いわしの回答(転記)
小学五年、六年生のときは、やたらと宿題がありましたね。
漢字 200字、大学ノート1ページに自主学習、日記。これが毎日の宿題。
ただ、金曜だけ その宿題は お休みでありませんでした。
これは ホント毎日で、夏休みも例外なくありました。
夏休みは 金曜 お休みかどうかは 忘れましたが・・・。
たしか、40ページやらないといけなかったような記憶がありますが・・・。
それに 夏休みの友とかも わんさか。
たくさんありましたが、ふまじめだったので、テキトーにやってた記憶がありますね。
今の時期に思い出す。これのついた学校がすごく羨ましかった。当時母校には無く(今はあります)近くの学校で1校だけ備えていたので、間借りに行きました。やはり綺麗な水で泳ぐのが好きです。
新学期になって転校生が入ってきたらうれしかったものです。まず、噂が流れるんです。転校生が来るらしいぞって。男か女か、どのクラスに編入されるんだろう。みんなワクワクするわけです。自分のクラスに入ってくるってことがわかった瞬間、もうクラスはお祭り騒ぎです。
小学校のときに八重歯の可愛い女の子が打ちのクラスに入ってきたときは、すぐにクラスのアイドルになったものでした。
あんなにチヤホヤしてもらえるんだったらと、転校に憧れもしました。
中学の時の美術の先生はよく油絵を描くところを見せてくれました。
その先生自身、個展を開くくらいの腕前で風景画などよく描いてましたね。
普段は結構くだけた感じの先生だったのですが、絵を描く時はまた違った感じで
真剣そのもの。空気が張り詰めた感じでした。
○絵には独特の雰囲気というものがあって
不思議な世界!・・
後年小生も1回だけですが個展を開いたことがあった!・・ラッキー!・・
でも、絵の世界って寂しいものですよ。・・
小学生の頃に、放課後担任の先生に呼ばれて怒られるのかとびくびくしてました。
そしたら「おまえは落ち着きが無いけど、頭がいいから勉強すれば県内一の高校に行って、県内一の大学にいける」
と言われました。
その言葉を聞いてすごくやる気になって、県内一の進学校には入れました。
その頃、先生は本当にそう思って言ったのか今では疑問ですが、その言葉ですごいやる気が出たのは確かです。
県内一の大学には入れませんでしたが。
先生の一言でやる気が出たりなくなったりしますよね。
私は逆に小学校3年のときに先生の一言でやる気がなくなった事があります。
「才能がなければ努力してもね…」
みたいなコトを言われました。
先生のいう事って子供にとっては重要な一言なんですよね。
小学生のとき、ある生徒の縄跳びが切られるという事件がありました。
学級会では誰がやったのか、という論議になり
ひとりふたりと生徒が「〇〇さんがやりました」といいだしました。
「ぼくも見ました」「私も見ました」
ほぼクラスの全員が。
〇〇はわたしで、身に覚えがなくて私は泣きました。
が、その縄跳びが切られた事件のあった日私は欠席していたんですね。
先生がそのことをみんなに言うとみんなはだまってしまいました。
結局、本当の犯人は見つからなかったし、クラスの全員が口裏を合わせていたという感じで問題になりました。
当時のその先生は、その一件からよく気にかけてくださいました。
大好きでした。
その後娘さんが白血病になってしまい退職されてしまい、まったく音沙汰なしですが
先生だけは私を信じてくれていつも親身になってくれたのが今でも忘れられません。
今の時代にも共通する問題ですよね・・・。小学校くらいというと、善悪の判断がまだ乏しい時期ですし、子供の側には無邪気な反抗心とかあったり・・・。それにお小遣いがそうそうない時期だから、何かと物が無くなったり、集金がなくなったとか、ちょっと嫌な思い出も出てきますね。
canorpsさんの担任の先生は、ちゃんと事実確認して人(子供たち)の声に流されない、ちゃんと物事を判別してくれる先生だったのですよね。連絡が取れなくなった今では、その後のご様子は想像するしかありませんが、娘さんとの良い人生を歩まれてらっしゃるといいですね。
特に足が速いわけではなかったので運動会って憂鬱でしたね。
特に行進の練習が嫌で嫌でしょうがありませんでした。
兵隊みたいになんで規則正しく歩かなくては行けないのか疑問でしょうがなかったです。
協調性を養うとかの理由らしいけど、見に来る親しか喜んでませんでしたね。
運動会が終わるとやっと行進の練習しなくていいと思ってほっとしました。
中学生の時のことです。英語のA先生は若くかわいい先生で、男子生徒の憧れの的でした。
数学のB先生は、男にしては小柄で、しかも童顔だったので、いつも生徒から「ちゃん」づけで呼ばれるような先生でした。でも気さくな先生なので、時には男子生徒の恋愛相談などにも応じてくれるような、頼れる兄貴的存在でした。
そんな二人が付き合っているという情報が飛び込んできました。えー、嘘だろう、まじかよ、俺A先生好きだったのになどと、男子は大騒ぎです。そうこうしている間に、なんと二人が結婚するという話が飛び込みました。
日頃B先生に青春お悩み相談(笑)で世話になっている仲間が集まって、校内で祝賀集会をしようではないかという話がまとまりました。女子も数人参加して極秘の実行委員会を結成。女子がA先生と接触をして二人の都合のいい日を聞き出し、男子が校長先生にかけあって教室の使用許可を願い出ました。すると、なんとその結婚の仲人は校長先生だということがわかり、校長先生も校内サプライズパーティーに大賛成してくださいました。そこで校長先生も極秘の実行委員の名誉会長となって、一気に実施に弾みがついてきました。
いよいよ極秘パーティーの当日です。その日は日曜日でしたが、特別に校内の使用許可をもらっています。午前中、主だったメンバーで使う教室(音楽室)の飾り付けを行いました。午後からは、まず生徒が集まって段取りの打ち合わせです。そろそろA先生とB先生がやってくるという時間になって、後門の前にみんなで並んで待ち受けました。やってきた二人を拍手で出迎え。かなりの大人数だったので、それは盛大な出迎えになりました。女子が二名、それぞれA先生とB先生に花束の贈呈。その後音楽室に移動して祝賀集会が開かれました。仲人の校長先生にご挨拶をいただき、ジュースで乾杯。続いて友人(特に親しい生徒)のスピーチです。聞きかじっていた結婚式の披露宴のまねですが、A先生B先生の面白いエピソードが色々出て笑えました。そして、A先生、B先生それぞれから、お二人が結婚に至った動機などをお話しいただきました。中学生がはじめて聞くナマの恋愛の話に、みな赤面しながらも聴き入りました。そして、愛し合うことのすばらしさを熱を込めて語ってくれるこのすてきな二人に感動しました。女の子なんか数人、泣いてましたね。そのあとは即興の隠し芸などをして、楽しく過ごしました。
私たちはこの先生方の結婚によって、純粋に愛し合うことのすばらしさを知りました。まだ恋愛を知る前に、理想の恋の姿に触れることができました。遊びではない、ゲームではない、二人の人生を重ねていくような真剣な愛し合い方を知ることができました。私はまだ未婚ですが、いつかA先生とB先生のような恋愛の末に愛のある家庭を築きたいと夢見ています。A先生、B先生、ありがとうございました。先生方は、何よりも大切なことを、私たちに教えてくれました。
お二方の結婚話は噂でなく事実で、とても誠実なお付き合いだったのでしょうね。校長先生が仲人兼極秘会議の名誉会長とは、校長先生もノリがいい!
中学の頃だったら、まだまだ恋愛や結婚ってどんなことなのか、今から比べたら10分の1も理解していなかった気がします。でも、素直に愛し合う姿の素晴らしさを教えてもらえたというのは、素敵なことだと思います。
きっと同級生の方々も、同じ思いを共有されたんじゃないでしょうか。当時のご友人との同窓会の話題にも、花が咲きそうなハッピーウェディングですね(*^▽^*)
はじめて、教育実習生をみたとき
こんなに若くて素敵な先生が自分たちのクラスに??
と、大騒ぎをしたのを覚えています。
最後には、生徒がみんなそれぞれに考えたプレゼントを渡していました。
私も、かわいい折り紙で作ったものをあげていました。
先生は泣いて喜んでくれて、今でもそのときの優しい笑顔をはっきり覚えています。
小学校の頃の担任ですが、絶対に喧嘩を途中で止めることをしませんでした。
お互いに納得するまで、休み時間が終わって授業時間中に入ってもやらせていました。
今だとちょっと問題になりそうな感じもありますが、そこまで徹底的にやらせてもらえば
喧嘩をしていた子も自然と仲直りしてましたね。
今だと親がどなりこんで来そうですね。
なんで先生が見てて止めなかったんですかって。
私のところは年配の先生が不良の喧嘩を止めようとして息が上がってしまい、
喧嘩をしてた不良に逆に心配されてたのを思い出します。
小学校の時の保健室の先生が好きでした。
いろんな話を聞いてくれる先生でした。
娘も保健室の先生にはいろいろ、お世話になって口です。
保健室の先生が厳しくて、保健室に行きづらい雰囲気だとちょっと困りますね。
学校の給食、コッペパンかご飯に牛乳、それとおかずとたまにデザート^^
家で食べたことの無いおかずが出たり、好きなおかずが出たり、フルーツポンチがあったり。
年に何回か牛乳がコーヒー牛乳になる時も嬉しかったです。
キライなおかずもあったのですが、残してはだめなので飲み込んでいました(^^;
給食当番で食器やおかずの入った入れ物を取りに行く係りは重要な係りだった気がします。
一階から自分のクラスまで階段で上るので落とさないように・・・階段のとちゅうでカレーを落としてしまっているクラスもありました;;
他にもこぼしてしまうこともあったのだと思うのですが、カレーだけ印象深いです・・・匂いがしばらく落ちないからでしょうか(^^;
今は残したものは食べなくてもいいそうなんですが、それは食べ物がもったいないんじゃないかなと思います・・・。
セロリなんて家では食べたことなかったので、給食で初めて出合って、なんじゃ、これはと思いましたよ。
給食はメニューもそうなんですが、食べるときの雰囲気も楽しかったですよ。班ごとに机をくっつけあって、給食の時間にだけかかる音楽プログラムもスピーカーから聞こえてきて。
みんなで食べる食事ほどうまいものはないっていうのを学びましたね。
中学の頃のクラス担任に、数学担当の先生がいました。
男の先生で、性格も顔もなかなか面白くてユニークな方でした。
ホームルームで自分の好きな音楽を聞かせてくれたり、
数学の授業中には、自分が顧問している野球部の生徒を指し、
何やら手ぶりでサインを出して正解するかチェックしたり(数学じゃないよ?)。
ほのぼの・ワイワイと楽しい雰囲気を作ってくれた、クラス担任でした。
ある日のホームルーム、『将来の夢』について語りなさいというテーマで、
逆に私達の方から、『先生はどうして数学の先生になったの?』と質問返ししました。
先生はムフっと一瞬笑い、次のように語りだしました。
『先生が大学に進学した時、どの科目の先生になるか選択できたんだ。
その時、数学の教授がな『数学を選ぶと女の子を上手く口説けるぞ』と言ったんだ。
数学というのは数式とか図形の「証明」問題とか出てくるだろ。
その応用で『君はこうこう、こういう理由で僕と結婚するのが良いんだよ』
と「証明」という「口説く論理力」が付くのだ?!って豪語していてな・・・
その教授の口車に乗って、先生はまんまと数学の先生になったんだ(笑)』
そんな話を聞かされて、真面目に将来の目標を考えていた私たちからは、
『え???っ、そんな理由で数学の先生になったの?!』と、大笑いされていました。
でも実際に、そのクラス担任の数学の先生には、
と?っても美人で優しい奥さんがいて、可愛いお子さんまでいらっしゃったので、
中には、同じ理由で将来は数学の先生になろうかな・・・なんて言いだす同級生もいました。
ところが・・・後日談もありまして・・・。
数年後の成人式。
その中学校で行われたので、当時のクラス担任も勢ぞろい。
例の数学担当の先生に当時の話しをしたら、こんなお返事が返ってきました。
『あ?、あの大学の数学の教授はなぁ・・・
実は未だに結婚していないんだ・・・(笑)』
この話を聞いた数名の男子学生が、教職に進む選択肢から、数学を除いたそうです。
ホームルームで自分の好きな音楽を聞かせてくれたり、
数学の授業中には、自分が顧問している野球部の生徒を指し、
何やら手ぶりでサインを出して正解するかチェックしたり
>こんな先生にあたってみたかったです!
先生も教え子の男子もまっすぐで可愛いwとおもいました。
今ではお亡くなりになった中学3年生のときの担任教師に今は感謝しています。当時は悪さばかりしていた私を見捨てず何度も何度も熱く接してくれたことを今でも覚えています。今ではその時の先生の教えを糧にして生きています。今はもう会えませんが感謝しています。ありがとうございました。
今考えると昔の先生ってむちゃくちゃな人多かったですね。
小さな教卓の後ろでズボンを履き替えてた先生とか、
生徒にチンカスというあだ名をつけた先生なんか、
今だと問題になりそう。
高校のときにクラスの目標を決めることになったのですが、私のクラスはそういうのはすごくやる気のないクラス。
先生一人はりきっていました。
他のクラスが、クラスの平均点を5点あげる、1日1回人の役にたつことをするとかまじめな目標をたててたのに、
私のクラスだけは爪を切るというどうでもいい目標となりました。
あの時、ああなっていれば。あのボールが、こうなっていれば。ふとした時に、未だにたらればの想像が膨らんでしまいます。
もっと練習しておけばよかったとか、もっと勝ち進みたかったなとか。
部活の顧問の先生には、今でも感謝。