「学校を去ろうとしていた最後の日に・・・・」by id:TomCat


私は、学校という所に馴染めない生徒でした。中学時代から粗暴な行動が目立っていた私は、色々な経験を経て、高校の後半でやっと立ち直りました。しかし、いわゆる不良だった生徒がそう簡単に学校に馴染めるわけもなく、当時の私は学校をやめることばかりを考えていました。


そんな時、ちょっとした夢を掴んだんです。この道で生きていきたいという、ちょっとした希望を見つけました。今考えれば、それは学校をやめたいという気持ちを説明しやすくするための、自分への言い訳だったんだと思います。新しい夢を見つけたと前向きな自分を演出することで、現状から逃げ出す理由を作る。今思えば、そんな心理だったんだろうと思います。しかし、私は自主退学を決意しました。


そして終業式。学年主任の先生とも担任の先生とも何度も話し合いを重ね、その日に退学届けを提出する、という段取りになっていました。


教室での担任の話が終われば、もう私は卒業を待たずにこの学校を後にします。担任が「終わります」と締めくくりの言葉を言うと、とたんにみんなの間に開放感が広がり、歓声が上がりました。私一人が椅子に座ったまま、視線下げていました。


担任が、「すまん、もうひと行事、これから記念写真を撮るんだ。ちょっと机を後ろに下げてくれないか」と言葉を続けました。私も立ち上がって、みんなと一緒に机の移動。これがこの学校で行う最後の共同作業かと思うと、ちょっと寂しくもありました。


机を戻して、これで正真正銘、全ての行事が終了です。この後職員室に行って退学届けを出せば、もうこの学校に来ることはありません。教室を後にして階段を下りかかると、そこで隣のクラスの友人と鉢合わせになりました。


「お前、今日で最後か」
「ああ。もうここに来ることはない」
「寂しくなるな」


ここまでは何の変哲もない、普通の会話でした。
しかし私が、
「せっかく撮った記念写真も、見ることはなさそうだよ」
と言うと、そいつは、
「え? 卒業式でもないのに記念写真か? うちのクラスはそんなもの撮ってないぞ」
と言うのです。その時、はじめて気が付きました。あれって、今日でここを去る俺のために、俺のためだけに撮ってくれた写真だったのかもしれない!! と。


慌てて職員室に急ぎました。担任の机の前に行くと、担任も階段で出会った友人と同じように、
「これで最後だな」
と声をかけてくれました。ここでポケットから退学届けを出せば、全ては完了です。でも、私の心は揺れ動き始めていました。
もしこの先生が、今日で学校をやめていくたった一人の生徒のために、わざわざ記念写真を残そうとしてくれたとするならば・・・・。


私は、
「だからさっきの記念写真を?」
と問いました。
すると担任は恥ずかしそうに頭を掻きながら、
「だって淋しいじゃないか」
と・・・・。


私はしばらく立ちつくしました。生徒一人一人を深く愛する、そんな担任の思いがズシリと胸に響いて、なかなか次の言葉が出てきませんでした。やっとの思いで口を開いた時には、
「やめません。俺は本校の生徒でい続けます」
と言っている自分がいました。自分でも意外な決断でした。あれほどやめたいと思い続けていた学校が、今はこんなにも愛おしい。自分でその変化に驚きました。そして、強硬に退学の意志を主張し続けていた手前、こんなにも簡単に意志を翻してしまったことに赤面しました。もう、恥ずかしくて恥ずかしくて、そのまま消え入りたい気分でした。でも担任の、いや、この恩師の思いが、そんな気恥ずかしさを全て拭い去ってくれました。


「お前、夢はあきらめたのか」
先生はそうおっしゃいました。私は、
「いえ、先延ばしするだけです」
と答えました。しかし実際には、今まで気付かなかった、気付くことが出来なかった、学校という場所に隠されていた素晴らしい希望を、この時、見つけたんだろうと思います。


「そうか。保護者の方には?」
「いえ、今決めたことなので・・・・」
「そうか!!」
先生は私の手をぎゅっと握ってくださいました。
「お前、今さら学校やめないって家に帰って言えるか? 恥ずかしいだろう」
「恥ずかしいです。めちゃくちゃ恥ずかしいです。どうしたらいいですか」


先生も私も、泣きながら笑っていました。ここから後の私の高校生活は、本当に輝きに満ちたものになりました。この先生のお陰で、今の私がいます。数学のK先生。忘れられない恩師です。


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