イエ・ルポ 2

「正解を教えてくれよ」by id:atomatom


高校生のころの話です。
ぼくは日本を一時離れることになりました。
そのことを一番残念がってくれたのはN君。
彼とは将棋の友達で、彼我の実力もちょうど同じほど、勝ったり負けたりいい勝負でした。
お互いの家に行っては、お互いの家族にあきれられながら1日中将棋を指したりしたものでした。
将棋なんか誰と指しても同じように楽しいんじゃないの。
そう考える方もいるかと思いますが、それがそうでもないのです。
相手が強すぎても弱すぎてもうまくいかないんですよね。


N君には少々気難しいところもあって、だから友人の少ない男でもありました。
そのかわりにいったん打ち解けると太くて濃い友情を感じさせる人間でした。
現在だったらネットを通じて、世界中のどこにいても対局ができるのですが、もう20年以上も前のこと。
しばらく彼とは将棋がさせないなと思っていました。
すると出発間近いある日、彼がうちに遊びに来たのです。
これ、向こうで解いてくれ。
彼が持ってきたのは自作の詰め将棋集でした。20問ありました。
詰め将棋というのは一種のパズルで、王手の連続で王様を詰める、1人でもできる謎解きです。
手紙というものが、読むのは一瞬でも書くのには時間がかかるのと同じように、詰め将棋も作るのにはずいぶんな時間がかかります。
詰め将棋作品は解くのに時間がかかるかどうかだけで評価されるのではなく、置かれた駒の配置の美しさ、テーマ性、意外性など総合的に俯瞰して味わう一種の芸術品です。
もちろん高校生の素人が作る作品ですから、世に誇れるほどの代物ではないのでしょうが、自分のために作ってくれた、しかも海外では将棋を指す相手を見つけるのにも苦労するだろうと察してくれてのプレゼントだったので、ものすごくありがたかったです。
その詰め将棋ですが、ひと目で解けたのもあったり、2日ほど考えないと思いつかない盲点を突いたものもあったり、十分楽しめました。


ですが1問だけ、解けていないのがまだ残っているのです。
どうしても正解手順がわからない。
江戸時代には将軍に詰め将棋作品を献上するという慣わしがあり、伊藤看寿が「将棋図巧」という詰め将棋作品を残しています。「詰むや詰まざるや」というキャッチコピーがこの作品集には冠せられています。つまり詰まないものも含まれているのです。
もしかしてN君、将棋図巧のひそみに倣って、不詰めのものも紛れ込ませたのかな。
将棋ソフトを使えば正解手順のあるなしはすぐにわかります。プロ棋士に解いてもらうという手もあります。
ただ、そんな無粋なことはしたくありません。
自分で解くか、N君に教えてもらう、この2通りしか考えられません。
ただ、N君とは事情があって連絡が付かなくなっているのです。
いつかどこかでもう一度N君と会うことができたら。
「お前の作った詰め将棋の8番、正解を教えてくれよ」
ニヤリと得意そうに笑うN君の顔を想像しています。