「どっさりリンゴのある風景」by id:tough


部屋中にリンゴの甘酸っぱい香りが漂います。父がリンゴをダンボールで買ってきたのです。「やっぱりリンゴは箱で買わなきゃな」。父はとても嬉しそうです。そして父は必ず言います。


「俺が子供の頃はまだリンゴは貴重品でね。箱で買うなんて普通のイエでは考えられないことだったんだよ」。
「あの頃、リンゴは木の箱に入っていた。そしてクッション代わりに籾殻が詰まっていて、その中からリンゴを取り出すというより掘り出すんだよ。憧れたなぁ」。
「でも空き箱は風呂の焚きつけにするくらいしか使い道がないから、八百屋に頼むと快く譲ってくれるんだ。中の籾殻も燃やして炭にして畑に撒くと土の改良になる。昔は何もゴミにしなかった」。
箱でリンゴが買える幸せを子供のように喜ぶ父。これがお約束の風景です。


こうして父のセレモニー(笑)が一通り終わると、箱は部屋の外に出されます。暖房の影響を避けるためです。かわってテーブルの上に篭が置かれ、その中にリンゴが数個入れられます。父はまたそれを手にとって、手拭いでキュッキュッと磨いていたりしています
「昔、子供なのに八百屋を切り盛りしている主人公のマンガがあってなぁ。その主人公はこうしてリンゴを磨いてピカピカにしてから店に並べるんだよ。ほら、いいツヤが出てきた」。
何十年も前に見たそのシーンが今も忘れられない様子です。


そのうち父は、さらに紅玉を探して買ってきます。小玉で酸味が強く生食には適さない感じですが、父の子供の頃の思い出の味は紅玉か国光だったとのことで、母も「やっぱりリンゴといったらこの味ね」と嬉しそうです。私は紅玉と聞いただけで、口の奥の方から酸っぱい唾がジュワッと出てきます(笑)。


こうしてわが家がリンゴで満たされると、母は決まって鼻歌で「赤いリンゴに唇よせて」と歌いはじめます。そして必ず「私が子供の頃にはもう懐メロだった歌だからね」と言い訳します。母の母がとても好きだった歌のようです。(「りんごの唄」サトーハチロー作詞、万城目正作曲)


私はリンゴの皮を剥きながら、はじめて一人で剥けるようになった時のことを思い出します。父に教わりながら、おっかなびっくり果物ナイフを使っていたあの頃。やっと剥けるようになって母に見せようとナイフを持ったら、「危ない!」と叱られてしまったのも懐かしい思い出です。


母は時々ウサギリンゴを作ってお皿に乗せて、私の前に差し出します。「お前は運動会の弁当にこれが入っていないと機嫌が悪くてね」、なんて言って私を照れさせようとします。


どうもわが家には、リンゴにまつわるプチ歴史が色々あるようです。そんな懐かしい話を色々と交えながらリンゴと共に過ごしていく冬。リンゴは本来、夏の終わりから秋にかけてが収穫期だと思いますが、父が箱で買ってくるのは決まって年末ですから、リンゴにまつわる風景が、わが家の冬の姿なのです。


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