いわしの回答(転記)
最も大きな地球の危機は「戦争」です。ひとたび戦争が起きれば、全ては火の海です。通常兵器だけでも、京都議定書など吹っ飛んでしまうくらいのCO2が排出され、森林は焼かれ切り倒され、大量の動物が殺されます。戦争の前には、自然環境などひとたまりもありません。
ベトナムで、どれだけの貴重な森林が破壊されたでしょう。森林には敵が潜むという理由だけで大量の枯れ葉剤が散布され、焼夷弾が投下され、貴重な緑と自然環境が失われました。
アラブの戦争で燃えた油田は、どれほどの煤塵と窒素酸化物とCO2を排出したでしょう。流出した油は、どれほどに海洋を汚染して、海洋生物や海鳥たちが犠牲になったでしょう。
戦争を放置しておいたら、どんなにエコを叫んでも、全ては無駄。焼け石に水。戦争は、国家が行う最悪の地球破壊です。
これをやめさせる。どんな理由があっても、戦争だけは絶対にやめさせる。戦争には一切の正義を認めない。戦争を指向する政府の過ちは絶対に見過ごさない。そういう確固とした思考基準を、一人一人がしっかりと持って日々を暮らしていくこと。
もし日本が攻撃されたら? そんな「究極の選択」を迫られた時でも、「その前に一切の軍事衝突を避ける外交政策がとれる政府を選挙で作る」とキッパリ答えられる価値基準を、暮らしの中に確立していくこと。
ゴミを拾い、植物を植え、こまめに電気を消し、リサイクルに精を出す。そんな地球のための行いの都度、「もし戦争になればこんな努力は全て水の泡だ」「これが無駄にならない平和を作ろう」と自分に言い聞かせていくこと。
そしてその気持ちを、暮らしの総決算としての「選挙」に活かしていくこと。これがものすごく大切だと思います。
平和は政治が作ります。しかし、政治は暮らしの中から作られていくんです。少数の有名人政治家が作っていくんじゃない。私たち一人一人の生活の実感が選挙に反映され、それによって国というものは動いていくんです。
究極、平和は私たち一人一人の暮らしの中から作り出されていきます。資源ゴミの分別一つの行動の中にも、その努力を無駄にしない政府とはどんな政府なのかと。それを真剣に考えていく庶民でありたいものだと思います。
母が「こうやっておくと葉っぱが育って食べられるのよ」と大根の頭を水栽培していたのを思い出しました。ネギはそのまま置いてもどんどん伸びますね。以前それならと植えておいたらかわいいネギ坊主ができて、ネギも生きているんだなぁとうれしくなったことがありました。
今私は鳩のエサから麦だけとって、それをたくさんまいています。しばらくたつと柔らかい新芽が出てきます。猫のサラダ用ですが、そのまま育てると立派な麦になります。猫も麦もかわいいです。
動物愛護や環境保全などは動物や環境のためにという事がおそらく根幹にあるのだと思うけれども私は「へんないききもの」を読んではっとさせられました。動物や環境というのは守らなければならないのは他でもない自分のためなのだと言うことです。地球は複雑な連鎖の上で成り立っています。そしてある一点でその連鎖がとぎれたら他の連鎖も無くなり結局自分自身に返ってくるそうです。自分のために動物や環境を守ろうと考えると動物愛護や環境保全は劇的にその見方が変わります。道徳的なものではなく大変利己的なものになります。私はこのことは決して悪いことだと思いません。コモンセンスではなく自分がよいと思うことを実行できるからです。
長くなってしまいましたが結論「自分のために環境を守ると意識する」のが地球のためのよい暮らしかただと思います。
以前、エコはエゴから始まると言っていた人がいました。悪い意味ではなく、castironさんがお書きになったと同じ意味です。
世の中には公害で尊い命を失った人や、木のなくなった山が崩れてその犠牲になってしまった人や、誤った護岸工事で氾濫した川に飲まれてしまった人や、豪雨で流れ道のない水が溢れて蓋が開いてしまったマンホールに落ちてしまった人や、山から下りてきた動物に襲われてしまった人などがたくさんいます。それはみな突き詰めれば人が自然を壊してきたことが原因だと思います。
悲しい災害や事故を無くすためにも、自然を守っていくことが大切ですね。ましてや子孫のことを考えたら、今みたいなことをしていたら取り返しがつかないと思います。
地球にいい行動はたくさんあります。でも、自分の日常の中で何ができるかと考えると、今の自分の生活の中では難しそうなことが多く、なかなか実践に踏み切れない状態でした。
しかし「イエはてな」がきっかけになって色々な人の体験や意見に触れていくうちに、家でも友達とでも、ここで見たことを話題にできる機会が増えて、だいぶ世界が広がってきました。
今はまず基本的な電気やガスの節約と、使い捨てない物の買い方の工夫に手を付けています。少しずつ色々な考え方と方法を取り入れて、いつか自分から情報を発信していけるようになれたらと思っています。
環境初心者の私の「地球のためにいい家、暮らし方」は、まず話し合い、多くの人の体験を聞くことからスタートです。
私も一人では何もできないという気持ちが強いですが、家族や友達と話し合えると、そうだ自分にもできるんだという気持ちにまれますね。地球にいいことは楽しい。楽しいことはみんなでするともっと楽しい。そこがポイントですね。
自然保護団体に入会して、そこを応援することで少しでも自然のために貢献できるようにしています。
こちらに入会しています。ここは尾瀬の保護活動をしていた団体が全国規模に大きくなった所で、環境省認可の財団法人ですが、もともと登山家や生物学者の人達などで作られた団体なので、政府の紐付きではなく、政府相手でも言うべきことは堂々という団体です。
政府の紐付きでないので資金が乏しく大変なようです。私は時々「環境残業」と名付けて、残業代を寄付しています。こうすれば残業も自然を守るための仕事になります。
http://www.wwf.or.jp/news/magazine/index.htm
こちら(WWF)は入会はしていませんが、ずっとメールマガジンを購読しています。署名などのお願いがくることがあるので、そういうものにはできるだけ協力するようにしています。
バナナの生産地レポートを読んだことがあるんです。マレーシアかどこかでした。バナナは見た目をキレイにするためひどい量の農薬を散布する必要があり、農場主は目が見えにくくなったり、神経痛になったりするため、毎日錠剤を数十錠飲んでいたそうです。家族は農場に入れられない状態だったと書いてあったんです。
(この話、前にも書いてしまっていたらごめんなさい。)
その後、無農薬バナナの栽培に取り組む日本の団体に後押しされて無農薬安全バナナを作ることにしたそうなんです。害虫の駆除は手作業。土作りなどにも手間がかかるようになったそうですが、おかげで健康になったそうなんです。家族も総出でバナナの管理に出向き、今は農園で家族で過ごす時間が多くなったと。
そして、文の最後に、【これを買ってくださる皆さんがいるから私の生活が守られている】とあったんです。
なので、野菜やバナナ、果物を買うときは、高くとも有機、無農薬、環境配慮のものを買うようにしています。
それがその土地を守ることになっている、そして自分の健康も守っているんだなと思っています。
(バナナやコーヒーは、海外の大企業による搾取も多いと聞きます。)
それと、バナナは好きだし、私にとっては欠かせないものなので買わせていただいててますが
果物はなるたけ「国産」のものを選んでいます。
甘くて美味しい海外のオレンジよりもすこしすっぱくても国産の八朔、いよかん、みかん。
めずらしい品種は弱かったり、環境負荷が高いことも。(薬、生産性、温度管理等)
季節季節に合った昔ながらの品種(柿、びわ、みかん)の方が環境に優しいことが多いです。(野菜も同じく。)
何かの講演会を聞きに行った友人が、バナナ農園の話を聞かせてくれました。出荷先の要求に合わせようとするとすごい量の農薬をまかなければならず、そのための健康被害が深刻だという話ですが、私がショックを受けたのは、それを要求する出荷先のほとんどが日本だという話でした。
日本が無農薬バナナを欲しがってくれれば私たちは救われると力説していたそうです。その無農薬バナナが実現しているのですね。そのバナナが日本中にひろがってほしいです。
現地の人が健康で幸せに働きながら作れるバナナを応援したいと思います。逆に外国に毒を蔓延させて作らせている企業は調べてボイコットしたいですね。
私はOSが変わるたびにPCの買い換えを迫られることが、すごくもったいなくて無駄だと考えています。WindowsがVistaになることで、どれだけのPCが捨てられ、処理費用がかけられ、資源が無駄になっていくことかと考えると、そんなものにほいほいと飛びつくのはまったく知性に欠けると思います。
そこで私は、まず安易にVistaに乗り換えないことに決めました。その間にLinuxに慣れて、近い将来完全にWindowsの世界から離れようと考えています。今はまだ勉強不足なので、いくつかうまくつながらない外付けの機器がありますが、アプリの方は色々なオープンソースの利用で、WindowsでやっていたことはほぼLinuxでもできるようになりました。
今のPCはすごく高性能ですから、OSさえPCに合った物を選んでいけば、壊れるまではずっと使っていけると思います。大切なのはPCに合ったOSを選ぶこと。OSに合わせてPCを買うのは間違い。そのことをLinux乗り換え計画で実証してみたいと思っています。
もう一度声を大にして言いたいと思います。大切なのはPCに合ったOSを選ぶことで、OSに合わせてPCを買うのは間違いです!
本で知った事ですが、ドイツは牛乳はビンでしか売られておらず、ビンを消毒する機械がスーパーに置いてあり消費者はそこで消毒して新しい牛乳を入れるそうです。
缶ジュースも環境に悪い理由から敵視されています。
スーパーなどで雨の日に傘をいれるビニールもありません。
台湾に旅行に行ったときは、コンビニなどは
包装しないのが普通でした。日本より進んでいますね。
日本は「包む」文化が発達していると言われますが、
環境問題においてはその美徳がマイナスに影響しているように感じます。
省資源に逆行するからと、1リットル未満の容器では売らないようにしようという決まり(業界の自主規制?)があったらしいですね。それがいつのまにかなし崩しになって、今やリサイクルにも回らない使い捨てボトルが道のゴミです。
日本の包む文化は贈り物の文化で、お店から裸で買ってきた物を心を込めて自分で包んで先方様にお届けするというのが元々だろうと思います。
最近買い物にマイバッグというのが普及していますが、さらに液体商品はマイボトルで買うなどの発展がほしいですね。焼酎などは量り売りがけっこううけています。
交通基盤が整備されているところとそうでないところは違うと思いますが、私の住んでいるところは無理に車やバイクを使わなくても生活には困らないので、最近はできるだけ徒歩や自転車、電車やバスを使うようにしています。
省エネだけでなく、空気を汚さないようにするためや、温暖化ガス削減のためにも役立つと思いますし、何より自分が加害者になる交通事故を起こさなくて済みますから、家族みんなが徒歩や電車になると毎日がとても安心です。
慣れるとぜんぜん不便だと思いません。たくさん買い物をして両手いっぱい荷物を抱えて帰る時も、はじめのうちは、あーん、車でくればよかった、なんて思っていましたが、今はいっぱい買い物できてうれしいな、という気持ちに変わりました。雨の日に傘を差して歩くのも、今はとても楽しいです。冬は時々暖かい車が恋しくなりますが、寒さの中を歩けるのは冬だけだと思うと、それも最近では楽しく感じられるようになりました。
なぜ自動車について誰も書かないのかと思ったら、下の方でやっと見つけました。車に言及する人がいないのは、車は生活必需品という意識が強いからなのでしょうね。でも自家用車の利用を少し抑えるだけで、日本全体では大変な省エネになると思います。
たしかに地域によっては車がないと生活が成り立たない所もありますが、今はかなり郊外でも徒歩圏内に生活に必要な施設が整い始めています。少しだけ車の使用を抑えて自分の体で町を歩いてみると、自分の地域がよく見通せて、失われていく自然への認識も高まってくると思います。
いつもやっているわけではないのですが、山林の保全作業体験に参加したことがあります。そこで学んだことは、日本に本当の自然の原生林というのはめったにないということでした。鳥の鳴き声が一杯の山の中も、実は人間の手が入っていたのです。
自然は一度手を付けたら、責任を持って保全し続けなければなりません。後は野となれ山となれと言いますが、人間が手を付けてしまった山林は、茂りすぎると日光を遮り、土壌をだめにし、生育の悪い木がただ滅ぶのを待つだけの場所になってしまいます。野原にもなれない最悪の状態になってしまいます。
だから森は手入れしないといけません。その作業が大変です。でも、本当なら自然がやってくれることを人間が代行するのですから、大変なのは当たり前です。
林業が産業として成り立たなくなり、その作業に従事する人が激減しています。このままでは山がだめになり、山にいる動物達が生きられなくなります。クマやイノシシやカモシカが人に危害を与えているというニュースを聞くたびに、また山に手伝いに行きたいという気持ちに駆られます。
を出来るだけ利用しています。
ゴミとしてもかさばりませんし、買い物時や保存時も場所をとらないので利便性もあると思います。
ただ不思議に思うのは時々スーパーなどでは同じ商品でも容器入りの方が安く売られているときがあることです。
遠くの産地から運ばれてくる物は、輸送だけでも多くのガソリンや電気などを消費してしまっています。地元の食材はそこに住んでいる人たちの体にも合っているのだそうです。
韓国ラーメンとか、仏伊のチーズとか…原則は地産地消。プラス、時期外れのものを食べない。いまどきのきゅうり・茄子・トマトなど、みんな石油などを使って暖かくしなければできないものです。季節のものを季節に。安上がりだし、環境にもいいと信じ、この時期はトマトは缶詰と季節に冷凍しておいたトマトソースでまかなっています。
当たり前すぎるかもしれませんが。
でも日本は水に恵まれているから、あまり水の有難さに気がつかないのかもしれませんが。
なるべく水を大切に使おうと、無駄に使わないようにと心がけています。
そのうち、可能なら天水桶(雨どいから落ちてくる管に後から取り付けられるタイプのものがあるようなので)を付けたいなぁと思っています。
エコというより災害対策の一環ですが、3日間、風呂を除いて(風呂だけは入れないとばっちいので除外)水道の水が出ない生活を体験するというのを恒例行事にしています。
生活用水は給水所に見立てた公園から汲んできます。もちろん非常時を想定しているので車も自転車も使わず徒歩で汲みに行きます。水の重さに驚きます。
ペットボトルから水を出して使ってみると、米を炊くために使う水の多さにも驚きます。米をとぐだけでこんなに水を使っていたのかと改めて思い知らされます。
トイレで流す水の量の多さにも驚きます。ペットボトルの水程度ではとても流れません。
こんなことを3日続けると、もう水は宝物だと思えるようになります。まあこういうことはサバイバル体験のような遊びの要素が入っているからできる体験ですが、それでも本当に水は有り難いと実感できます。
皆がシャンプーの量を1プッシュだけにしたら、川や海の汚れがかなり良くなるとTVでやってました。泡立てれば1プッシュでも十分です。
これはかなりショックでした。
川の汚れの約83%が合成洗剤なんだそうです。
食器洗い、お洗濯、お掃除はちろん、シャンプーから洗車に使う洗剤の使い過ぎは厳禁です。
薄めたり、量を減らしたり、簡単なので実行したいですね
木を基本に作っていた昔の日本の家、わらぶきの家などのほうが、現在のコンクリート、鉄筋を使った家よりも地球には優しいのだろうと思います。取り壊す時が来ても自然に帰っていきますし、木のぬくもりは気持ちが穏やかになります。
社会構造が農村社会から都市化して、住居が個別化(夫婦と子どもとかの)し、地域の共同作業が激減しちゃったので、昔ながらの日本家屋の存続が維持できなくなっちゃったんです。茅葺の屋根の葺き替えを一回でやろうとすると、実は現在叔父が2年かがりでやっていますが、三千万かかると聞きました。…家1軒が建っちゃいますものね。
かつては、農閑期に持ち回りでお手伝いしてくれる人がいたからできたこと、五箇山では地元の人に加えてボランティアも参加してやっているようですよ。
政府指導で、農業を振興し、核家族から大家族へ家族構成を変えるような政策が打ち出されれば可能になるのでしょうか。何百年も続いた地域の互助慣習が廃れてしまった今、実現するのは難しいでしょうね。便利さに流されないで生きたいとは思うけれど、床暖房があったらいいな相反して思うこの頃です。
エアコンの温度を夏場は28度にして、冬場は22度にして、
リサイクル・リユースを心がけ、ごみの排出を減らし、
生活のなかで節電、節水を心がけ、
アイドリングストップを実行し、
短距離なら徒歩か自転車、長距離も極力電車を利用し、
普段の生活のなかで出来ることを実践して、本当にそんなことで環境問題が食い止められるのか正直疑問です。
自分が悪いんじゃない、温室効果ガスを排出する車社会とか工場とかアメリカとか森林伐採する奴とかそういうのが悪いんだ、と責任転嫁してしまいます。
一般人に車はそこまで必要でしょうか?
食料の運搬とか人間が生活するために必要なところは必要ですが、
移動手段は電車もあるし自転車もあるじゃないですか、これで十分なんじゃ?
主婦が歩いて行ける距離に自動車を使ったりってどうなんでしょう。荷物が重いとか歩くのがしんどいとかそんな程度だろうし。
イエはてなの投稿を読んで、私も堆肥を作ってみたいと思って、うまくいくかどうかわかりませんがはじめてみました。キッチンの生ゴミを古いストッキングに詰めて、それをベランダに置いたプランターの中に寝かせています。うまくいくかどうかわかりませんが、堆肥になればゴミ減量とベランダ緑化の両方が実現できそうで楽しみです。
堆肥作りを始めてから、堆肥にならない物はゴミにしたくないという気持ちも芽生えてきました。キッチンから出る包装のゴミなどにすごく敏感になりました。今のスーパーでは包装を避けることは無理ですけど、ゴミは出て当たり前という気持ちが、どうしたら出さなくて済むだろうと考える気持ちに変わりました。
これからも堆肥作りは色々なことを教えてくれそうです。
結構難しいですよね?
うちはワンコがいるので、食べ切れなかった野菜や果物はすべて
ワンコに食べてもらっています。
食べ物はなるべく捨てないように努力をしていますが、
コンビニに行って帰ってきて、一食分食べた後のビニール類のゴミって本当に勿体無いって思います。
例えば、縁日で売られている緑亀もミシシッピアカミミガメという種類なのです、川に放すと銭亀の住処を奪っしまうんです。ブラックバスなどがよく言われていますが、外来種の動物を日本の自然に放してしまうと、もとから居た日本の動物が住む所や食べ物を奪われてしまい生存できなくなってしまい、生態系を壊してしまうのです。
山の木にしても、外国の木はとても強く日本の木を追いやってしまいます。
形や、色にしても、外国のものって、迫力があり、逆に日本のものはか弱い感じがしますね。
そういう違いを見ると、日本に持ち込んだらいけないとすごく思いました。
今のように電気なんか無いから夜更かしはできずに早寝早起きするしかなかったし、今のようにゲームなんか無いから友達を作って外で遊ぶしかなかった。
外で太陽を浴びて体を動かしていれば今のように引き篭もりなんていないし、骨も体も丈夫になる。
車もないから、排気ガスなんて出ないし空気は澄んでいる。そのうえ、よく歩くので今のようなメタボリック症候群なんてありえない。
江戸時代は犯罪の少なさ、都市環境、道徳心に富む国民であることなどが高く評価されて海外ではトクガワ・ジャパンと言われています。
戦乱とは無縁な社会を265年間も維持してきました。
数え上げたら限が無いのかもしれない。
私達は便利さという麻薬に取り付かれてしまったのかな…
便利さの代償になにか大切なものを落としてしまった気がする。
拝金至上主義の今の時代
人の欲は限りなく、その先にあるものは本当に幸せなのだろうか?
自然とともに生き、自然とともに死んでいく
そういう時代に生まれてみたかった気もします。
kokorononakamiさんの発言にとても考えさせられました。
それぞれの時代に得たもの、消えたものがありますよね。
極論を言えば、人間も動物で本来は野生だった。
そこから、それぞれの時代の暮らしがあったし、
今の時代も、いろんな暮らしをしてる人がいます。
そういう事を時々思いだすだけでも、今の暮らしが輝くような気がします。
大気中のメタンの16から25パーセントはなんと牛のゲップから排出されているんです。
牛の胃内部で植物を分解する際メタンガスが発生します、食料としての牛を多数飼育していますがその数が爆発的に増加しています。
牛は胃を何個か持っていてその中に植物を分解する微生物を飼っている。そして胃である程度消化した食べ物をもう一度口に戻して噛みなおすと云う反芻をしている。
そのときに胃の中に溜まったメタンガスをゲップにして大気中に放出している。
1997年に京都で行なわれた地球温暖化防止の会議ではインドにあまたたむろする野良牛のゲップについて、インド代表が各国に対策を求められるなどということもあった。
反芻している牛の口にガスマスクをかぶせてホースをつなぎメタンガスを採集することなど出来ないものであろうか。
昔話に出てくる「お菓子の家」って木材とかプラスチックとか一切使っていないですよね。とても環境に優しいと思います。実際には実現不可能ですが、、、先人たちの環境にやさしい知恵を見習いたいものです。
http://www.lion.co.jp/press/2007002.htm
あと、合成洗剤をやめても、石鹸を多量に使ったり、
すすぎ水を多量に使用すると、
廃水のBODや環境負荷はおなじことになりますよ。
いちおう、気になったところだけ補足です。
古いアクリルセーターを編み直して作りました。簡単に作れて効果ばつぐんです。
あとうちでは、洗う前の汚れ取りにはトイレットペーパーを使っています。再生紙ですから、バージンパルプの物を使うより少しは環境にいいかなと思っています。ていねいに拭き取ると、ほとんどアクリルたわしだけできれいになります。
洗剤を使う量が減ると手荒れが少なくなりますから、環境だけでなく自分のためにもいいですね。
今までのイエって、家庭から出るゴミに対しての配慮が少なかった気がするので・・・思い切ったゴミ箱スペースのあるイエで、リサイクルを促進したいです。
10種類もあると一苦労ですけど、5種類ぐらいなら進んで分別したいです
あと、ゴミだしって毎日のことじゃないのでゴミが溜まってるのに出すのを忘れてしまうことがあるので、毎日何かしら回収してくれれば朝家を出るときにゴミを出すのが習慣になって、ゴミだし忘れ防止になると思うんですがどうでしょう
韓国に行くとご飯食べるときは割り箸でなくて、金属でできた重たい箸を使います。台湾では電車の切符はパスネットのようなもので出来ていて、使いまわしされています。
「使い捨て=便利」な暮らしになっているので、
「使いまわし=便利」な暮らしになればいいと思います。
使ったものを使ってない状態にするのは難しい事ですが、
光をあてるだけで、汚れが落ちるだの、風をあてるだけで雑菌がなくなるだのといったものが出来てくれればいいなぁと思います。
日本は家を建て替えて『新築』という言葉に酔いしれますけど、
ヨーロッパは古臭い家の方が人気も値段も高いんですよね。
古くなったからといってドカドカ潰すんじゃなくて、古くとも美しさを
感じる家を作るようになれば地球にも優しいと思います。