ディア・ライフ #007 pickup5
みなさまこんにちは、hazamaです。先日の「10月のダイジェスト」に、みなさまからうれしいメッセージをいっぱい、どうもありがとうございます。月間賞がなくなってさみしい感じになるかと思ったら、受賞タイトルを全部を紹介するかたちで充実してよかった!という声に、私もホッとしました〜w このダイジェスト・ページで、はじめて見てくださる方にも、毎週毎月こんなに素晴らしい語らいが展開していることをお伝えできるかしら? 〈みんなの住まい〉サイトの〈イエはてな Press Room〉に掲載中のイラスト付きの記事もたくさんの人に見ていただきたくて。語らいへのご参加はもちろんのこと、見て読んで、暮らしに活かしていただくことも私たちの願いですもんね!
#007 ピックアップ賞・ノミネート賞
さて、今日は“ディア・ライフ”#007のピックアップ賞・ノミネート賞をご紹介します。今回のイエと暮らしのショート・エッセイ、テーマは「これがわが家の味、幸せ料理と思い出」。やはり、あったかくて美味しい記憶というのはよくおぼえているものですね。読んでいるだけで幸せな気持ちになる素敵なメッセージがいっぱいでしたw ご実家のお祝い事でお馴染みの色鮮やかな「ちらし寿司」、うちで育てた野菜が美味しい「家庭菜園のキュウリで自家製ぬか漬け」、風邪の時におばあちゃまが作ってくれた「すりおろり林檎」、大鍋いっぱいに具だくさんの「豚汁」、生野菜も温野菜も添えたお母さまお得意の「豚のしょうが焼き」、コロンと小さく焼いてもらった「ホットケーキ」、日本のソウルフードでありそのイエのアイデンティティともいえる「みそ汁」……。そして、今のわが家ではいろんな具材を楽しむ「たこの入っていないたこ焼き」というお話も楽しかったですねw
そんななかから今回も、家族の愛情としあわせがたっぷり詰まったしみじみ美味しいエピソードを、ピックアップ賞・ノミネート賞に選ばせて頂きました。こんな素敵なお話とともに、レシピもぜひいただいちゃいましょ♪
*今回のピックアップ賞は、11月19日(金)の〈イエはてな Press Room〉の記事にてご紹介させていただきます。
■
病気で入院していた時、食べたくて仕方がなかった料理は、母が作るきんぴらでした。
母の作るきんぴらは、いわば野菜屑のリサイクル。
むいた根菜類の皮で作る、ついでの一品です。
けっして主菜になることはない、地味で目立たない料理なんです。
でも、一度食べたいと思ったら、もうその気持ちは抑えられません。
私の病気はちょっとややこしいもので、入院は長く続きました。
お母さんのきんぴらが食べたいよぅ、ジャガイモの皮で作るのがいいな。
言ったら笑われそうなので口にはしませんでしたが、ずっとそんなことばかり考えて過ごしていました。
母のきんぴらには、素材に対する愛があります。
皮をむく時は思い切って厚くむく。それが素材のおいしさを生かすコツ。
厚くむけば、皮も屑じゃない立派な素材。それでおいしいもう一品。
もったいながって中途半端に薄くむけば、どちらの良さも生かし切れません。
その当時、私は料理なんかまったくしない人で、満足に包丁も握ったことがありませんでした。
ですから、こういうことは後になって気付いたことなのですが、でもそういう素材に対する愛の心が料理に染みわたっていて、それが家を離れて入院生活を送っていた私の心に響いて来たんだろうなぁと、今考えるとそう思えてきます。
もちろん野菜によって、むいた皮の利用法は様々ですが、ごぼうやにんじんはもちろん、蓮根やウド、大根の皮などはきんぴら向き。
素材に合わせた味付けによって、きんぴらの一言ではくくれない、多彩なメニューが生み出されていきます。
ついでの一品にも手を抜かないのが、うちの母の料理だったんですね。
ウドのきんぴらもおいしかったな。
ウドの酢味噌はちょっと苦手だったけど、きんぴらはとってもおいしかった。
皮だけ売ってないのかな。
なんておばかなことを考えながら、心が弱くなりがちな入院生活を過ごしました。
退院したらやりたいことはたくさんあったけど、いつ退院できるか出口がわからない状態では、すぐに心が折れてしまいます。
でも、きんぴら食べたいくらいの希望なら、しっかり持ち続けていられます。
家に帰れたら、きんぴらでごはん。そんなささやかな希望が、私を支えてくれました。
やっと退院の見通しが出た時、回診の先生が、「よかったね、家に帰ったらまず何がしたい?」と聞いてくれました。
もちろん私は「お母さんのきんぴらが食べたい!」。
思いっきり笑われました。
でも、長期入院の患者にとって、家の味、母の味がどんなに恋しいものか。
先生もそれをわかってくれたみたいで、にっこりとして、うんうんとうなずいてくれました。
今は私もキッチンに立ってお料理します。
それをとっても楽しんでいます。
料理の楽しみは、おいしい物を作る楽しみだけではありません。
色んな工夫。
特に、素材の声を聞きながら、隅々まであますところなく使い切っていく工夫。
そういうのがまた楽しいんですよね。
母が作ってくれる「もう一品のきんぴら」は、その最高のお手本です。
母「何作ってるの?」
私「寒い夜にうれしいブリ大根、煮込んでどんどんおいしくなるように、たっぷり作るよー」
母「じゃ、大根の皮は」
二人で「きんぴらー!」
今夜も楽しい夕食が待っています。
■
リブ・ラブ・サプリの第一回目で書いた冬恒例のタマネギスープ。これは子供の頃からのわが家の冬の風物詩でした。
寒さが冷たさに変わってくる頃になると、母がブイヨンを仕込みはじめます。大きなお鍋からコトコト立ち上る湯気が、部屋にまで暖かさと、喉に優しいしっとり感を漂わせてきます。出来上がったブイヨンはまずコンソメに仕立てられて食卓に。すると父は、もうこんな季節になったかと、翌日、どっさりのタマネギを買い込んで帰ってくるのでした。
「剥くぞ」
「いぇ〜い!!」
父と私でタマネギの皮剥きです。スープは大鍋で作られますから、一度に30個は剥きます。剥いたタマネギの一部はみじん切りにされ、バターを引いたフライパンでキツネ色になるまで炒められます。残りは櫛切り。これらが大鍋のブイヨンに投入されたら、あとはひたすら煮込みます。
初日はまだ味が若いので、大鍋から一部を取って、季節の野菜やウインナなどと共に煮込まれたポトフ風のスープになって食卓に上ります。翌日になるとすっかり味が落ち着いて、タマネギスープだけで絶品の味わい。不思議ですよね。煮込んでいくだけで、びっくりするくらい味が変わっていくんですよ。これがタマネギスープの素敵なところ。おー寒い寒いと学校から帰ってくると、ほかほかの湯気が立ち上るスープカップが私を迎えてくれました。
こんなスープが、わが家では一冬ずっと続きます。減った分だけ新たに仕込んだスープを注ぎ足して、冬の間じゅう食べ続けられていくのです。煮込むほどに色と味わいを深めていくスープが冬の深まりと連動して、寒さが増すごとに食卓の温かさも増していきます。これはとても素敵なことでした。
このスープはそれだけでも家族の笑顔を温めてくれましたが、さらに様々な料理に変身して、冬の食卓を彩ってくれました。まずはタマネギスープのパイ包み。カップの上に膨らんだパイをザクッと割ると、立ち上る湯気。これだけでも食卓に喚声が上がります。スープの中にはベーコンと共に人参やセロリなど香りの良い野菜も一緒に煮込まれていて、トロリとろけたチーズも入っています。子供は人参やセロリなどが苦手なものですが、こんなスープで出されたら、全てが大好物に変わってしまいます。ソーセージもロールキャベツも、このスープで煮込まれていきました。
シチューもカレーもベースはこれ。クリームシチューまで褐色のタマネギスープをベースに作られますから、わが家のシチューは淡いブラウン色をしていました。でもコクのある絶品のシチューに仕上がるんですよ。
父は、スープの一部を取って人参やゴボウを煮込み、味噌を溶かして豚汁もどき。どこかが間違っている感じもしないではありませんが、これもまたうまいのです。
こんなふうに、一冬わが家を温め続けてくれたタマネギスープ。今は私が作っています。もちろんブイヨンから手作りがわが家のやり方ですから、私もそこから。丁寧に、丁寧に、わが家の冬の味を仕込みます。今は一人暮らしですが、これさえあれば、家路をたどる足取りも軽やかです。
■
by id:YuzuPON
父親が息子に対して抱く夢の代表例は、少年時代のキャッチボールと、二十歳を過ぎてからの一緒に一杯でしょう。うちの父は、とりわけ後者を楽しみにしていたようで、私が二十歳になると、さっそく一緒に飲もうと言ってくれました。その時の肴が、揚げ出し豆腐だったんです。
今でもイエで一杯酌み交わすことがありますが、父が喜ぶ肴のダントツ一位は揚げ出し豆腐です。父の酒はとてもいい酒で、けっして泥酔するまで飲もうとはしません。むしろ酒より雰囲気と料理を楽しむ飲み方です。だから肴はとても大切。母の作る揚げ出し豆腐があれば、父はそれだけでご機嫌です。
でも、揚げ出し豆腐はそれなりに手間がかかる料理ですから、普段は遠慮してなかなか頼めません。親子でゆっくり出来る週末だけ、ここぞとばかりに「なぁ母さん、今夜はこいつと飲む予定だから例のやつの準備を頼むよ」と。どうやら私は、揚げ出し豆腐のオーダー要員らしいです(笑)。
わが家の揚げ出し豆腐はとてもシンプルな、どこにでもある揚げ出し豆腐です。が、豆腐の水切り加減、揚げ加減が絶妙。カリッと仕上がった表面に手抜きをしない本物の出汁が絡む味わいは、そのへんの小料理屋で食べるそれより上を行っています。薬味のおろし生姜もいい風味を醸し出して、これは父ならずとも食べたくなる味です。
初めてイエで父と飲んで、この揚げ出し豆腐が出てきた時、私は思わず「揚げ出しってこんなにうまいもんだったのか」と言ってしまいました。それまでもご飯のおかずとしては食べてきましたが、それは複数のおかずの中の一品として口に運ぶに過ぎませんでした。揚げ出し豆腐だけをしみじみと味わったのは、それが初めてでした。酒の肴としてつまむことで、はじめて主役として私の前に現れた揚げ出し豆腐。その本当のおいしさが、二十歳になって初めてわかりました。
父はうれしそうに、二十歳になってわかるのは酒の味だけじゃないんだよな、とニッコリ。酒で家庭の味のすばらしさもわかる。このことは大発見でした。父の酒は味を楽しむ酒。それを家庭の味で楽しみたいという父の飲み方が教えてくたことでした。お父さん、あなたの酒の飲み方を、私も受け継ぎます。
さて、父同様すっかり揚げ出し豆腐ファンになってしまった私ですが、やはり豆腐の水切りから始めるこの料理は手間がかかりますから、頻繁に頼むのは気が引けます。しかも、夜になって突然では、豆腐のストックがあるとも限りません。何かいい手はないかなと思っていたところ、母が面白いアイデアを仕入れてきたのです。それは、高野豆腐で作る揚げ出し豆腐でした。作り方は、戻した高野豆腐の水を切り、あとは普通に調理するだけです。まぁ食べてみてよと出された「揚げ出し高野豆腐」は、予想に反してしっとりとした食感。これには驚きました。普通の揚げ出し豆腐とは異なりますが、これはこれでまた、すばらしいおいしさです。母も、これならいつでも作ってあげられるわよとニッコリ。さっそく酒を持ち出して臨時親子晩酌が始まったことは言うまでもありませんでした。
こうして新しい味わいも加わって、これがわが家の幸せ料理。最近はイエはてなのお陰で料理の楽しさに目覚めてきましたので、父母が仲良く飲む時は僭越ながら私が作ります。二十歳からスタートした「揚げ出し豆腐道」ですから、まだこれにまつわるエピソードは少ないですが、これから先に積み重ねていく思い出は多くなりそうです。
■
まだ小学生だったころ。「今夜はドリアよ」という母の言葉に、わくわくして夕食を待っていました。ところがキッチンから聞こえてきたのは、「あちゃー、チーズ切らしてたの忘れてた」という声。今から買いに行くの大変だから今夜は別のものでいい?という母に、夕食を心待ちにしていた私は、猛然と駄々をこね始めました。
「やだやだやだやだ、ドリアでなきゃやだ」
「でもチーズがないと焼けないのよ」
「じゃ焼かなくていい」
「ええー?ライスの上にホワイトソース掛けるだけになっちゃうよ」
「それでもいい」
そんなの美味しいかなぁと渋る母に、さらに駄々こね攻撃。ついに母は根負けして、焼かない中途半端なドリア作りを始めてくれたのでした。ごはんはチキンライスです。
「これ卵で巻いたら美味しいオムライスになるんだけどなぁ」
「やだ、ドリア!」
もう私も引っ込みが付かなくなっていました。母のオムライスはそれは美味しく、ファミレスで食べるよりイエの方がずっといいと思えるくらいの出来映えです。そのオムライスを蹴ってまでチーズなしドリアにこだわってしまったことを後悔しましたが、もう仕方がありません。
父が帰ってくると、母はバツが悪そうに苦笑しながら、ことの成り行きを説明していました。父も苦笑しながら、じゃあ俺も同じ物頼むよと言って椅子に座りました。二人とも、ごめんなさい、私が変な意地を張ったばかりに。でも男の子、いったん口に出したら引っ込められない時もあるんです。って、そんなプライドを賭けるような話じゃありませんが…。
しばらくして出てきたのは、みごとにチキンライスの上にソースが乗っているだけのしろものでした。母も同じメニューです。中途半端な作りかけドリアを前に、みんな揃って「いただきまーす」。
でも一口食べて、父が「うまい!」と言いました。どれどれ、私も一口。お、ホワイトソースがスパイシーで大人の味です。そこに子供も大好きなチキンライスの風味が混ざり合って、これは今までにない美味しさではありませんか。ドリアとは違う、新しいメニューの誕生です。
さっそく父がこの新メニューに名前を付けました。
「これを『イオニアごはん』と名付けよう!」
何それと聞くと、音楽用語でドリアといったら昔のヨーロッパで用いられていた旋法の名前の一つなんだとのこと。グレゴリオ聖歌などの独特なメロディの一部がこれにあたるのだそうです。
「そうした旧世代の旋法に新たに加わっていったのがエオリアやイオニアと呼ばれる新時代の旋法だったんだ」
そもそも旋法の意味がよくわかりませんが、音楽好きの父らしい発想です。
「そのイオニア旋法っていうのが、現代の長調、メジャースケールの元になっていったんだよ」
ようするに、ドリアの後に続く新しいものがエオリアやイオニア。この料理は食べると明るいメジャースケールのように人を笑顔にさせるから、イオニアの名を与えようと。そういうことのようでした。ほとんどわけわかりませんが、とにかくこの呼び名とともに、焼かないドリアはわが家に定着していきました。
その後、わが家のイオニアごはんには、様々なバリエーションも生まれていきました。ライスをチリソースで辛口にして、まろやかな味に仕上げたホワイトソースをかけるバージョン。ライスを香草でさわやかに仕上げて、そのさわやかさを損なわない粘度のゆるいソースをかけて食べるバージョン。他にも色々あります。ソースが主役級に躍り出ることで様々な工夫が可能になったこの「イオニアごはん」はもう、わが家の定番料理の一つ。今でも時々「あんたが駄々こねたお陰で生まれたのよねぇ、これ」なんて言われますが、そんな思い出も含めて、これがわが家の幸せの中心にある料理のひとつです。
■
正確には佃煮とちょっと作り方が違いますが、わが家のやり方をご紹介しますね。材料は、山椒の葉、お醤油、そして味醂です。
1.山椒の葉を摘み、固い軸を取り除きます。
2.大きなお鍋に湯を沸かし、山椒の葉をどばっと入れて、再び沸き立ってきたらすぐにザルに上げて冷水に放ちます。この間1〜2分。
3.そのまま水に20〜30分さらしておきます。
4.お鍋に山椒の葉を入れ、醤油2・味醂1の割合でふりかけながら、炒り煮のようにしていきます。熱とお醤油の塩分でどんどん水分が出てきますから、焦がさない程度に水分を飛ばしつつ、味見をしながらお醤油や味醂を足していきます。山椒は香りが強いので、味は濃く付けてだいじょうぶ。葉の量によってお醤油と味醂の量も違いますが、結構たくさん使います。
5.かさが最初の1/4くらいになったらできあがりです。
この佃煮に使う山椒は、子どものころに住んでいた家の庭にあったものでした。毎年アゲハチョウの幼虫もやってくる、大好きな木でした。山椒にしてはけっこう大きな木で、さらに雄株と雌株が1本ずつあったので、こうして佃煮にするために葉を取ってもまだ、アゲハの子の分もたっぷり残ります。あったかいごはんに、ちょっとだけ佃煮をのせてパク。山椒の葉の香りが、どこかミントにも似た清涼感になってお口に広がりました。
引っ越した新しいイエには山椒の木がなく、新たに植えることもありませんでしたが、ご近所に山椒の木が複数あり葉っぱがいただけるので、この味は絶えずにわが家に残りました。食べると、元のイエを思い出しました。
「あのおうち、まだ残ってるのかなぁ」
「どうかなぁ、そのまま住んでくれる人が買ってくれてたらいいね」
庭の山椒はどうなったかなぁ。新しく住んでくれた人が、そのまま大切にしてくれていたらいいなぁ。毎年そう思いながら食べていました。いつのまにか山椒の葉の佃煮は、生まれ育った懐かしいマチとイエを懐かしむ味になっていました。
そんな懐かしいマチに帰ることができたのは、つい最近のことでした。懐かしい友だちが出迎えてくれて、それは懐かしい時間が過ごせました。友だちに「私が住んでたイエ、今どうなってる?」とたずねてみたくなりましたが、それはやめにしました。自分の足で歩いて行って、自分の目で確かめようと思ったんです。友だちは「あなたが前に住んでいたイエ、今はね」なんて教えてくれようとしましたが、
「わー、言わないで、自分の目で確かめてみたいから」
「じゃ明日、一緒に見に行こう」
「うん!!」
そして翌日…。
懐かしい町並みを、友だちと一緒に歩きました。ここは通学路。子供のころの学校帰りを思い出します。景色は昔のままのようにも見えましたが、よく見るとけっこう変わっていました。きっとあのイエも今はないんだろうな。そう思いながら懐かしいイエの近くまでいくと…。あれ、あれれれれ。友だちはパパパッと駆けていって、庭にいたおじさんに「連れてきたよー」なんて声をかけています。
聞いてみたら、なんと今そこに住んでいるのは、友だちのご親戚の方でした。一度売れたイエがまた売りに出て、三度目の住人になったのは、退職して元のマチに戻ってきた友だちのおじさんだったんです。
「こんな田舎に新しい人なんて引っ越してこないよ、イエを買う人がいるとしたらみんな誰かの縁続き」
「うわぁぁ」
イエはきれいにリフォームされていましたが、玄関の場所も窓の位置も昔のままでした。お庭もきれいに手入れされていて、懐かしい山椒の木もそのままの場所にありました。
また会えた。きっとその時、私は泣きそうな顔をしていたと思います。おじさんが、ためしに挿し木にしてみるかいと声をかけてくれました。
「できるんですか?」
「山椒の挿し木は難しいし時期もずれてるからうまくいかんかもしれんけど…、持ち帰りやすいように団子挿しでやってみよう、準備しておくからまた帰りにでも寄ってくんないかい」
思わぬプレゼントに、私は本当に泣いてしまいました。こうして持ち帰ってきた山椒、ちゃんと根付くか不安でしたが、なんとかうまくいったようで、今わが家の庭で育っています。まだ葉を取るには早すぎるチビ山椒ですが、きっといつか大きくなって、わが家の味を支え続けてくれると思います。
■
「父が好きだった鰹の角煮」by id:lCatnip
鰹は安い切り落とし。これを見つけると、父は嬉々として買って帰ってきます。そしてさっさと台所に入って角煮を作り始めるのでした。鰹は一口大のサイコロ状。ちょっと癖のある魚ですから、塩をして一時間ほどおきます。ここで小休止。父はゆっくりとテレビなど見ながら過ごしますが、番組が終わると次の作業の合図ですから、再び台所に向かいます。
ヤカンにたっぷりの湯を沸かし、塩をした鰹をザルにとって湯をかけます。・・・続きを読む
■
「手作り餃子は家族の味」by id:maruiti
これぞ我が家の思い出の料理と言えば餃子!!です。
自分が子供の頃、家で皮から餃子を作りました。
皮からつくる餃子は手間はかかりますが、味はびっくりするほど美味いんです。
しかし家族4人分でも100個以上も作るので半日仕事になります。
おふくろが小麦粉をこね、団子にしたものを麺棒で薄く延ばして餃子の皮を作る。
自分が豚ひき肉を炒めて
親父が白菜と葱をみじん切りにして餡に混ぜる。・・・続きを読む
■
「祖母のおにぎり」by id:sayonarasankaku
小さな頃、祖母が作ってくれるおにぎりが好きでした。
家では商売をしていて両親が忙しかったので、私が夕方にお腹を空かしているようだと祖母がおにぎりを作ってくれることがありました。
たぶん手にしょうゆをつけて握っていたのだと思うのですが、ご飯にしょうゆがしみて茶色くなったおにぎりでした。・・・続きを読む