ディア・ライフ #008
みなさまこんにちは、hazamaです。夕方になると、「雪やこんこ」などの音楽とともに灯油屋さんのトラックがマチをめぐる季節ですね〜。〈イエはてな〉的には「冬らしい」光景、ワタシ的にはちょっと苦手な寒〜いシーズンのはじまりです。わが家では、猫たちが常にくっついてぬくぬくw そして早くも、猫2匹と私でガスファンヒーターの前やおこたを取り合いのシーンが(笑)。これも毎年お馴染み、春先までつづくんですよね。みなさまのイエでも、それぞれに冬のお部屋の風物詩があることでしょう。お茶や本や手仕事とともに、ゆるりと過ごす冬時間、お部屋をうんとあたたかにして楽しみましょうね♪
「今年のわが家のトップ・ニュース&3大トピックス」
「今年のわが家のトップ・ニュース&3大トピックス」
さて、今日は“ディア・ライフ”#008の語らいのスタートです。イエと家族の物語、今回のテーマは「今年のわが家のトップ・ニュース&3大トピックス」。1年をしめくくる12月ということで、さて今年はどんなことがあったかな?と、このテーマで振り返ってみませんか? わが家で今年一番大きかった出来事、または3大ニュースといったかたちで、心に残るエピソードを綴ってくださいませ。ご自身はもちろん、ご家族やペットのこと、ご近所での出来事でも。悲喜こもごもに、またうれしかったこと、幸せを実感したこと、思いのままに! きっと、この1年が凝縮した素敵なショート・エッセイ集になるのでは?と楽しみに、みなさまからのメッセージをお待ちしています!
“アイデア・タイトル”
「昨年退職した父が、イエ・リフォームに乗り出した!」
by hazama
“メッセージ”
2009年春で、50年勤め上げた会社を退職した実家の父。その時もエピソードを書かせていただいたのですが、しばらくの休息期間を経た父がこの秋に一念発起、実家のリフォームに乗り出しました! 夏に帰省した折に、そんなプランを少し耳にしてはいたものの、なかなか腰は上がるまいと話半分に聞いていたのです。ところが10月頃から具体的に動き出したと母からの電話ニュース。これがなかなかのやる気で、今年のわが家のトップ・ニュースになりました。
そもそも、身近に前例はあったのです。近くのマチに住む叔父(父の兄)がもう10年も前に会社をリタイアして、それから本格的なイエのリフォームを自らの手で実行していったのを、私たち家族は目のあたりにして驚いたものでした。壁紙の貼り替えはもちろん、床の張り替え、さらには天井板まで、それはそれはきれいな仕事でした。自分なりにDIYショップで見聞きして、毎日少しずつ大工の腕を上げていったんですね。
わが実家は、キッチンや水回り、リビングのある1階は数年前にリフォームしてもらったのですが、2階の個室や階段まわりは古いまま。父のプライベートルームも2階にあり、イエにいる時間が圧倒的に多くなって、快適に過ごしたいという気持ちも動いたのでしょう。積年の書類や荷物の整理がある程度進んだところで、叔父を見習ってリフォームを開始。先だって父本人に電話で様子を伺うと、イエの裏やベランダの倉庫スペースも使い勝手よく改装すると張り切っています。聞くと、折々にネットで見てくれている〈イエはてな〉Talk Room、Press Roomの影響も多大にあり!で、私はそれがうれしく、母はイエのリニューアルに大喜びです。
やっぱりまずは自分の部屋からということで、天井クロスと壁クロスの貼り替えが終わり、現在は、床を丈夫なフローリングに張り替えるのに苦心さんたん中だそう。木製部分の塗装リフォームも多々あるというので、私が最近友人に教えてもらった塗料、とても塗りやすくて完全無害の「オスモカラー」と塗り方のコツを紹介しておきましたw もとより、猫たちが自分で出入りできるよう扉を改造したり、ちょっとしたDIYは大好きな父ですから、きっと第二の人生を過ごすにふさわしく新しい空間を作り出してくれるに違いないと期待しています。
まるまる半生を捧げた仕事をリタイアして、少々落ち込み気味だった父が、いよいよ次なる人生のステージ作りに邁進! これは今のhazama家に、何よりうれしいイエと家族の発展。父の再出発を大いに祝いたいと思います!
※今回の「いわし」ご投稿は12月13日(月)正午で終了とさせて頂きます。
※今回のピックアップ賞は12月14日(火)に「イエはてな」にて発表いたします。
※〈イエはてな〉では、いわしへ投稿されたコメントと画像をダイアリーに転記しています。できましたら「投稿画像のwidth属性」を450px以内に指定していただけますようご協力をお願いいたします。
いわしの回答(転記)
☆一番はこの春の私の転勤です。
6年前に引越しをして、バスと地下鉄通勤から徒歩通勤になっていたのですが、
今回の異動で再び徒歩と名鉄通勤になってしまいました。
途中まで子ども達と一緒に保育園にも寄るので、1時間程度かかります。
そして異動したところは新しくできたばかりの事業所。
人とスペースは確保したということですが、今までと違って足りないものばかり。
トイレの手洗い石鹸もなく、最初は各自で持ち寄りました。
70人ほどいるのに給湯室も1箇所でコンロも1つではとても足りなくて、
会社との電気代やスペースの交渉に少々時間がかかりましたが、夏に冷蔵庫を、先月末にポットとテーブルを係で購入し、
コーヒーやお茶セットを揃えて、小さな休憩スペースを作りました。
お茶やコーヒーを一服する際に、仕事以外の話をしたことがない方とも会話をすることができ、人間関係が豊かになりました。
また、休憩をするようになったら、今までよりかえって仕事の効率が上がったような気がします。
働きやすい環境は与えられるのを待つばかいではなく、自分達で作っていくことも必要だと感じました。
☆二番目はこの5月に、夫がなんと献血10回に到達し、その記念品に小さな杯(お猪口?)をいただいたのです。
日本赤十字社は、継続的に献血の協力をした感謝の意を表するため、回数などに応じて表彰を行っているそう。
夫は元々、私と結婚前のデートで献血ルームに行き、血漿を提供したのが献血初体験。
その後、結婚してからも一緒に行ったり、時間がある時には一人でも行っていました。
というのも夫は多少珍しい血液のようで、定期的に献血ルームから招待状が来るのです^^
献血後には血液の成分検査表が届くので、これが健康管理にも一役買っています。
私は彼より少し先に献血を始めていましたが、妊娠〜授乳期だったり、時々貧血でひっかかり献血できないことがあったので、
私より夫が先にみごと10回達成!
ところが夏に帰省した際に義母に話したところ、 「うちには何個もあるよ〜」との返事。
なんと義父は50回以上してるんだとか、さすがです…。
献血は薬を飲んでいたり、血が健康でないとできないことなので、これからもお互い健康で献血を続けていきたいです。
☆三番目は、あいちトリエンナーレ(国際芸術祭)に参加したこと。
これは国内外131組のアーティストが参加した、名古屋の街中を使っての大規模なアートイベントの第1回目。
始まるまでは名前ばかりが広まっていましたが、始まってみればこれほどのアート作品を一度に見られることに大興奮。
あいちトリエンナーレ2010
[会期] 2010年8月21日(土)-10月31日(日)
[会場] 愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、長者町会場、納屋橋会場
*その他、名古屋城、オアシス21、中央広小路ビル、七ツ寺共同スタジオなど
[主催] あいちトリエンナーレ実行委員会、愛知芸術文化センター、名古屋市美術館
[芸術監督] 建畠 晢 (国立国際美術館館長)
わが家はスタッフをしていた友達に誘われてパスポートを思い切って購入し、何日かに分けて行きました。
愛知芸術文化センターでは芸術作品の中に入ったり、ものすっごく近くで作品を楽しめました。
散在する会場間を無料で送迎するサービスがあり、ベロタクシー(人力タクシー)で移動! 途中は運転手さんとお話しながら
ゆっくり長者町へ。
車内で娘は疲れてうとうとしていましたが、息子はベロタクシーに乗れたことを、ものすごく喜んでいました。
長者町繊維街では至るところ(コインパーキングや、建物の壁)に絵が描かれ、現代アートだけでなく、
普段は入れない繊維街の建物の中を見られたのも、貴重な体験でした。
とにかくユニークなエリアで、疲れたけど満足^^
最後に長者町から栄まで乗ったのが、白地に黒の水玉プリウス!芸術文化センターには色違いの水玉プリウスがありましたが
水玉の色が違うだけでずいぶん印象が変わって見えます。
現代美術以外にも映像作品、ダンス、演劇やオペラなど様々なパフォーマンスがあり、想像していたよりも芸術は身近に感じられました。
エコバッグに各PRブースに設置されているスタンプを押し、オリジナルのエコバックを作れたのもいい記念です。
いつもの街並みの中にちょっとした仕掛けがあるだけで、いろんな人が集まってきて、新しい発見があり…
そしていつもの街がもっと楽しくなるんだなぁ〜と思います。
献血10回記念、青いガラス器がもらえるんですよね。おめでとうございます。これは社会貢献の意味でも、ご自身がずっと健康でいられているという意味でも、すごく大きな記念ですよね。
さらに通算の献血回数が30回になると黄色のガラス器、50回になると緑のガラス器が贈呈されます。さらに70回に達すると銀色有功章、100回で金色有功章授与。お義父様は50回以上とのことですから、もしかしてそれに近付いてるんじゃないですか? 有功章は献血以外の表彰に当てはめると支部長感謝状より格上の表彰に相当しますから、これはすごいことですよー。
それだけの長きにわたって社会に貢献しようという意志を持ち続けられてきたこと。そしてご自身の健康も保たれてきたということ。その証しとしての献血表彰は、ある意味、地位や名誉の付属品のような勲章よりもすごいと言えると思います(^-^)
今までも何度か書いてきましたが、この春、親戚の女の子が東京の大学に入学し、わが家からそう遠くないアパートで一人暮らしをはじめました。ところがこの子は、うちのことをいたく気に入ってくれたらしく、暇さえあれば入り浸り。父も母もまるで本当の娘のようにかわいがっているものですから、今年のわが家は家族が一人増えたような一年間でした。
一人増えるだけで、イエの雰囲気が大きく変わります。まず食卓が華やぎます。母も食事の作り甲斐が大幅アップしたようで、この子が一緒の夕食は大張り切りです。しかもこの子が「お手伝いします」とか「私にも作り方教えて〜」などとかわいいことを言うものですから、母のテンションは上がりまくり。今まで息子一人で、詰まらない思いをさせてきましたねぇ。ふぅ(笑)。父もこの子がかわいくて仕方がないようで、そんな様子を目を細めて眺めています。
様々な家庭行事も、この子のおかげで、いつになく盛大に行えるようになりました。七夕に合わせてキャンドルナイトを楽しんだり、みんなで浴衣を着てみたり。夏は久し振りに庭で花火もやりました。お祭りも四人で浴衣を着て歩きました。家族でお祭りを歩くなんて、私には小学校低学年以来の出来事です。秋には菊の節句もみんなで楽しみましたし、お月見もしました。先日はわが家のイエ新嘗祭も一緒に祝って、あらゆるシーズンサプリにいつも一緒です。
私も今年はずいぶん色々なイエコトに張り切ってしまいました。そのいくつかはイエはてなのいわしにも書かせていただきましたが、それはほんの一部。兄弟姉妹のいない私にとっても、家族が増えたようなこの状況は、楽しくて仕方がないのです。「今夜はそっちで晩ご飯するよ」なんてメールが届くと、職場の先輩たちの誘いも断って家路を急ぎます。
さすがに年末年始は帰省しますから、これはいつものわが家三人で過ごすことになりますが、母は最近まで四人で過ごすと思いこんでいたようで、振り袖を用意してあげたいわなんて頓珍漢なことを言っていました。そういえば父も、夏にこの子が帰省していた時、電話で「早く帰ってこいよ」なんて言っていました。それ違う、今が帰ってる状態で、こっちに来る時は行ってきますなんだよと大笑い。いつかこの子が結婚する時になったら、きっとうちの両親は、本当のご両親に負けないくらい泣くことでしょう(笑)。
私も、できることならこれが大学の4年間だけで終わらず、もっと長く続いてくれたらなんて思ってしまいます。おっと、それはいい大人の私が向こう何年も、結婚もせず親と同居し続けるってことかと苦笑してしまいますが、とにかく今は、この一人増えたすてきな家庭を、たっぷり楽しみたいと思っています。
〈我が家のホットニュース〉がテーマだった時にも書かせていただきましたが、父が自治会の副会長に抜擢されてマチ作りに明け暮れた一年になったこと。何といってもこれが今年のトップニュースです。父だけではありません。母も私も、家族全員が様々な形で自治会に関わってきた一年でした。今まではほとんど他人ごとのように受けとめてきた活動でしたので、これは激変でした。
忙しく大変な一年ではありましたが…。でもおかげで交際範囲が広がりました。様々な行事の実施を通じて様々な人と出会い、触れ合い、ひとつの目標に向かってみんなで力を出し合い、達成の喜びを分かち合ってこられたことは、本当に大きな収穫でした。
同じ地域に住みながら日頃交流が途絶えていた同級生・同窓生とのつながりも、ずいぶん復活しました。さらに役所や商工会、消防や警察、学校の父母会や地域の児童館、スポーツや文化などの様々な団体などとの交流。世界が一回り広がった感じです。
もちろん何ごとも順風満帆とはいきません。人と人との確執が生まれてしまうような、ちょっとした事件もありました。でも、みんなの力でなんとか乗り越えて、最後は笑顔で手を取り合えるようになりました。
こうした色々な出来事を通じてわかったことは、やはりみんなの力のすばらしさです。今までのわが家は、自治会なんて一部の限られた人たちだけがやっているという受け止め方でした。でもそうじゃない。そこにはたくさんの人たちが関わり、力を出し合っていたんです。そうした地域を作っていこうという人々が、みんなで手を取り合って、一つ一つ物事を成し遂げていくすばらしさ。オジサン・オバサンばかりの集まりであっても、そこには学生時代の生徒会活動や文化祭などと同じ喜びがあります。
父も、忙しい、困った困ったなどと言いながらも、なにやら「青春」している感じです。父の副会長の任期は2年間。来年の3月で最初の年度を終え、4月から2年目となります。最初は任期満了と共に退任したい気持ちだったようですが、今は副会長の肩書きが無くなっても、ずっと活動に関わっていきたい気持ちのようです。なにはともあれ、一家総出でマチ作り一色の年になった今年は、わが家にとって記念すべき年となりそうです。
イエはてなでの語らいがきっかけで私がアコースティックギターを衝動買いしたのが昨年のことでした。ギターなんて弦を弾けば音が出ると思ったら大間違い。まともな音が出るまでにはだいぶ練習が必要でしたので、毎日のように弾いていました。すると若いころはやはり好きでよく弾いていたという父も、それに刺激されたかのように再びギターを持ち始め、そこからギターという親子共通の趣味がスタートしていきました。その時の様子はこちらに書かせていただきましたが、これを今年のわが家のトップ・ニュースに上げてみたいと思います。
http://q.hatena.ne.jp/1267765009/255792/#i255792
それまでもD.I.Y的なものやガーデニングなどはお互い好きでしたから、親子共通の趣味と言えるものが無かったわけではありませんが、それは話が合うということであって、一緒に何かをする機会はほとんどありませんでした。しかしギターは一人で弾くより、二人で弾いた方がずっと楽しいのです。というより、ギター伴奏だけの曲でも二人以上で演奏されることが多いですから、弾ける人が二人いれば、必然的に一緒に弾いてほしくなります。
それに音楽というのはジェネレーションギャップの無い世界です。流行りのジャンルは時代ごとに違うと思いますが、アコースティックギターで歌える歌に絞ると、父の時代の曲も今の曲も、ほとんど垣根がないのですね。ですから、わざわざ一緒に弾こうなどと声をかけなくても、どちらかが弾いている時にもう一方も楽器を手に取れば、無言のうちに合奏が始まります。最初は初心者レベルの私に、昔取った杵柄の父が合わせてくれるパターンがほとんどでしたが、近ごろは私も少し応用がきくようになってきたので、父のギターに私の方から合わせていくことも出来るようになってきました。
親子で何かを一緒に行おうとする時には、一種独特の気恥ずかしい空気が流れがちだと思いますが、音楽だけは違うようです。友だちであろうと親子であろうと、そこに弾ける人が二人いてギターが二本あったら、一緒に弾かない方が不自然なのです。一緒にギターを弾くことで、今まで知らなかった父の新しい一面がたくさん発見できたことも、今年の大きな収穫でした。それはおそらく父にとっても同じだと思います。
世代が違う、好みも違うと思いこんでいた父も、本当は同じ時代を生きて、同じものを見聞きしながら暮らしていたのです。あとは同じ時間を共有することさえ出来れば、音楽にも、その他のことにも、ほとんど同じ共通語を持っていることがわかります。こういう新しい親子のつながりの時間が持てたことが今年の大転換点。私が考えるわが家のトップ・ニュースです。こういうすばらしい時間を与えてくれるギターにとても感謝していますし、今年掴んだこの新しい親子の関係を、これからもずっと大切にしていきたいと思っています。
第3位。
もの凄く久しぶりに映画館に行きました。2月。タイトルは「涼宮ハルヒの消失」。
平塚のシネコンに、奥さんと2人で行きました。
映画館に行くこと自体、10年以上ぶりくらいだったと思います。(前回いつ行ったのか覚えていない。高校生くらい?)
今月18日にはDVDが出ますが、数年前から「予告」だけはされていたので、随分待たされましたし、原作のラノベなど何回も読んで、もうストーリーを覚えてしまっていたりもしたのですが、それでも、観に行って良かったです。普段あまりアニメって(TVでも)観ないのですが。ラストシーンとか、泣きそうになりました。いい年して。
そういえば最近は映画館には行きませんね!
それは行く必要がなくなったからですね。
家で寝転びながらオヤツを食べながら自由に見られる映画も映画館に行けば不自由で何も出来なくなりますね。
しかも映画館では映画を録画出来ませんが、家では自由に録画出来ますね。
映画館に行くメリットってなんでしょうか?
これが解明出来なければ映画館には行く理由がないですものね。
「借りぐらしのアリエッティ」を家族みんなで観に行きました。
映像も音楽も、とてもきれいな映画でしたね。
作品世界のにおいが香ってきそうな映画でした。
今年はほかにもいろいろな映画を観に行くことができました。
特に夏は暑かったので、避暑目的でも行きましたね。
夏、父の故郷から、写真入りの手紙が届きました。写真は親戚の皆さんがお墓参りをしている時のものでした。普通、お盆はイエで迎え火を焚いてご先祖様をお迎えしますが、父の故郷ではまずお墓にお灯明を供え、それからイエに帰ってお仏壇にも明かりを灯してお迎えするというしきたりがあります。写真はその時にお墓の前で撮ったものでした。写っているのはご高齢の皆様ばかり。父は懐かしそうにそれを眺めていました。
そのうち誰言うとなく、うちでも蝋燭を立てたらご先祖様が遊びに来てくれるのかなという話になりました。お盆の時だけ棚をしつらえてそこにお供え物をするイエもありますから、来年はうちでもそんな形でやってみようかなどと話していたのですが、父の故郷に盆棚の習慣はありませんので、それなら日常的に供養が出来るちゃんとしたお仏壇を祀ってみたいという話になっていきました。
しかし日頃、神様仏様には全く縁がないわが家ですので、祀り方が分かりません。そこでしきたりに詳しい親戚に相談してみると、イエの中の上座に当たる場所に南向きか東向きにして祀る、仏壇の大きさや豪華さは供養とは無関係などと教えてくれて、意外に簡単に祀れそうなことが分かりました。
続いてお仏壇屋さんにも行ってみました。高い物は驚くほどのお値段ですが、小さな物はわりと買いやすいお値段です。また父が相談の電話をかけてみると、お仏壇は小さくて装飾も少ない物が一番との答えのようでした。小さな物なら祀る場所に困らないし、シンプルなデザインならお掃除もしやすいというのがその理由です。色々な考え方があると思いますが、少なくともうちの一族は皆そういう考え方でやっているようでしたので、小さな、そして一番シンプルなデザインのお仏壇を買うことにしました。色は家具調の栗色です。
中にお祀りするお位牌は、お寺にお聞きしてから注文するのが一番確実と言われたので、手紙で問い合わせ。お位牌を作った後からお戒名の誤字が発見されて作り直し、などということがよくあるのだそうです。最近はお位牌の文字もコンピュータで彫ったり書いたりするようですから、旧字体や、標準のフォントと異なる字体などにも要注意だそうです。問い合わせの結果、わが家の場合は個別のお位牌で祀るべきご先祖様はいらっしゃらないとのことで、先祖代々の霊位が一つあればいいということになりましたが、これからお仏壇を祀ってみようという方は参考にしてくださいね。
お仏壇は二階の一番奥の部屋にお祀りすることにしました。祀る高さは、お位牌が目の高さより下にならないようにとのことでしたので、壁に棚を吊って、そこに置くことにしました。棚は父が作りましたが、お仏壇の和風なイメージを壊さない、なかなかの出来映えでした。きっと父の記憶にある懐かしい方々を思って作ったのでしょう。それを眺める父は、感無量のようでした。
こうしてわが家にやってきたお仏壇。私も朝仕事に行く前や帰宅時などに手を合わせています。こんなことのどこがトップニュース?と言われてしまいそうですが、この朝晩の新しい習慣が結構大きな変化。暮らしの中の動線にお仏壇というラインが加わったことが、かなり新鮮な出来事だったんです。宗教とは全く無縁のわが家ですが、ご先祖様がいて今の私達がいることだけは確かですから、お仏壇に手を合わせる暮らし方も悪くないと思っています。
こちらに書かせていただいた軽トラック。これがわが家に加わったおかげで、とても楽しい一年になりました。
http://q.hatena.ne.jp/1267765009/255893/#i255893
まずはキャンピングカー作りの楽しみ。脱着可能なシェルを作って荷台に載せる方法は大成功でした。この方法なら車の改造には当たりませんから、オール自作が可能です。だいぶ難しいものでしたが、家族みんなの共同作業で、たっぷり手作りが楽しめました。こういうのって、子供のころの秘密基地作りと似た楽しみもありますね。ベースが軽なのでスペースが小さく、あれもこれもと盛りだくさんにはできませんが、夢だけはたっぷり盛り込んだクルマになりました。
実際には長距離を走るにはきついクルマですし、スペースの関係で設備も貧弱ですから、一年かけて日本縦断をするような本格的なキャンピングカーに比べたらおもちゃみたいなものですが、わが家はこんな楽しみ方で盛り上がれるイエなんですよとアピールしながら走れるクルマは、ちょっと快感だったりします。
二つ目のトピックスは無線の免許です。アウトドアとクルマの楽しみが重なると、無線も欲しくなってきます。実用性の有無は別問題として、とにかくクルマにアンテナを付けたいということですね。こういうのは趣味の問題ですから、携帯では役不足です。そこで、今さら感はありますが、父と二人でアマチュア無線の免許を取りに行くことにしました。受験の勉強はほとんどネットで探せる既出問題や予想問題を利用することでクリアー。印象としては、3〜4級ならほとんど原付の免許を取りに行くのと同じ感じでした。
といっても、原付の合格率が意外に低いのと同じように、アマチュア無線の免許も甘く見ていると落ちるみたいですね。試験が終わると、しばらくして結果が発表されます。私も父も一発合格でしたが、あ〜あとため息を漏らしながら帰っていく人もいたようでした。
3〜4級の場合、科目は無線工学と法規の2科目で、前者は基礎的な、後者も常識的な理解を試される問題ばかりでしたが、ある程度の受験準備をしていないと落とし穴にはまるような引っ掛け問題が多い感じでした。つまり、受験にあたっての努力の度合いを測る試験なんですね。どんな試験でも物知りなだけではだめで、合格後の自己研鑽も期待させられることが合格の早道。それなりの努力の跡を見せることが大切です。それが試験というものなんだということを、久し振りに思い出しました。
とにかく無事免許を手にして、オークションで中古の無線機を購入。コールサインももらって、クルマにかっこいいアンテナが立ちました。ますますクルマが秘密基地のようになっていきました。
三つ目のトピックスは、より自覚的な環境配慮が生活の中に根付いたことでした。こんなものでも自然との触れ合いを楽しむためのクルマですから、その大切な自然を食いつぶしながら遊ぶわけにはいきません。そこでまず、今まで当たり前のようにクルマを使っていたところを別の移動手段に置き換えて、そのCO2排出削減量相当分を軽のガソリン消費枠に回していくことにしました。さらにWebで使える環境家計簿などを活用しながら、具体的な数値として現れるCO2排出削減量を軽の燃費に換算。ちょっとした無駄をガソリンに回すだけでこれだけ走れるのかという驚きはなかなか新鮮です。
こうした努力は、義務的に行ったり、生活の質を落としながら行っていったりすると辛く嫌なものになりがちだと思いますが、地球環境に負荷を与えずに思う存分遊んでいくための努力と位置づければ、がらりと楽しいものに変わっていきます。今年はこの軽でずいぶん遊びましたが、どうやらわが家全体のCO2収支は、1990年の一般家庭における水準マイナス25%に迫れそうな感じです。
わが家といっても私は一人暮らしですので、私のことがそのままトップニュースになってしまいますが、これがもしかすると今後の人生変わってしまうかもしれないという大ニュースなんです。まあ、しばしお付き合いください。
私の夢は自然一杯の土地に移住して、そこに農と料理とアートの村を築くこと。今までたくさんの場所を訪ね歩いて、そういう夢を受け入れてくれる場所を探してきました。でも、夢は夢。そう簡単に実現するものではありません。宝くじが当たる夢を描くのと同じで、絵に書いた餅を思い浮かべながらワクワクすること。それだけでも楽しかったんです。正直な所、実現の可能性は、本気になって頑張っても50%いかないだろうなと思っていました。
しかし世の中、ヒョウタンからコマということもあります。各地の中山間地を巡り、村の人たちと一緒に雪解けの山の道普請に汗を流したり、お祭りに参加したり、刈り入れを手伝ったりしているうちに、ななな、なんと!! 移住したいならイエも土地も世話しようと言ってくれる村が現れたんです。
さてここで、なぜ過疎地の物件が一般に出回らないかを考えてみましょう。人がどんどん離れていく過疎地には、いくらでも空き家があります。使われなくなった畑や田んぼもたくさんあります。でも、一般に「田舎暮らし物件」として見つかるのは、地方都市の郊外とかリゾート分譲地などが中心ですよね。日本の原風景をとどめているような本当の昔ながらの農山村の物件情報には、なかなか出会うことがありません。
それは、村の歴史や伝統を愛し、人の絆を愛してきた人が断腸の思いで村を離れる時、たとえ使わなくなった土地家屋といえども、見ず知らずの人には渡せないっていう気持ちが働くからだと思うんです。ぶっちゃけ、愛する村に軽々しくよそ者を入れるわけにはいかない、ってことですよね。都会の人間から見れば閉鎖的だなあということになりますが、田舎の集落はそれ全体がひとつの家庭のようなものですから、そういう人のつながりで成り立っている土地に入って行くためには、それこそ肉親に等しい絆と信頼を構築していくことが不可欠だと言えるでしょう。
ところが、典型的なよそ者の私に、本気で移住したいなら土地もイエもあるぞという有り難いお話。しかも売り主となる人だけでなく、村の皆さんがこぞって歓迎してくださるというのです。これは願ってもないお話です。
これはたとえて言うなら、アマチュアバンドにデビューの話が舞い込むようなものです。話しに乗れば今までの生活がガラッと変わってしまう。人生を賭けた大勝負です。でも、どでかい夢が掴めます。うーん、どうしよう・・・・。
というわけで、若干煮え切りませんが、とにかく当面、家屋をひとつ取得させて頂く方向で話を進めさせて頂くことにしました。あとは、東京を離れても暮らしていける生計の立て方が見つかればすぐにも移住可能なんですが・・・・。とにかくすごい山の中なので、通勤はほぼ無理。かといって他の村人のように農業で暮らしを立てるというのもすぐには無理ですから、在宅でも可能なうまい仕事が転がっていることを願いつつ、当分は今の東京暮らしを続けつつ、いわゆる「週末田舎暮らし」をやっていきたいと考えています。こんなことではとても村の一員として地域作りに参加していくとは言えませんが、でもゆくゆくはその村を終の棲家としていくつもり。目一杯その気です。
そんなわけで当面、飼っているにゃんこやワンコは月に数回、懇意にしている動物病院のペットホテルでお世話になることになりますが、そこは勉強のためにスタッフ並みの待遇で出入りさせて頂いている病院なので、うちの子たちにとってもわが家同然。場所にもスタッフさん達にも良く慣れているので安心です。
さ〜て、私がにゃんこやワンコを連れて、憧れの大自然の中に移り住むのはいつのことになるでしょうか。それはまだ当分先のことになりそうですが、とにかく夢の足がかりだけは現実の物に出来そうです。これがわが家のトップニュース。近々、生まれて初めて東京以外の自治体に固定資産税を払うという体験をしそうです。
何でも「今年を表す漢字」が「暑」だそうで・・・
我が家もとても暑かったです。町役場の防災無線で、熱中症注意の呼びかけがなされていました。今までは、イエではあまり冷房を使わなかったのですが、今年はイエでも冷房を使いました。そうしないと本当に倒れそうというか、気分が悪くなりそうでした。
仕事場の冷房も、例年より強く掛けていました。仕事場では、書類を汗で汚さないように、毎年夏には冷房を入れるのですが、設定温度はたいてい「29度」か「30度」で大丈夫でした。でも、今年はダメだった。「28度」か「27度」くらいの設定にしないと、汗が噴き出してくるのです。
これは気候のせいなのか?自分が年をとって体温の調整機能が衰えて来たのか?どちらだ?と疑問に思ったりもしましたが、ニュースなどを見ていると、やっぱり今年の夏は暑かったのかな、という気がします。
そうそう、今年の夏は、我が家もアイスをよく食べました。
1日2個、2人家族で1日に4個のアイスを食べた日もありました。
そして私の体重は、増えてしまいました。
今年の我が家の3大ニュース!!
色々ありましたが、一番はやはり結婚後10周年を迎えたことです♪
しみじみ10年ってあっという間だったな〜と考えてしまいました。
結婚10年目は「錫婚式(すずこんしき)」
錫のように美しさと柔らかさを兼ね備えるという意味の結婚記念日。
アルミ婚式とも言うそうです。
錫を用いた製品は、長く使えば使うほど美しさと柔らかさを兼ね備えた光沢を放つ性質があり、
古くから、生活には欠かせない生活必需品の材質として重宝された金属。
そんな錫のように、他の人々にも重宝されるような夫婦となり、
さらに、お互いを高め、尊重し合える夫婦になれることを志すことを確認する年なんだとか。
1年:紙婚式(かみ)
2年:綿婚式(めん)
3年:革婚式(かわ)
・
・
(略)
・
・
10年:錫婚式(すず)
25年:銀婚式(ぎん)
50年:金婚式(きん)
60年:ダイヤモンド婚式
75年:プラチナ婚式
と、段々と高価なものになっていきます。
まだまだ、我が家は錫、プラチナはもとより、金にも銀にも程遠いです。
それでもやっとここまで来たんだと言う自信はつきました。
結婚して毎日料理を作って食べてもらうことの楽しさを知り、オットと共通の友達や共通の趣味が増えたり。
そして娘が生まれて夫婦から家族になりました。
10年経っても当初考えていた理想の夫婦像とはほど遠い状況ですが、共に生活しながら長い時間をかけて信頼関係を
築いていくことができました。
結婚する前は、10年目には「スウィート10ダイヤモンド」などを贈られるのだと思っていましたが、
今では宝石に興味もなくなり、サイフが一緒になってしまうとそんな食べられないものは勿体無いw
また私は粗忽者なので万一なくしてケンカの種になっても大変!と婚約&結婚指輪も買っていないくらいなのです。
ふたりで築いた10年の記念、せっかく何か買うなら私が買ってもらうのではなく、私がプレゼントするのでもなく、
二人が使ってうれしいものを選びたいと思いました。
そして二番目、ついに購入した記念の品。
錫(すず)かアルミにちなんだ物にしようかと思いましたが、ついに購入したのは家具調のマッサージチェア。
以前からマッサージチェアが気になっていたのですが、いかにもというものは嫌で、
かねてからインテリア性を重視したものをリサーチしていました。
値段がそこそこ張るので悩んでいましたが、オットも賛成して形や機能も気に入ったとのことで、さっそく注文。
リビングに置いてあっても違和感なく、遊びに来た友達にも言うまでマッサージチェアだとは気付きませんでした。
我が家は無難なベージュ色にしたのですが、何色もあり悩みました。
色、形もよいですが、肝心の機能も問題なく、週末にはどちらが先に使うかジャンケンしているくらいです。
もちろん頻繁に使うわけではないので、マッサージに使っていない時は私が読書用として使っていますが、これまた快適です。
そして三番目、買うではなく、今度は飼うなんですが魚を飼うことに!
名前(みっちゃん)
体長 約3センチ
色 緑と白のツートンカラーに黒の水玉
食物 乾燥アカムシ(ボウフラ)・乾燥エビ
棲家 水槽の中
長期出張中の友人から頼まれて預かっているミドリフグ。
期間限定なのですが、すでに1ヶ月過ぎました。こちらもあっという間です。
育てるのはやや難しいと聞いているので、心配なことがあったらすぐお店や友人に相談するようにしていますが、今日も元気です。
子育てや生き物を飼うようになって普段は感じない環境問題や生態系について考えたりすることが多くなりました。
この10周年を迎えられたことをオットと娘と周囲の方々に感謝しつつ、これからも末永く健康で家族仲良く過ごせるように、なんでもない日にも無事なことを感謝したいです。
実はまだ出版に漕ぎ着けるまでにはだいぶ時間がかかりそうなのですが、昭和のアマチュアロックシーンを自分の体験から綴っていくという本を、父が書き始めているのです。今年の初めごろから資料を集めたり、昔の仲間を訪ね歩いたりしていたようですが、今年の後半から、いよいよ本格的な執筆に入っています。
仕上がった原稿を少し読ませてもらいましたが、それはひとつのアマチュアバンドの結成から解散までの軌跡をたどりながら、そこにプロアマを問わず様々なミュージシャンが繰り広げる当時のミュージックシーンが描かれていくというもの。「これ、お父さんがいたバンド?」と聞くと、「いや、俺のバンドの話は最後に書く」とのこと。よそのバンドのストーリーがこれほど面白いのですから、完成したらどんなに面白い物になるか見当も付かないくらいの傑作です。
資料として当時のライブハウスで配られていたチラシや、アングラ系のミニコミ誌などもそのまま盛り込みたいとのことで、それらの著作権を持つ人を探しているようですが、この作業は難航しているようです。一昔前なら勝手にコピーして載せてしまうところですが、最近は色々とうるさいので、きちんと権利関係をクリアーしないと、本になっても表に出せません。
「いざとなったら俺の本も地下出版かな」
なんて言っていますが、それはもったいない。まぁ、実名は出さなくても、登場するのが全て実在の人物ですから、それだけでも大っぴらには出しにくい内容ではあるのですが…。
この夏、取材と称して父と一緒に、その本の舞台となっていく場所をいくつか歩いてみました。たとえば下北沢。今でも下北はロックのマチとして有名ですが、そこには数十年にわたるロックの歴史があるようです。さらに中央線に乗って、高円寺、吉祥寺、国分寺。かつての東京のロックスポットにはみな「寺」が付いていたようです。そして福生。ご存じ、村上龍のデビュー作「限りなく透明に近いブルー」の舞台になったマチ。もちろんこれらのマチは今もロックスポットとして健在ですから全て私も知っていますが、父の描こうとしている時代のことはほとんど知りません。
父の原稿に登場するライブハウスや、当時音楽好きのたまり場となっていた喫茶店などは、そのほとんどが今は「跡地」になっています。この駆け足取材ツアーはそうした「跡地」の写真を撮ることが目的でしたが、話を聞きながら歩いてみると、マチも文化もほんの数十年でこんなに大きく変貌してしまうのかと、ちょっと驚いてしまいました。
メディアが発達している今と違って、昔のアマチュアロックシーンは、知らない人にとっては全くの別世界の存在でした。昔もすばらしいミュージシャンがたくさんいたはずですが、そのほとんどは時代の陰に埋もれ、今はマスメディアで語られることもありません。でも、今伝えられている日本のロックの土台には、そういう無名の人たちが醸してきた土壌があるはずです。それを何かの形で記録にとどめておきたいという父のプロジェクト。これは後年、きっと価値ある記録となるはずです。
以上は、本の形にまとまって発行される年の暮れにこそ「わが家のトップ・ニュース」として書く内容でしょうが、もうフライングで、これを今年の最も特筆すべき出来事としてご紹介してしまいたいと思います。なぜって、執筆は急がず、練りに練って最高の本に仕上げてもらいたいから。そういう本は、筆を取り始めた今年こそが記念すべき年と言えることでしょう。
息子は小さい頃は大人しくあまり手がかからなかったのですが、娘が生まれてから、赤ちゃん返りこそしなかったものの少しずつやんちゃになり手がかかるようになりました。
12月生まれの娘は、1歳になった去年の年末から保育園に通わせる予定でしたが、あいにく定員いっぱいで入れず、入園できたのは今年の4月。
それに合わせて育児休暇を延長していた妻も仕事を再開しました。
その少し前の昨年秋頃から自分の会社がこの不況の影響で仕事量が激減し、残業がなくなったため早く帰宅できるようになり、
夕食や風呂を子供と一緒に過ごすことが増え、家事と育児の大変さが少しわかりました。
実は自分は今流行りの育メンと言われるくらい育児に携わっていますが、
これまでは仕事中心の生活で家庭のことと育児に関しては、ほとんど妻にお任せでした。
こうしてむかえた4月5日、娘の保育園の入園式。
入園式は平日なため息子の時は仕事を優先してしまったけど、今回こそはと仕事を半日休んで参加しました。
式と言うと親は皆スーツで決め、なんだか厳粛な感じがするけれど、そこはやっぱり保育園。
当たり前と言えば当たり前ですが、沢山の子供達が集まるのでものすごくにぎやかでした。
入園式で娘は新入園児として自分達と一緒にいましたが、息子は既に在園児として娘を含めた新入園時を迎える側。
普段とは違う雰囲気に少し緊張していたようですが、皆で歌をうたう時には大きな声で歓迎の歌をうたってくれました。
入園してもしばらく娘は慣らし保育で、最初は数時間からの、保育時間を1〜2時間ずつ伸ばして4日かけて通常の保育時間へ。
双方の親にも手伝ってもらい、みんなで交代で休みを取り、なんとか乗り切りました。
最初は保育園に預ける際に大泣きするかと思いきや、先生に抱っこされながらも泣かずに「ばいばい」と手を振る娘・・・・。
兄(息子)の送り迎えに妻と毎日のように保育園には通っていて、先生達とも園の雰囲気ともすっかりなじんでいたせいでしょう。
保育園デビューとしては大成功ですが、自分はちょこっと悲しかった。
そして覚悟はしていましたが、保育園へ通いだしてから熱をだしたり、鼻たれや咳が出たりと、いろいろと流行りの病気をもらってきては、なんだかかんだ毎月のように病院へ通っています。
息子の時もそうだったな〜と思いつつ、免疫がついて丈夫になるまであと数年は親も子も大変です。
入園してしばらくしてあった懇談会の後に園での子供の普段の様子を撮影したビデオを見せてもらったと妻から聞いて、保育園のパパ友wと一緒に
先生にお願いして土曜日に子供の生活ビデオの上映会を開いてもらいました。
また、園と親の会共同でする夏祭りの保護者のコーナーの土曜日の準備会に自分が出たり、夏祭り当日も金曜日の17時スタートのため、仕事が終わってからでは間に合わないため仕事を早退させてもらい参加しました。
秋の運動会では率先して親子競技(園児サイズの三輪車に後ろに子供を乗せてゴールを目指す)や、
保護者競技(景品なしだが赤白対抗の本気の綱引き)に参加したら、他の家もつられて父親が参加してくれたようで、
妻から今年はなんだか父親参加率が高かったわと言われましたw
普段使わない筋肉を酷使したため翌週しばらく筋肉痛に悩まされましたが、これを期に息子からの評価がグンと上がりました。
遠足の弁当用に前日、リンゴのウサギを作るのを手伝ってみたり(案外難しくてびっくり)と今まで育児なしだった父親の汚名返上すべく変身した1年でした。
この1年で自分に保育園のパパ友がいくらかできましたが、娘にも友達が沢山でき、今ではすっかり園生活を楽しんでくれているようです。
「おしっこ」もする前後に教えてくれるようになりました。オムツがはずれるまであと一歩です。
ただいま娘は魔の2歳児といわれる時期に到達し、なんでも自分で!とやりたがりますが、
なかなか自分の思った通りにできず、怒ったり泣いたりしています。
これは成長の証、とすぐに手を出さずに見守るように言われていますが、時間がない時にはこの我慢がなかなか難しい。
そんな大変な時期ですが、少しずつ成長した姿に感心することも増えてきました。
いつの間にか覚えた、積み木を携帯に見立てて「もしもし、おーたん(お父さん?)ですか!」と電話をくれたり、
園で習ったアンパンマンの歌にあわせて腕をふりふり踊ってくれたりと、みんなを楽しませてくれます。
早く色んな言葉が話せるようになって、もっといっぱい意思疎通ができ、保育園の出来事も教えてくれるようになると嬉しいな。
そうそう息子も今年、年少組になり沢山の話ができるようになりました。
自分との会話も、いっちょ前に大人顔負けの受け答えをしてくれて、今日の息子の一言を密かに手帳に書き込んだりもしています。
あまりにも秀逸な科白は、夜にお茶を飲みながら妻に報告し、ついでに先生宛のおたより帳にも書いてみんなで息子の成長を喜んでいます。
二人の子供の保育園生活。
一人目の時は仕事が忙しくほとんど手伝ってなかった分、今年は園への送り迎えから行事への参加など、すべてが新鮮でした。
いろんな意味で子供が中心の生活となりましたが、家族でいる時間をより幸せに感じるようになりました。家族みんなに感謝です。
家族の転機に自分も変わったこの1年。
これがわが家のトップニュースです。
なんだか大喜利の三題噺みたいなタイトルになってしまいましたが、わが家の3大トピックスその1は、なんと学校の学芸会でも村人その5などの番号付きの役しかしたことのなかった弟が、演劇を始めたことを取り上げてみたいと思います。最初は家族に隠していました。最近帰りの遅いことが多くなったな、休日もイエにいないことが多くなったなと思っていたのですが、それはお芝居の稽古のためだったのです。
所属しているのは小さなアマチュア劇団ですが、とても面白そうで、毎日がキラキラしています。演劇には色々な考え方があると思いますが、弟たちが追求しているのはリアリズム。人々の何気ない日常の中の動きや言葉の全てに演じるべきお手本がある。それを徹底的に観察して演技の糧にしていこうという考え方のようです。
だから最近の弟は、イエの中でも人間観察を欠かしません。先日も、ジャムのフタが開かなくて四苦八苦していた私のことをじーっと見ているので、眺めてないで開けてよと言ったら、ちょっと待って、右手がこうで、左手がこうで、腕のこのへんに力がかかって、こんな顔して…と、パントマイムで私の真似をはじめました。それがすごく上手で大笑い。
でもこういうのは演技の勉強じゃなく、その前段階の基礎練習なんだそうです。へー、お芝居の基礎って発声練習とか、そういうのだけじゃないんだ。なかなか奥の深い世界のようです。本人が言うには、まだまだ当分は舞台に上がれるレベルじゃないと言っていますが、とにかく今は練習が楽しくてしかたがないようです。あんた、輝いてるよ。かっこいいよ。わが弟よ、めざせ紅天女(笑)!!
わが家のトピックスその2は、庭の塀がすっごくきれいになってしまったこと。イエの前で道路工事があって、大きな重機で穴を掘っていたんですが、その重機が勢い余って塀にガチャン。ブロックとブロックの間の金属フェンスが曲がってしまいました。工事の人が来て、すぐ直しますと言ってくれたのですが、出来上がってみると、無関係なフェンス部分まで新品に。工事の親方が、一部だけ直しても他との釣り合いが取れないから全部やっちゃえと指示してくださったのだそうです。でもこれ、お金かかったよねぇ、重機を運転していた人が叱られてなければいいけどと思ったら、工事をしていた人がそっと耳打ち。あの時運転してたの親方だったんですよ、だって!責任を感じて、自腹でやってくださったみたいです。○○建設さん、ありがとう!!
わが家のトピックス堂々第1位は、父の救助体験です。救助というとちょっと大げさかもしれませんが、この夏の猛暑で具合が悪くなっていた人に遭遇して、その人を助けたらしいんです。すごく辛そうにしていたので思い切って声をかけてみると、最初はめまいがすると言っていたそうです。炎天下の屋外だったので、とりあえず日陰に入りましょうと立ってもらったら、すぐにその人は吐いてしまったそうです。それでもしや熱中症かもと思い、持っていたマイ水筒の冷たい水を手拭いに取って皮膚を濡らして扇ぐなどして体温を下げるようにしたら、だいぶ具合が持ち直したそうでした。そのあと、ゆっくり少しずつ水を飲んでもらい、念のため携帯でタクシーを呼んで、近くの病院まで付き添っていったそうです。あとでその人がわざわざイエにまでお礼に来てくれて、家族はびっくり。父は、マイ水筒、手拭い、持ち歩き用扇子などなど、自分が夏を快適に過ごしたいと持ち歩いていた物が人助けにつながるとはなぁと言っていましたが、お父さん、お手柄でした!!
2010年我が家で盛りあがったのは
自分の県の高校の甲子園での大活躍です
はらはらしてあまり生中継で見る事が出来ない自分と
そうではない家族が”どーなった・・?野球の結果・・”
逆転勝ちしたよ〜とか色々話をしました
ここまで野球の結果がよくなることはまた少しあとに
なるとは思いますが
好きなスポーツの話で盛り上がるのは
やっぱり楽しいことですね。
今年に入ってなんと祖父がパソコンデビューしました。
勿論もう80歳以上の祖父。
ここからパソコンデビューするとはもう驚きです。
そして、デジイチまで!
なんとも近代的なデビューをこの年齢にして果たした祖父を私は誇らしく思います。
祖父は離れて暮らしているため、普段お互いの様子を知りあうことができません。
しかし、祖父がパソコンデビューしてから、祖父とは度々メールにてやり取りをすることが増えました。
デジイチもデビューしたわけですから、カメラで撮った日々のものをパソコンに取り入れて、そしてメールに添付して送ってくれます。
ある時は旅行先の写真を。
またある時は庭先の植物。
こんな風に日々の情景を納めて送ってくれるのです。
だから同じくして私の方からも、出掛けた時に撮りためた写真などを載せてメールを送ったりもします。
そんな風にお互いの状況や近況をメールにてやり取りすることが増え、安心感を得られるようになりました。
そんな祖父は、もうひとつデビューしちゃったのが実は、この歳にして海外旅行デビュー!
どういうことでしょう。もしかしたら私よりもずっと体力と気力があるのではないかと思うのです。
行先はタイでした。
勿論一人で行かせるのは危険なので身内を一人一緒にさせました。
それでもあらゆる場所を一日中周り続けて帰ってきたのです。
こんな風に書いていると祖父はまるでとても健康だと思われそうですが、歳には勝てず体もボロボロの部分が沢山あります。
それでも、生きている間に沢山のものを知りたい、見たい、この目で肌で感じたいという祖父の思いがあり、こうしてこの年齢から沢山のデビューを挑戦したのです。
今年の我が家のニュースはこの祖父の行動力だと言えるでしょう。
来年も是非この元気さを保ってチャレンジしていってほしいです!
「かぼちゃ、植えてみようかな」
今年、父は初めて自分だけの畑を作ってにんじんとかぼちゃを収穫しました。
仕事をやめた父が春先から庭の畑を耕しはじめ、母が毎年やっている家庭菜園を本格的に手伝いだしました。
それまでは女手では難しい黒土の運搬などを手伝っていた程度でしたが、今年は違います。
母と共に植える作物を相談して、畝作りから種まき、支柱立てなどよく働きました。
でも、本格的な野菜づくりは初めて。
母がきちんと計算して播いた枝豆をカブと同じように考えて間引きしてしまい、母をがっかりさせたことや、植えて一ヶ月も立たないトマトやナスの苗にまた肥料をやってみんなに注意されたことなど失敗も多々ありました。
それでも、父の情熱は収まらず、とうとう先ほどのセリフが。
「でも、かぼちゃ、なかなかうまく出来ないよ。うちで作ってもあまり美味しくないんだよね。それにあれは場所をとるし」
「仕事で使ってた場所が空いたからそこに植えればいいじゃないか。」
仕事で使っていた場所は家から少し離れたところにあります。そこに黒土を入れて畑にしようというのでした。
そして、父一人の野菜畑づくりが始まりました。
わからないところは家族に聞きますが、作業は全部自分ひとりです。
かぼちゃの苗を買ってきて植え、家にあまっていたにんじんの種を播きました。
それから車に農作業道具を積んでの「ご出勤」。
毎日畑を眺めにいっては
「花が咲かないなあ」とか
「にんじんの芽がなかなか出てこないよ」とか
帰ってきてからいろいろ家族に話しています。
かぼちゃは植える時期が少し遅かったし、にんじんは話を聞けば、少し深く埋めすぎたようだし、うまくいくのかどうか心配そうにしてましたが、家族は「まあそのうちなんとかなるでしょ」と励まします。
たまに、「俺の畑、見に行かないか」と母を誘って出かけることも。
今年は暑かったせいか、害虫が大量に発生したこともありました。
「おい、これなんの虫か調べてくれ」
というので家族がインターネットで調べて、害虫の退治方法などを指南し、それに従って虫とりしたことも。
そして、収穫の秋。
父の熱意はどうやら実を結び、レジ袋いっぱいの人参と、4つの一抱えもあるかぼちゃが収穫できました。
「人参はなあ、まいた種よりだいぶ少ないみたいだ」と少々不服そうでしたが、それでも大量収穫です。
かぼちゃは切り口を干すために家の庭でしばらく乾燥。
それから大量の人参は家族がじゃがいもとともにポタージュを作りました。売っている人参より味が濃くてまさに「にんじん」という味がします。
一方、かぼちゃなのですが、
期待に胸躍らせた父が醤油で煮付けたものを食べて曰く
「いまいちだな…」