「いくらケンカしても・・」by id:hanatomi


うちのおばあちゃんは、強烈でひどい性格で親戚でも有名?だったらしいのです。
家でもこんな感じでした。
例えば、ふすまがきっちりと閉まっていないと、大声で閉めてくれと叫ぶのですが、私が乱暴に閉めてしまうと物を投げてきたりするんです。(小学生の頃です)

(^_^;)
いつも子供相手に本気なんです。
(誰相手にも本気。)
向こうが冷蔵庫のそばにいると、マヨネーズを投げてきたり、もうびっくりします。
ちなみに他の家族は誰も人に物を投げたりしません。(^_^;)
長寿だったのですが、年をとるにつれて、これはどの人にも当てはまることなんですが、頑固になったり、疑い深くなったりして、
例えばコタツが壊れたら、hanatomiが壊したんだろうとか、
クリームが、減ったように感じたらhanatomiが使ったんだろうとか言うようになりました(^_^;)
だけど、違うよ。と言うと、2,3日して、私の机の上に新品のハンドクリームが置いてあったりするんですよね。(私はハンドクリーム使わないんだけど買って来てくれたみたい)
そして、それに気がついた私が、振り返っておばあちゃんの方を見て、目が合いそうになるとあわててテレビを見るふりをするんです。(笑)
あー。悪い事したと思ったんだな。と思ったんだなって、かわいいなと思ってました。

ケンカも山ほどしましたが、今思えば遊んでくれてたんだろうな。

高校のとき、おばあちゃんは80歳くらいだったのかな。
体調を崩して、病院に運ばれて、死んでしまうんじゃないかと思って心配で心配で、神様に、「勉強も何でもがんばるから、いい子にするから、おばあちゃん、100歳まで生きてください」って日記に書いたんです。
そしてそんなことは忙しくなって忘れてしまっていました。

就職してすぐ私は一人暮らしをしたのですが、いつもおばあちゃんが気になっていて、ゆっくりできる休日がとれると車で実家に駆けつけて、一緒にあちこち散歩していました。おばあちゃんお散歩に行こう。というと、
歩けないからいけないよ というので、
車椅子で連れて行ってあげるから。というと、
いいのかい。ということば。
いいよいこう ^-^。
それがいつもの会話でした。
よいしょとおばあちゃんを車椅子に乗せて、
おばあちゃんと一緒に、小さい頃買ってもらったいか焼きやさんや、みたらしだんごやさん、今度は私がおばあちゃんにしてもらったようにおばあちゃんへ。

そういう日々も永遠には続かず、だんだん何も判らなくなって、そのうち、外に出かけても、20分くらいで、「もう帰ろう」というようになりました。
hanatomiが連れて行っても、hanatomi姉に散歩に連れて行ってもらったんだよ。と話していたり。
10分経ったら忘れていたり。
それでも、いっしょにいれるだけで嬉しかった。

結局おばあちゃんは100歳で亡くなりました。
長生きでよかったねと、おばあちゃんの生まれた静岡の富士山を菊で描いて、花いっぱいのお葬式をしました。
それから何年も経った後、私が社宅からの引越しの荷物を整理していたときに日記が出てきました。
パラパラ、めくってみると、「神様へおねがい。」とおばあちゃんの事が書いてありました。
そんなこと書いたことは、書いて以来忘れていました。
それを読んだ時、へとへとになりながらも何年も生きたおばあちゃんを思い出しました。きっと、神様はかなえてくれて、おばあちゃんも私のお願いのために100歳まで生きてくれたんだ。
なんとなくそう確信できて、いつもケンカばっかりしていたおばあちゃんの愛を感じて涙が止まりませんでした。
最後の方は息をするだけでつらそうだったおばあちゃん。
きっと、私が悲しむから、私が心細くなるから、私が別れたくないと思っていたから、長生きしてくれたんだ。

いじっぱりで、意地悪で不器用で、喧嘩っ早いおばあちゃんだけど、芯はいつも優しかった。

今思うともっといっぱいケンカしたかったなぁ。
そして、もっといっぱい優しくしたかった。
文句いっぱい言いながら、もっといっしょにみたらしだんごや、おはぎ、たべたかったなぁ。
そんなことを思います。


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