われたことか・・・
体の傷を治す薬はあっても、心の傷を治す薬は容易に見つけることが出来ないけれど。
そんなときに、一番身近な場所にその在り処があって、少しだけでも話を聞いてくれる友達の優しさが身にしみます。
薬は物質として存在せずとも、見えないこうした温かい薬もあるのだなと感じます。
自分がそんな薬を貰ったとき、今度は自分が回りの人に心の薬を与えられる自分で居れたらいいなと思います。
TomCat1pt
人間の身体は、体内で色んな物質を分泌します。よく「脳内麻薬」なんていう言葉が使われますが、それ以外にも様々な器官から、様々な薬の役割をする物質が、たくさん分泌されています。
他人から投げかけられる言葉は、そういう体内物質の分泌を、大いに促してくれることがあるんです。言葉には、心の傷だけでなく、身体のキズや病すらも癒していく力がある、ってことなんですよね。
ある宗教家が、言霊は他人を喜ばせるためにのみ使われるべきだと言ったそうですが、それって医学的にも重要なことなんだなあと思います。
ちなみにイエはてなの語らいにも、心も体も癒してくれる優しい言葉が一杯ですね。ここは素敵な癒しの空間でもあります。
わが家には母親譲りの、十二支の抜き型があります。基本的にはこれ、野菜の抜き型なのかな。なかなかシッカリした作りになっています。もちろんクッキーの抜き型にも使えます。
これで、お正月の料理を作るんです。うちのお正月は粗食に徹するのがならわしで、新年最初の食卓は大根しか入っていない塩汁一椀から始まるんですが、そのあとは質素ながらも造形に工夫をこらした「竹輪で門松」などの楽しい料理が並びました。
そういう造形の楽しさを作り出す道具の一つが、この十二支の抜き型だったんです。たとえばお雑煮。各自の生まれ年の十二支の形の大根と、その年の十二支のニンジンが、お椀の中で仲良く向かい合わせ。年によってはヘビとネズミが向かい合わせになっていたりして、あぶない、逃げろ!! なんて言いたくなってしまうような組み合わせのこともありますが、それがまたユーモラスで面白いんですよね。
小正月には、この抜き型を使った十二支クッキーも登場しました。一度、お餅をスライスして抜き型で抜いて、乾燥させて油で揚げるという「動物かきもち」も登場しましたが、これは手間がかかりすぎるということだったのでしょう、一回で終わってしまいました。残念!!
もちろん動物の形の抜き型は可愛いですから、お正月だけでなく、普段の食事にも時々登場しました。付け合わせの野菜などにこういう抜き型を使うと、子供は喜んで食べますよね。私はヘビがとぐろを巻いている型で抜いてもらったピーマンが大好きで、それを「あおだいしょう」と呼んでいました。男の子は変なことばかり考えますw
しっかりした作りの抜き型は、買うと意外に高い物です。うちにあるのは業務用に使えるくらいの作りになっていますから、これを十二支一揃えにして買おうと思ったら、おそらく一万円以上してしまうと思います。
でも、毎年その年の十二支の型を一つずつ買って、12年でコンプリート、なんてやっていくのも楽しいですよね。たとえばお子さんが生まれた年から買い始めていくと、全部揃う頃にはもう小学校卒業です。十二支に託して十二年先の未来を追い続けていくなんて、楽しいと思いませんか? なんかワクワクしてきますよね。
色んな十二支グッズがありますが、食卓を楽しく彩る十二支の抜き型はお勧めです。
昔はよく火傷をしたり、ハチに刺されたりしたら「アロエ」を塗りました。
トゲトゲの皮をむいて中身を塗るのです
本当によく効きました。
以前は何鉢もありましたが、今は3鉢ほどです。
ウチでは食べる習慣は無いでしたね。
「胃腸にいい」とか聞きますが、市販のヨーグルトとかドリンクは飲みましたけど実感はないですね。
「火傷」「虫さされ」には実感はあります。
徳川家康が静かに眠る日光東照宮や都内に位置する上野東照宮は有名だと思いますが、
家康の死後1年、祀られていた久能山東照宮(静岡県)は多くの人は知らないと思います。
数年前(確か2000年)、「葵・徳川三代」というNHK大河ドラマが放映されたので、
友人と静岡の食事旅行を兼ねて、久能山へ行ってきました。
久能山東照宮へいたるには1,159段もの石段を登らなければなりません。
石段から眺める駿河湾は太陽の光を照り返し、まるで鏡のような美しさでした。
崖下の石垣いちごのビニルハウス、日の当たる場所でなければできません。
家康は駿河の海と太陽、それに城下町を見守るようにして、1年眠ったのですね。
そして、日光へと遺体は移されるわけです。
久能山石段1,159段は当時の土木技術の高さをさまざまと見せつけられます。
見事に揃えられた石段から、がけ崩れを防ぐため作られた参道。
建築工事に従事した職人の技術の高さ、信仰の深さには感心するばかり。
いまでは、日本平からロープウェイで久能山へ行くルートも存在しますが、神様を上から行くのは礼に失します。
石段を登り終えた帰りにロープウェイを使うことにしましょう。
石段を登り終え、久能山を参拝し、日本平から眺める駿河湾は壮観なものです。
久能山の東照宮は安土・桃山時代の建築技術が細部で確認できます。
漆の使い方、彩色、梁の使い方など江戸時代の建築と異なる部分に目を向けると楽しみも増えるものです。
博物館も併設されており、日本最古の機械式時計(西洋)、鉛筆、メガネ(記憶が不鮮明)などありました。
鎖国が確立される前までに行われていた、西洋との貿易の一面を垣間見ることができます。
石段を1つ1つでも、当時の情景をくみ取りながら登るのも時代を知る上でも大切な手がかりだと思いますよ。
戦災に遭うことがなく、よかったと心から思います。
私は、口の中で薬の味がすると吐いてしまいます。
ゆえに病院ではいつも「錠剤かカプセルでお願いします」と言っています。
とっても恥ずかしいです。
子供の頃は、オレンジの味の薬とかもらえて良かったなぁ。
でも、子供の頃からやっぱり味がするとダメで、よくヨーグルトに混ぜてもらっていました。
あと、同じ理由でうがい薬も苦手です。
こどものころは粉薬をよくオブラートに包んで飲んでいましたね。
大抵は親が包んでくれたのですが、自分で薬を包んだこともありました。
ヘタに包むと大きな固まりになってしまって飲み下しにくいんですよねえ。
オブラートはもう何10年も使っていないある種、懐かしいものになっています。
関西と関東では、エスカレータの通る方向が逆と聞きますね。
私は関東なので、左側に寄って、右側が通行です。
しかしこれはどうして、こう地域で逆になったのでしょう?
そのあたりが知りたいものです。
たまに通行側なのにも関わらず、ある数に通行止めにしている人を見ると何だかな〜と思ってしまいます。
片側を空けるように心遣いは皆で必要なものですね。
自分さえ良ければ・・・という考えが減っていくといいです。
エスカレーターの右左はほんとに面白いですね。
東京にはじめて行った時には、右側に立ち止まっている人がいないのを見て、おお、これが噂の東京スタイルだ、と友人たちと大いに盛り上がりました。
きっと関東の人たちが関西に遊びに来ると同じように面白いんでしょうね。
ところでエスカレーターが故障か何かでただの階段と化していることがありますよね。
そういうときに歩いて昇るのはえらくしんどい気がするのは何故なのでしょう。
それから国によってエスカレーター動く速度が違うってご存知ですか?
タイのエスカレーターはものすごく早いです。
慣れないと少し怖いくらい。
韓国は逆にじれったいくらい遅い。
これも面白いですよ。
VEGALEONさんのおっしゃるように梅干しは夏バテ解消法に役立ちますよね。
最近、なんだかダルいなと感じたのが5月中旬。
仕事などに忙しく、イエはてなにもコメントができない時期でした(苦笑)
そんなとき、食品売り場の仲のよい店員さんが梅干しをオススメしてくれました。
それ以来、梅干しは毎日1日1個と決めて食べています。
梅干しは体内の水分調節、ビタミン・ミネラル補給に効果的。
酢をあわせて飲んでいると、食べ過ぎと感じるくらい食べても体重が減りません。
ちょっと塩分過多が心配ですが、最近では塩分控えめな梅もスーパーで見かけますし、
梅干しを一日一粒運動は手軽にでき、かつかっこうの夏バテ対策ですね。
何もしない、休息の時間。
特に私のような貧乏性(?)の人間には、サボっているようで、無駄に過ごしているようで、どこか落ち着かなくなってしまう時間ではありますが……
何もせずにぼーっとしたり、無作為に考え事をしたりという時間は、とても大切な時間なのだと年齢を重ねるごとに感じます。
とはいえ、家にいると、つい空いた時間があっても、ネットサーフィンをしたりして、空いたはずの時間を何かに消費してしまいますよね。
何かしようとしても、はかどらずに別のことに手が伸びてしまい、後から考えると、無駄に時間を過ごしてしまった……手持ちぶさたな時でも、何かをしていなくては落ち着かない。
なので、最近では、外出してしまって、何も手元にない状態を作ってしまいます。
本も持たず、ノートパソコンも持たず、ほとんど手ぶらに近い状態で出かけてしまうのです。
静かな温泉に出かけてもいいですし、日帰りで適当にドライブに出かける、高原に行く、海を見に行く。そんな感じです。
手元から遠ざけると、如何に「何となく何かをしている」状態を作っていたのか、「しなくても構わないこと」が如何に多かったか、落ちついて考えることができます。
日常を崩して、一度、遠目になって眺めてみると、様々なことが見えてきます。
画像がなくて恐縮なのですが、たまに雲の合間から太陽の光がもれてくるのを見ます。
最初は名前も知らず、きれいだねと言っていただけなのですが、ある時「天使の梯子」という言葉を知りました。
見るとハッピーになれるという私だけのジンクスがあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%BD%BF%E3%81%AE%E6%A2%A...
調べてみるといろいろな名前があるみたいです。
以前、脱水症になったことがあり、その時にお医者さんから課せられたのが、この「1日に水分2リットル分」を飲むことでした。
以来、毎日実行しています。最初は飲むのがつらく、とくに冬場はトイレも近くなって困りましたが、慣れてくるとそんなに苦にならなくなり、トイレもかえって近くならなくなりました。
さらに続けていくにつれ、身体全体の調子が良くなってきました。それにお肌の調子も。どうやら美容にも良いみたいです。以前、某セレブ姉妹の妹さんがテレビで歌っていた曲の様に♪プルプルンのキュッのボンッ♪を目指してこれからも続けていこうと思います。
ちなみにスポーツドリンクは水で1/2に薄めた方が身体への浸透度が増すそうです。
干支というと、ね、うし、とら…の十二支が思い浮かびますが、十二支だけでは干支ではありません。干支というのは「十干十二支(天干地支)」の略で、「十干」+「十二支」の組み合わせで表されるもののことを言うのです。たとえば今年なら、十二支は「丑」ですが、干支は「己丑(つちのと・うし)」ということになります。
十干は次のように、陰陽五行に由来しています。
−−−−−−−−−−−−
甲 きのえ 木・陽
乙 きのと 木・陰
丙 ひのえ 火・陽
丁 ひのと 火・陰
戊 つちのえ 土・陽
己 つちのと 土・陰
庚 かのえ 金・陽
辛 かのと 金・陰
壬 みずのえ 水・陽
癸 みずのと 水・陰
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読み方の意味は、「きのえ」なら「木の兄」の意。「きのと」なら「木の弟」です。こうして木・火・土・金・水の五行を陰陽二つに分けて十通りとしたものが十干です。
私は自己流ですが、縁起物として、この十干に合わせた小さな十二支グッズを身につけています。
木の年なら、木で出来た物。
火の年なら、陶器で出来た物。
土の年なら、素焼きで出来た物。
金の年なら、金属で出来た物。
水の年なら、透明なガラスで出来た物。
といったぐあいです。今年は己丑(つちのと・うし)ですから、素焼きの牛さんです。今年は素焼きでいいので陶芸をやっている友達に粘土をもらって、根付け用のちっちゃな牛を作りました。本人はあかべこの牛のつもりですが、なぜかみんなに蚊遣りブタと言われます(笑)。
つちの「え」・つちの「と」などの陰陽は、干支グッズの身に付け方に関係します。左右を陰陽に対応させると、左が陽、右が陰になりますから、陽の年なら左のポケットに、陰の年なら右のポケットに入れて持つなどします。
来年の干支は「庚寅(かのえ・とら)」ですね。火の年なので、干支グッズはまた陶芸をやっている友達に頼っちゃおうかなぁと思っています。今度は陶器なので絵付けもすることになりますから楽しみです。
私は自分の干支のお守りをもっています。
神社に行ったときに見つけた小さな絵馬と小さな干支の動物の鈴がついたお守りなのです^^
財布につけているんですが小さく「ちりちり、りんりん」と鳴ってかわいいです。
それともう一つ、水晶で出来た干支の動物をお守りにしています。
こちらは鞄の内側につけています(外側につけるとどこかにぶつかってしまいそうなので)、可愛くてみていてもなごみます^^
http://item.rakuten.co.jp/yamak/sui-nezumistrap/
http://item.rakuten.co.jp/aquabellej/lcp0329/
自分の干支の物にはつい目がいってしまいます^^
私も持っています。神社に自分の干支だったとしに売っていたもので、今でも持っていますよ^^緑色の石でできているのですが、おそらくヒスイ?水晶?なんでしょうか?
小さくてつけやすくて、かわいらしいので、鞄につけています。
らせん階段は面白いと思います。以前、学校でらせん階段があり、上ってみたらそこは物置になっていました。滑り台でも時々らせん階段になっているものがあり、子どもの時は頭をぶつけないように注意しながら夢中で上りました。
リンゴも万能薬です。よくリンゴが赤くなれば医者の顔が青くなると言われています。
熱が出たときはリンゴをすりおろしたものをよく食べます。食欲がないときも便通が悪いときもリンゴを食べて解消です。
家にある階段は、面積の問題もあり、大抵の家では急なところが多いと思います。
そういう階段では、手すりがあるだけで、全然違ってきますね。手をかけながら登れるだけで、安定感が全く違います。
昔は、家の階段に手すりというのは一般的ではなかったうえ、階段も安全性はあまり重視されていなかったのか、特に急なものが多かったように思います。
祖父母の家などの階段は、そういった傾向が顕著だった記憶もあります。
ですが、そういった階段には、ぜひ手すりは設置するべきだと思います。
常に手をかけながら登る、いざという時に咄嗟に掴む場所がある、それだけで全く安全性が違いますので。
手すりは大切ですよね。
私の母も階段の上り下りが不自由なため、手すりのある階段でないと上り下りが苦労します。
老人ホームへ行くとたいていは用意されている階段の手すり、手すりがあると歩行に苦労しません。
試しに、70台の方の身体を擬似的に体験できる機械を装着したのですが、全然歩けない。
さながら、妊娠してお腹が重いときに、もう一人の子どもを背中に背負っている状況です。
平地で歩けないのですから、階段の上り下りに大変な労力がかかっているとおもいます。
知り合いの家庭では、自分の両親を1階に住んでもらうことで、階段の上り下りの回数を減らしているそうです。、
また、お年寄りの大半が膝の軟骨がすり減ってしまう変形性膝関節症になっていると聞きます。
高齢化社会に突入している日本として、全ての集合住宅や公共交通機関、さらにはショッピングセンターの通路に手すりが欲しいものですね。
「ね、うし、とら、う、たつ・・・・・・」
小さい頃「干支」を全部覚えた時の喜びは、嬉しいものでした。
まるで「九九」を覚えたかのように。
でもなぜ「ねこ」がいないの?
「たつ」とか伝説上の生き物がいるのに、と不思議に思っていたのを今でも覚えています。