いわしの回答(転記)
名前はその人にとっての思いいれがかなり強いものなので気をつけないといけませんね。
年賀状で毎年、間違った名前で送られて来るものがあります。
変更が無くても、時には見直すことが大事かもしれません。
大切ですね。わたしの名前は、普通に読めない当て字だったりするので、初対面の人はまず読めません。ので間違われてもいちいち腹をたてることもありませんが、人によっては失礼と感じることもあると思うので、気をつけたいですね。漢字は旧字体などもあるのでなかなか難しいですね。
平日の夜には中々時間が取れないので、ゆっくり映画を見るには週末が最適です。私は主にDVDで鑑賞しますが、特に長い作品や頭を使う作品はコーヒーでも飲みながらリラックスしてみたいものです。映画を見終わった後、少しぼんやりとする余裕があるのが心地よいですね。
うちでもこんな感じの色違いの醤油・ソース差しを使っていますが、
http://www.bellemaison.jp/100/pr/4402009A1/821982/
「関西ではフタが赤いのは醤油、黄色いのはソース」というのは初耳でした。でも、ここにさらに刺身醤油が加わったりしたら混乱しますね。
瓶を振ってみると、一般にウスターソースより醤油の方が泡立ちやすいので、それで見分けることが出来ますが、これもお行儀が悪いですね。だいいち泡立つまで振ったら醤油やソースの風味が悪くなりそうです。
やはり食はコミュニケーションによっておいしくなると考えて、気軽に「大将、ソースどっち?」などと声をかけていくのが一番ですね。たまに、「こっちがソースだけど、醤油で食べてみてよ、その方が絶対うまいから」なんて返事が返ってくることもあります。あるいは「最初の一口は何も付けずにいってみてよ」なんて。
こういう料理人と客の「対」も大切ですね。
読みやすい字や綺麗な字を書ける人にあこがれます。
綺麗な字もすごいなと思うのですが急に綺麗な字をなくのは難しいので、私は読みやすい字を自分も書けるように気をつけています。
文字の左右や線と線の間をバランスよくかくと見やすい字がかけるとテレビでしていましたので、それからはバランスに気をつけて書くようにしています。
自分で「よし」と思える読みやすい字がかけたときはうれしいです。
どちらも香辛料です。
辛いという表現は同じですが、味と感覚が違います。
わさびとは
http://www.wasabiya.net/jiten.htm
アブラナ科の多年草で、日本特産。学名は「Wasabiajaponica」。冷涼な気候を好み全国各地の谷間に自生したり、渓流に造成されたわさび田で栽培されて、香辛料や漬物として利用されている。
からしとは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%97
アブラナ科の植物カラシナおよび近縁種の種子から作られる香辛料。黄色もしくは黄土色で、独特の刺激臭と辛味を持つ。大別して、「和からし(和がらし)」と「洋からし(洋がらし)」がある。洋からしは、大きく分け、ホワイト、ブラックの2種になる。日本で単にからしと言う場合には主に和からしを指し、洋からしはマスタードと呼んで区別されることが多い。
辛いという表現は同じでも、こんなにも違いがあります。
人の味覚って不思議なものです。
言葉では簡単に現せないほど、数え切れないほどの味の種類がありますよね。
辛いという表現だけでここまであるのですから、甘い、しょっぱい、すっぱい、などなど合わせれば未知数です。
わさびとからし。
同じ部類に見えて、対なもののような気がします
就寝前のひととき、私は紙の上で空想に浸ります。絵の具のセットを広げ、紙の上に思うがままの絵を書いていきます。そしてその絵に空想のストーリーをつけていきます。
この前書いたのは、大きな半月の手前に、シルエットで浮かぶアラブ風の女の子。少女は半月刀の妖精です。長く戦いのために使われたその刀は、九十九年の歳月を経て、少女の姿の妖精を生み出しました。少女は戦うことを拒みます。
『妾は刀である前に鉄の石だった。悠久の時を土の中で眠る、土の精霊の一人だった。いつしか人は妾を掘り出し、赤く焼いて叩き、半月刀に姿を変えさせた。妾は我を失い、幾多の人々の命を切り裂き、血を吸ってきた。もう嫌じゃ、戦いとうない、土に戻りたい…』
すると月が語りかけます。
『そなたは罪を償わねばならぬ。この後は人の姿となって悠久の時を、戦いの中で彷徨うがよい。やがてこの地より戦いを消し去る者が現れよう。戦いが消え去りし時、武器の使命は終わる。そなたも罪より解放される』
こうして半月刀の妖精の、いつ果てるともわからない旅立ちが始まります…。
なんていう感じで、一枚の絵を書きながら、こんなストーリーを頭の中で思い浮かべます。それが絵本になるとか、まんがになるとか、小説になるとかはありません。絵はごく最近書き始めた自己流ですし、ストーリーも何のまとまりもない完全な空想です。いわば起きながら見る夢。夢の中で見る情景を紙の上に表現する。そんな感じです。
でも翌朝の時間を気にせず、伸び伸びと浸れる空想の時間。楽しいです♪
日本語は、ひらがな、漢字、カタカナがあり、よく考えると3種類もあるなんてすばらしいと思いました。
もともと漢字は中国から伝わり、それがひらがなになっていき…。字の由来になったものもあるし(山という漢字は山の形から来ていたりするし)、研究すると面白そうですね。
教科書に載っていたのを興味深く見ていた覚えがあります。
外国語、特に英語には、筆記体はあるけれど、漢字やカタカナのような表記はないのでしょうか。
暖かいお湯で足湯しています。
凄く疲れたな〜って日は氷を入れたバケツと
温かいお湯を入れたバケツを準備して交互に足を入れ替えてみてください。
私の場合15分ほど実行!・・・(5分でもいいです。)
足のむくみ取りになるし、足には沢山の神経が集まっているから
交感神経に働き大変スッキリします!
足湯しながらテレビを観てゆったりした時間を過ごしています。
スッキリしている時って、家内の空気が大変澄み切って感じるんですね。
rakuten:kurashi-suzuki:767312:detail
私の通っていた小学校でもやっていました。
掃除もたてわり班というもので、1〜6年生までそろっている7人くらいで1グループでした。
当時5年生だった私は1年生の女の子と仲良くなり、学内の郵便で手紙を出したり、卒業してからも手紙をやりとりしたりしていました。
手紙が届いたよーと言われるのが嬉しかったです。学年を越えた交流も楽しいものでした。
字って 書かないと すぐ忘れちゃいますよね。
特にパソコンの普及で、書き方を 忘れてても 文字が入力できますからね。
無理に書くのは大変ですが、パズルで 頭を使いながら書くと 意外と 取り込みやすいです。
ナンプレは カナのと漢字のものがあり、その漢字のほうをやるといいです。
いろんな熟語を 覚えられる上に、漢字の書き取りもできますからね。
字を丁寧に書くようにすれば、少しは 字がきれいになるかも。
猫と暮らすようになって、人と猫もちゃんと心を通い合わせられることはわかりました。でもやはり言葉が通じないせいでしょうか。本当に意思疎通が出来るほどにコミュニケーションできるようになるには、若干のウォーミングアップ時間が必要のようなのです。
膝に抱き、撫でたり、見つめ合ったり、顔を近付けたりしながらスキンシップ。猫の方も、頬ずりしたり前足をムニムニ動かしたりしながら喉をゴロゴロ。こうしてお互いの気持ちが少しずつ近付いていくと、ある臨界点を超えたあたりで、急に言葉よりもはっきりとした意思が、表情で読めてくる感じがしてくるんです。
そこまでに至るには、やはり最低30分は必要です。普段の日は時間に制限がありますから、やっとそういうウォーミングアップが終わったあたりで、もうお開きです。でも週末ならお楽しみはこれから。普段深く語り合えない(?)埋め合わせをするように、この時とばかりに交流を深め合います。
こういう時間無制限でペットと「語り合う」時間を持つことは、ペットの健康管理のためにも、とても大切ではないかと思います。物言わぬ動物の変化は人間が気付いてやらなければなりませんが、忙しい日々の中では、毎日見ているようで、実は細かい所までは、なかなか目が行き届いていないことが多いと思うんです。週末だけでは少なすぎますが、それでも、じっくりと心を通わせ、心ゆくまでコミュニケーションしていく時間を持つことは大切だと思います。
動物は癒しのオーラを発していると言いますが、ゆったりのんびり猫と過ごす時間は、私も本当に癒されます。最近は週末の夜遊びよりも猫と過ごす時間が楽しみになり、友人には、よほどに深い付き合いの女性が出来たと思われているようです。相手が人間でないということを除けば、あながち間違いではありません(笑)。
この2文字は、よく比較対象(比較対照)されます。
しかし、本来「ひとつ」のものです。
「心」は、どこにあるのか?
よくそんな質問が飛び交いますが、
答えはありません。
答えのない質問もあります。
この2文字が意識されないほど「できた人」になりたいですが、
まだまだ自分は未熟ですね・・・。
心と体は対の、一つのものですよね。
気持ちが落ち込んでいると体も元気がなくなります。
うれしい気持ちでいっぱいだと体にも元気がわいてきます。
疲れているときに「大丈夫?」とか気持ちのこもった言葉をもらえるとうれしくて疲れがどこかに飛んでいったりもします。
体がしんどくても元気に「よし、こうしよう」と思えると行動力も出てきます。
元気な気持ちで日々いられたらいいなと思います。
対のもの・・・ということで思いたったもの。
紅茶とコーヒー。
両方とも心安らぐ大事な飲み物です。
でも飲むときは使い分けます。
一人で飲むときはコーヒー。
皆で居るときは紅茶。
大きな理由は無いのですが、一人のときはゆっくりコーヒーの香りを楽しみ、皆で居るときは、紅茶でのんびり飲みたいという気持ちです
どちらもよく飲みますが、自分は大抵の場合はコーヒーで、何か特別なケースでは紅茶という感じです。
私もみんなで飲む時は紅茶というケースが多いと思います。2〜3人程度ですと、個々好きな物を飲んでいる気がしますが。
「人材」という言葉(字)
私は、この言葉が好きではありません。
正確には、あまり深く考えずに使ってました。
会社では、当たり前のように使う言葉です。
最近は、「正社員」の採用よりも、「人材派遣」「アウトソーシング」に採用の中心が移りつつあります。
これは、「最近」というより、「バブル景気」の頃から始まってますね。
この傾向については、会社側のリスク回避などの問題で、ここで取り上げるつもりはありません。
私が、「人材」という言葉(漢字)が嫌いになったのは、以前勤めてました会社の上司の影響です。
私が、「レポート」のなかで「人材の育成」などと書いたのを見て、
「二度と、私の前では、この言葉は使わないように」と言われました。
その時は、心外でした。なにが間違っているのか気付きませんでした。
あとから、上司に質問して「なにが、おかしいのでしょうか?」と聞きました。
すると、上司は「材の“きへん”が嫌いで使いたくない」と言いました。
確かに「材」は、「材料」の「材」です。
「ひと」は、「材料」ではありません。
それ以来、その言葉は私のなかでは、「死語」になりました。
ですから、「人材派遣」などの文字を見る度に違和感を覚えます。
たまに、「人は、人材ではなく、“人財”です。」というのも見ますけど、
「ひと」は、「お金」ではありません。
他にも、その上司から学んだことが、山ほどあります。
いい上司に巡り会えて本当に良かったと思っています。
この件を私のブログで紹介しましたら、読者の方からコメントを頂きました。
完全な造語ですが「人在」なんていかがですか?
「人在」・・・いいですね!「ひとの存在」・・・いいです!
確かに、いい字です。今でも覚えています。
企業にとっては人は人材。さらにエスカレートして人はパーツ扱い。お前でなくても代わりはいくらでもいるんだよという扱いのことが多いですね。人の生活の基盤を簡単に破壊してしまうリストラや派遣切りの横行にも、人を人として尊ばない、脱着可能なパーツ扱いの意識が見て取れます。
些細な文字の使い方も、それが定着してしまうと、それによって意識がねじ曲げられるということが多々あると思います。そう言う意味で、私は「戦略」という言葉も嫌いです。共存共栄の社会作りのために貢献していく方針ならば、この言葉は不適切です。もちろん「敵」を叩き潰すような方針は持つべきではありません。政府までが「戦略」という言葉を好んで使っているのを見ると、とても情けない気持ちになってきます。考えすぎだと言われるかも知れませんが、憲法が否定している戦争を想起させる言葉を、政府は軽々しく使うべきではないと思います。
同じ空に浮かぶ、太陽と月。
やはり対となる光と闇をそれぞれ象徴するものの一つですね。
昼の太陽と、夜の月、大抵は同種のものを対の存在と考えますが、こういった対極にあるものを対として考えるのは、面白い見方だと思います。
靴やお箸、手袋にくつした、対のものは生活の中にもいろいろありますよね。
どこにおいたかわからなくなって片方だけしか見つからないこととかもあってあわてたりもします(^^;
甥っ子はよく靴下を片方なくすので、同じ柄の靴下を何足か買ってもらっています。
学校に行く前に片方が見つからなくても予備があるのでそれをはいていっています。
学校から帰ってきてからどこかにいった片方探しです(笑)
柄の無い靴下はちょっとさびしいらしくて柄のある靴下のほうが好きみたいです^^
ありますね〜。そしてよく片方だけなくしてしまいますね(^^;
うちの次男もよく片方だけなくすのですが、なぜかいつも右側の方だけなくします。おかげで外側にしか柄のないワンポイントものは左側だらけになってしまいます。
なので、うちでは柄のない靴下あるいは両方とも全く同じ柄の靴下を買っています(^_^;
対のモノとして一番に思い浮かぶのが靴下です。何故かは分からないのですが、よく片一方がなくなってしまいます。そんなにお気に入りというものはないんですが、チョット悲しいですよね。ただ、片一方ずつばらばらの靴下をちゃっかり履いていた母には頭が下がりました。。
週末の金曜日は、仕事終わりに飲みに行くのが定番になってます。
飲みに行く方多いのではないでしょうか?
頑張った日々に、お疲れビールはたまりません!
一週間の仕事のストレスを発散出来るのし、会社の同僚とも深い仲に慣れる良い機会でもありますしね。
華の金曜日ですから、結構な回数で週末は飲みに出かける事が多いです。
夜遅い帰宅でも気にしなくていい唯一の日ですね。
土日を楽しく過ごす為にも、嫌な事は飲んで忘れます!
といっても、今は不景気であまり贅沢に飲みに出かけたりは出来ないので、友人などと一緒の時には自宅で飲んで語ってという事もあります。
一番手軽で、止まりコースだと終電も気にしなくてラクチンです!
うちは神棚が1Fにあります。
2Fに住まいがあります。
こういう場合で、どうしても1Fに神棚を設置した時には、神棚の上に「天」と記した紙を貼ります。
「雲」でもよいそうです。
そして、時々拝みます。
今日もよい1日でありますように。
1階の和室にあるので、天井には「雲」の文字を書いた紙が貼られています。
神棚という性質上、やはり上を人が歩くという形では、失礼な気がしてしまいますよね。
昔は平屋が当たり前でしたから、割と新しい風習なのでしょうか。
最近は、電子メールでやりとりをする事が多くなって
寂しいなと思うことがあります。
確かに楽なんですが
時々は、頑張って直筆で手紙を字を書くことを心がけています
自分が他の人から手紙などをもらった時
直筆の手紙をもらうと嬉しいからです
その人の気持ちがこもっている気がするから・・。
直筆っていいですよね。これだけパソコンや携帯が浸透していると、とても新鮮に感じます。
先日、仕事(サービス業)中に、職場全体のシステムにトラブルが生じ、コンピュータ関連のものが丸1日使えなくなったことがありました。その間、書類から何から全て手書き、職員だけでなくお客様にまで手書きで申込書などを書いてもらうことになりました。もうみんな大変。。。
でも個人的には、常連のお客様たちの直筆の字を初めて見ることになって、この方ってこんな字を書くんだ、という発見の機会を得ることができました。とくに常連中の常連さんでとても気難しいおじさまがいるのですが、直筆は女の子の様な可愛い字で、気恥ずかしそうに書類をもって来られるものだから、以来、それまであった苦手意識がいつのまにかなくなっていました。