ディア・ライフ #006 pickup5



みなさまこんにちは、hazamaです。爽やかな秋の風が心地いい午後、みなさまいかがお過ごしですか? 私は先の土日、久し振りに京都に行ってきたのですが、遊びに寄せてもらった友達のマチでは、ちょうど神社の秋祭り。町内ごとに子どもおみこしがワッショイ、ワッショイと賑やかで、しばし付いて歩いちゃいましたw おみこし隊の休憩所や子どもたちへのお菓子のふるまいもみんなマチの人たちの手作りで、心和む光景を楽しませてくれました。もちろん、五穀豊穣や無病息災を願い感謝するお祭りですが、通りに響くおみこし隊の声やお囃子の音は、それだけでマチに活気と幸福の気を呼び込んでいるみたい。私まで晴れやかな気持ちをもらった、いい休日でした♪


#006 ピックアップ賞・ノミネート賞

さて、今日は“ディア・ライフ”#006のピックアップ賞・ノミネート賞をご紹介します。今回のイエと暮らしの物語、テーマは「わが家にお部屋に、ずっとありつづけるモノ」。いただいたショート・エッセイは、思っていた以上に話題が幅広くて、そして思いが深くて、読み応え満点の1章になりました! 「箪笥」や「学習机」など愛着の家具、「家族の写真」や「柱のキズ」といった家族の歴史を象徴する光景、おばあちゃまからもらったという年代物のぬいぐるみやお母様が作られた「くまちゃんのぬいぐるみ」をはじめ、あたたかなお手製の思い出の品……。「子供の作品」のツリーでは、子どもさんの絵や工作、そしてご自身が子どもだった頃の作品をめぐるたくさんのエピソードが集まって、思わず微笑みがこぼれましたw


そんななかから今回も、お一人おひとりの胸の中にある大切なモノをそっとひらいて見せてくださった感慨深いエッセイを、ピックアップ賞・ノミネート賞に選ばせて頂きました。ちょっぴり涙がにじむエピソードも、家族の笑顔が浮かび上がる物語も、みんな愛しい人生なんだと感動しきりです。


*今回のピックアップ賞は、10月22日(金)の〈イエはてな Press Room〉の記事にてご紹介させていただきます。


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「古いラジカセ」by id:C2H5OH


横幅は25cmくらい、高さは10cmくらい。モノラルのおもちゃみたいなラジカセです。メーカーは東芝。製造年代は分かりませんが、おそらく1970年代か80年代でしょう。これがずっと以前から、わが家では現役として使われ続けています。


昔は子供のいいおもちゃでした。マイクが内蔵されていますから、本体のみで録音可能。変身ヒーローの決めゼリフをポーズ付きで演じて声を録音して遊んだり、当時流行っていた歌を司会入りで歌って録音して楽しんだりしていました。


学校のクリスマス会でやる寸劇の効果音をこれで録音したこともありました。その寸劇は音が主役です。ストーリーは、妖精に魔法の靴を授けられた男がそれを履いて歩くと、次々とんでもない足音がしていくというもの。最初はカランコロンと下駄の音。次はキュッキュッキュッと鳴る幼児のサンダルの音。ここから次第に変な音になっていき、馬のヒヅメの音、ドシーンドシーンという怪獣の足音等が続きます。なんだなんだ、一体どうしたんだと、こわごわ次の第一歩を踏み出すと、オルガンのドの音が鳴ります。うん?二歩目を踏み出すと今度はレ。三歩目でミ。慌てて後ずさりするとレ・ドと鳴ります。ここで男はポンと手を打って、足でジングルベルの演奏をはじめます。音が大きく飛ぶので、そこがかなり無理な大股になるのが笑わせどころ。みんなであれこれ工夫を重ねながら効果音を作りました。これは楽しい思い出です。


茶の間では主に、父のスポーツ観戦用でした。野球や相撲などは、テレビの音声より、ラジオの方がずっと面白いのです。実況アナウンサーが言葉だけで伝えようとする試合の様子は、常に白熱そのもの。それを聞きながらテレビの画面を見るのが、父の好きなスポーツ観戦スタイルでした。トイレに立つ時は、ラジカセをひょいと持ち上げて、電源コードを抜いて持っていきます。ゆっくり返ってきた父は「電池も使えて便利だな」とにっこり。父のトイレは長いことで有名でした。


晦日には風呂場にも持ち込まれました。当時は国民的番組として、日本人のほとんどが見ていたであろう紅白歌合戦。でも父は長風呂でも有名ですから、入浴中に紅白が始まってしまいます。そこで私は毎年、このラジカセをビニール袋で包んで風呂場にお届け。父は「お、きたきた」と上機嫌で、紅白を聞きながら、さらに長風呂を楽しんでいました。


そのうちこのラジカセは、私の部屋専用になりました。これで深夜放送を聞いていたのです。ハガキ職人なんていう言葉がありましたが、私もずいぶんハガキを書きました。そしてかなり採用されました。勉強しているふりをして深夜放送に熱中していた受験生時代。これも懐かしい思い出です。


長い間使っていると、ボリュームにガリが出たりします。ツマミを動かすと、ガリガリ雑音が出るのです。でも古い電気製品はネジを外せば分解が可能なように作られていますから、自分でケースを開けて、ボリュームを取り外して接点復活剤をシュー。カシカシとツマミを動かして馴染ませて再組み立て。はい、直りました。こんなふうに、不調が出る都度自分で手入れが出来ますから、いまだにカセット部分も正常に動く現役バリバリのラジカセとして完動を保っています。


でも、時代が変わり、カセットテープはほとんど使われなくなってしまいました。このラジカセはテレビの音声も受信できますが、それもアナログ放送が終わってしまえば使い道が無くなります。そのうちこのラジカセは、ラジオ専用機となってしまうことでしょう。ラジオだけはどんなに時代が変わっても、従来の放送方式を変えないメディアであってほしいと願っています。だって、昔のラジオは壊れにくく、いまなお20年30年前の物がたくさん現役で動いているのですから。


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「家族の歴史と百人一首by id:sumike


 子どもの頃の家族の、楽しい思い出といえば、何と言っても家族で火花散らした百人一首かるたです。
何歳から始めたかは記憶にありませんが、物心ついた時にはもう参加していました。
父に言わせれば、四〜五歳からやっていたようです。


 読み手はいつも父で、早く帰った夜には時々「かるた取りやろうか」という父が声をかけ、
夕食後のひと時を百人一首に熱中したものです。
 私の家族の原点は、五人家族で囲んでいた楕円の大きな卓袱台で百人一首に興じた日々かも知れません。


 取り手は二人姉弟と母と祖母の四人でしたが、私が家を出る二十歳ぐらいまでやっていました。
一番よくやったのは中学生時代で、姉弟の実力はほぼ互角でした。


 百人一首かるたは、普段は百枚をばらばらに並べ上の句を読んで下の句を取る、「散らし」という遊び方が主でしたが、
たまに2チームに分かれて五十枚ずつ持ち、相手チームの札を取れた時はこちらの札を一枚相手の陣地に置き、
早く自分のチーム側の札がなくした方が勝ちという「源平」という遊び方や、作者の名前を読み、札を取る「作者取り」もしました。
 私にとっては百人一首かるたは雅な遊びというより一種のスポーツ感覚で、反射神経が重要で、ぞくぞくするような緊張感がとても心地よく、札を取れた時には爽快感もありました。


 百人一首かるたは大人も子どもも一緒に楽しめ、色々な遊び方ができる奥深い魅力あふれるゲームです。


 しかし、核家族化、少子化で家族の人数が減った今、家で遊べる機会が少なくなっています。
まず読み手に一人取られてしまうので、これはランダムに読んでくれるCD等がもあるので利用するといいかもしれません。
十数年前、これが発売されたと聞いた時、我家でも購入を検討しましたが、父が読む節回しがいいのと母が反対し
結局CDの購入にはいたりませんでした。
 父が取る方に参加して、万一子ども達に負けたら大変という、母の配慮だったのかもしれませんw


今、我が家にある百人一首グッツ。


 一つは二千ピースからなる百人一首のジグソーパズル。
 これは母からのプレゼントで、子どもが生まれる数年前の正月に実家で組み立てました。
これが思いの外大変で(というよりは長く楽しめたといいますか…)結局実家では完成せず、自宅へ持ち帰り
完成までに二週間程かかりました。
 実家ではジグソーパズルは、箱の蓋に画かれている出来上りの絵を見ないで作るという妙な伝統があるのですが、
さすがにこの時は途中から母も箱を見ましょうか?と言い出し、見ながらもまた皆で悩みました。
 この年は十分アナログな正月を楽しみました。
今はパネルに入れて飾ってありますが、糊づけはしていないので、いつか今度は子ども達と一緒に取り組みたいと思っています。


 そしてもう一つが本の補修テープで角を補強した紙箱に入った百人一首セット。
これは私が中学生の時に弟と一緒にお年玉を貯めて買った物です。
もちろん母と祖母からも協賛費をいただきました^^
 今はもっと安い価格で売っているかと思いますが、当時はかなりの金額だったように思います。
どうして貴重なお年玉を使ってまで購入したのかといえば、それまでつかっていた木箱入りのものは字が崩してある、趣のある草書体。新しく買った札はとても読みやすい行書体で大きな文字。
この札に変えてから、私と弟の取る札の枚数が飛躍的にアップしましたw


 息子がようやくひらがなが少しずつ読めるようになってきたばかりですが、私もその頃から始めたみたいですし、そろそろ百人一首デビューをさせたいなぁと考えています。
 最近、耳で聞いただけでとんでもなく長い歌詞や言葉を覚えていたり、教えもしないのに平仮名を覚えては、
どこにいても文字を探して読む(意味などは読んでから聞きます)、といった事もあり、この年頃の子の能力は侮れないものがあります。
 まぁ最初から札を取るのは難しいと思うので、まずは絵から入るということで、坊主めくりからかしら。
 和歌の韻を踏んだ句や五七調の流れるようなリズムは、まさしく歌のようです。
いつの間にか私には父の読み上げる節回しというかイントネーションになじんでしまっていて、
同じようなイントネーションで読んでいます。


 最初は和歌の意味が分からなくても、家族や周りの人が読んでくれる楽しい雰囲気と、札のきれいな絵に、
子どもが何かを感じてくれるのを楽しみにしています。
 絵本を楽しむように、百人一首かるたも家族で一緒に親しんでいきたいです。


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「親父の工具箱」by id:maruiti


親父の両開き工具箱。
金槌、ペンチ、ニッパー、鋸、錐、レンチに精密ドライバーに大きなプラスとマイナスのドライバー、カンナにラジオペンチ。
千枚通しに肥後守(ひごのかみ)そしてカッターナイフに金やすりにサンドペーパーそしてボンドに接着剤。真鍮ブラシ
ビニールテープに絶縁テープ。ねじに釘も、様々な形、種類のモノが入ってました。


小さい頃、親父が工具を使うのを見ているのが好きで、なんでも出てくるその箱はまるで宝箱のようでした。


なぜか工具箱を見ているとわくわくする・・・・これは自分に限らず男の半分以上は、工具類が好きだと思われます。
工具箱 ― そこには多種多様な工具が整然と収められていて、例えそのうちの半分以上は数年に1回しか使われないものだと
しても、「何でもできそうな感じ」をかもし出すという重要な機能を果たしているんです(笑)


小学生になってからは見ているだけではなく、親父一緒に物作りをし「ここをこうしようか?」とか
「なんでうまくできないんだろ?」等、熱く語り合ったもんです。
夏休みの工作も親子共同で取り組み、小さなものでも、親子で何かを作り上げることで親子の絆が強まった気がします。


結婚して家を出る時に、工具箱を渡されました。
親父が使っていたのと同じ形で色違い。
中には金槌、ペンチ、ドライバー等、基礎的な物だけしか入っていませんでしたが、それから十数年の間に
必要なモノを少しずつ揃えていきました。


現在は金定規にカッターやハサミ、セロハンテープ、ビニールテープにピンセット、油性マジックなんかも入っていて、工具箱と道具箱の合いの子のような状態です。
息子はこの工具箱があれば、なんでもできる!と思うようで、工具箱を開けると子どもの物作りしたい気分が盛り上がるようです。


ほぼ完成まで自分が作った椅子も、最後の仕上げの釘一本打っただけで息子が全部一人で作った気分になっているのが、まるで昔の自分のよう。


もう少し息子や娘が大きくなり、竹細工や木工ができるようになれば、糸ノコや、小刀なども揃えていく予定。
そうそう、自転車の修理技術、これも子ども達に伝えたいですね。


大人になってからもラジオペンチやニッパーなど、少年時代にいじった工具に触れると楽しいものです。
子どもの成長とともに我が家の工具箱も進化します。
新しい工具を買うために、子どもそっちのけで新しい工作アイディアに挑戦したくなっちゃったり…と、自分の世界も広がります(笑)
ペンチなども使い込むうちに手に馴染むところなんかは、金属とはいえ親しみを感じます。
自分の歴史と家族の歴史が融合した工具箱。 
いつか息子が家を巣立つ時には親父からとして、手になじんだお気に入りの道具と彼と共に新しい歴史を刻む工具箱を持たせてやりたいな、と思っています。


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「ハムスターのケージ」by id:watena


中学生の頃、ハムスターを飼っていました。出会いは某ホームセンターでした。今は法律がしっかりして、ちゃんとした許可を受けたお店でなければ動物の販売は出来ないことになっていると思いますが、そのハムスターはとても動物を置いておくには適さないような場所に置かれていました。しかもケージには半額処分品の赤い札付き。一匹だけ売れ残ってしまったのでしょう。見ると、いかにも元気が無さそうな様子でした。
その時私は、工具を買いにその店を訪れていました。小遣いを貯めて、念願のハンドドリルと、何種類かの太さのドリルの刃を買うのが目的でした。一度は工具売り場に足を向けましたが、元気の無さそうなハムスターがどうしても気になります。結局戻って、そのハムスターを買うことにしました。買うというより、気持ちは救出です。回し車の付いた小さなケージとハムスター用のフードも一緒に買ったので、結構な出費になりました。当初予定していたハンドドリルより高い金額です。もうドリルは買えません。
イエに帰ると家族は留守でした。ハムスターを私の部屋に連れて行き、こういうことに詳しい友達にさっそく電話。うちに来てもらって、ケージの中をハムスターに快適なように整えてもらい、詳しい飼い方を教えてもらいました。飼い方の解説本も貸してもらいました。
ハムスターは、連れてきた当日はだるそうにしていましたが、一晩たつと元気が出て、回し車を回して遊べるようになっていました。しかし、回し車の音は結構大きく響きます。このまま黙って部屋で飼うわけにはいきません。日曜日でイエにいた父をつかまえて、もしこれこれこういう状態の生き物が売られていたらお父さんならどうする?と聞いてみました。父はしばらく考えていましたが、「何匹もいたら一人の手には負えないけど、一匹ぐらいなら助けるつもりで買ってくるかもしれないな」と答えてくれました。
しめた、と思いましたが、もう一問ダメ押しです。「でも、突然そんなの連れて帰ってきたら家族が驚くだろう?生き物なんてダメと反対する家族がいるかもしれないぜ?」。すると父は「よその家ならそうかもな、でもこの家ならお前も母さんもすぐ分かってくれる、だろ?」
ちょっと待っててと部屋に行き、ケージごとハムスターを持ってきました。「実は、ほら」と見せると、父は大笑いしながら「一杯食わされた!」。でも男に二言はない、そういう事情ならこれはうちで飼おうと言ってくれました。
父に呼ばれて事情の説明を受けた母もすぐに可愛いと気に入ってくれて、晴れてこの子は正式に我が家の一員と決まりました。名前は母が付けました。命名ルナ。ゴールデンハムスターがまん丸くなって寝ていると満月みたいだからというのがその理由です。父は、どちらかというと栗饅頭だなと言っていましたが(笑)。
とにかくルナはその日から我が家の人気者。それから約5年、病気ひとつせず、元気に過ごしてくれました。しかし、ハムスターの4〜5歳は、奇跡に等しい長寿です。やがて回し車の音が聞こえない日がやってきてしまいました。人間と同じように一晩お通夜をして、大好きだったリンゴをお供えして、翌日埋葬しました。
でも、全てが終わってしまったのに、どうしてもケージを片付けることが出来ません。みんな一度はどけようとしましたが、ぽつんと空いてしまうスペースが寂しすぎるので、すぐに戻してしまうのです。
「無理にどけなくてもいいじゃないか、置いておこうよ」「そうね、私の実家も亡くなった父の部屋、そのままにしてあるのよ」「お義父さんとハムスターは一緒か」「いいのよ、父も動物好きの人だったから」「あはは」「うふふ」。こんな父母の会話。ちょっとだけ我が家に笑顔が戻りました。
それからずっと、そのケージはインテリアのように、部屋の中に置かれ続けています。悲しい別れのメモリアルではなく、可愛い家族と楽しく過ごした日々の記念として、です。今はもう、すっかり我が家の風景の一部に溶け込んでいます。


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「祖母お手製の綿入り半纏」by id:offkey


今、私は綿入り半纏を着てキーボードを叩いています。
朱色の地に黄色の絣がついた生地で裏地も朱色。襟は黒。
この半纏は学生時代の私と妹へ祖母が手作りしてくれたものです。
祖母とは同居していなかったので、お盆やお正月に会うくらいのものだったのですが、いつも行くたびに祖母は元気よく笑っておしゃべりが大好きで、当時まだ独身だった叔母たちや母親ととりとめのない雑談をしていたのをよく覚えています。
私は隅っこでその話を聞くともなしに聞いていました。
そして帰りはいつも祖父が途中まで送ってくれて、お土産に地元の名物菓子を持たせてくれるのです。
祖母は体を動かすのが大変だったのでいつも家の中での見送りでした。
そんな祖母がきっと夜なべをしてくれたのでしょう、目の覚めるような鮮やかな朱色と黄色の絣の綿入り半纏を小包で送ってきてくれたときにはかわいらしい色合いがいっぺんに気に入りました。
そうはいっても当時私はそれほど寒がりではなく、家も冬は暖房を思いっきり効かせるので実は着る機会がそれほどありませんでした。たまに凄く寒いときに着ていた位で、そのうちもったいなくて箪笥の中に大事にしまっておくこととなったのです。


さて、時は流れ、祖母も永眠し私も綿入り半纏を貰ってから30年近く経ちました。
若い時期を通り過ぎてみるとあれほど薄着でも大丈夫だったのが、すっかり寒がりとなってしまいました。
カーディガンを着たりしてはみてもどこか寒い。
そんなときにふと昔貰った半纏のことを思い出してしまってある箪笥から出してみました。
あまり着ていなかったこともあって、色は当時のまま綺麗です。なにより朱色がこの寒さから守ってくれるような温かさをかもし出しており、早速着てみると極太セーターやカーディガンのような重さがなくて軽いのに暖かい。
今は亡き祖母の太陽のような明るさを思い出しながら、普段着ることにしました。
その様子を、妹が見て
「あっ、この半纏まだ持ってたんだ。随分綺麗だね。私はボロボロになってしまったのでもうないよ」
と懐かしそうに言うではありませんか。
そういえば、妹は夜更かしさんで、受験勉強の時とかこれをよく着ていたなあということも思い出しました。


年月とともに移り変わる衣類でこの半纏がいつの間にか古株一番となってました。
祖母の思い出がいつまでも残るように、大事に着ていきたいなと思ってます。


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「クリスマスツリー」by id:lepremierpas


季節外れでごめんなさい。
我が家にあり続けるものとのお題で一番に真っ先に思い浮かんだのが”クリスマスツリー”でした。
私がまだまだ記憶の無い幼少時代に両親が購入したものです。
このクリスマスツリーを毎年のように小さい頃は12月になると押し入れから出して、そこにオーナメントを飾り付け、ライトを巻きつけてお部屋で楽しんだものです。
部屋の電気を暗くして、両親に挟まれながらクリスマスソングを歌ったり、ケーキを食べたり、お食事したりと楽しみました。・・・続きを読む

「返せなかった本」by id:Fuel


中学生の一時期、図書委員をやっていたことがありました。小学生のころからおちゃらけ者だった私は、中学生になっても騒々しい生徒でした。そこで先生が「図書委員でもやって少し落ち着きを学べ」。他のクラスの図書委員はいかにも文学少年少女といったタイプの生徒ばかりでしたので、私は委員会で浮きまくっていました。

でも、副委員長だった3年女子の先輩はそんな私を見放さず、本というもののすばらしさ、それを生徒に伝えていく委員会活動の意義などを、熱く語って聞かせてくれたんです。そして、私にも出来そうな仕事をたくさん見つけてきてくれました。・・・続きを読む

「父譲りのハンダゴテ」by id:momokuri3


子供のころ、電子工作好きの父のハンダゴテさばきを見ているのが好きでした。私はとにかく「モノ作り」を見ているのが好きで、道路工事からお祭りの屋台の鈴カステラ作りに至るまで、とにかくモノが作られる過程を眺めては、すごいなぁ、ぼくも大人になったらあんなのを作ってみたいなぁと夢を膨らませる子供でした。そんな子供にとって、とりわけ父のハンダゴテさばきは憧れだったのです。

休日になると、父はウキウキしながらハンダゴテを温めはじめました。
「ハンダ付けするぞ、見に来るか?」・・・続きを読む

「陶器の重箱とお節」by id:ekimusi


祖母から受け継いだ50年ほど前の、陶器の重箱。
この重箱は祖母の叔母の結婚式の引き出物にいただいた物とのこと。
丸みを帯びた四隅と少し色あせたようなレトロな梅柄、丁寧に使用しているので今もなお現役です。

祖母が料理に目覚めた私に、10年ほど前に譲ってくれました。

お正月のおせち料理、お彼岸の頃には牡丹餅やお萩を詰めて墓参り、・・・続きを読む

「黄色の鉢巻き」by id:Cocoa


私の机の横には、長い鉢巻きが一本、常に掛けられています。ここ一番と気合いを入れたい時に、それをきゅっと頭に巻くのです。そうすると身も心も引き締まります。中間試験や期末試験の時はもちろん、受験の時にも使いました。卒論が間に合わなくて徹夜続きだった時も、この鉢巻きが眠気を吹き飛ばしてくれました。
好きな男子が出来てバレンタインに手作りのチョコを贈ろうと決意した時も、この鉢巻きを使いました。その時は頭に巻くんじゃなくて、これをタスキにしてキッチンに立ってたっけ。・・・続きを読む

「技術・家庭の授業で作った椅子」by id:Oregano


背もたれのない、シンプルな木の椅子です。中学の技術・家庭の授業で作りました。木工作好きの私としては、大の得意分野。ほとんど会心の出来映えでした。ところがです。採点が終わって返ってきた私の椅子は、脚に嫌なイタズラをされていました。わからないように切れ込みが入れられていて、座るといつか折れて倒れるようになっていたんです。

先生、これ見てよ、どういうこと?心を込めて作った作品を台無しにされた私は、悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。・・・続きを読む

「思い出のコーヒーカップby id:CandyPot


白地の下の方に、篭に植えられたお花の模様が並ぶコーヒーカップ。大好きなお友だちからもらったカップです。その子を仮にMちゃんと呼びますね。

Mちゃんは、小学校に上がって最初に仲良くなったお友だちでした。やさしくて、かわいくて、とってもすてきな女の子。私はMちゃんが大好きでした。家も近かったので毎日一緒に登下校。学校での休み時間も、いつも一緒でした。

Mちゃんは1年生の時から、自分専用のカップを持っていました。愛用し続けています。Mちゃんとの友情は、今も変わらず続いています。・・・続きを読む

「誓いのピック」by id:TomCat


ピック。ギターの弦をはじく、小さな板のことです。安物なら1枚数十円。ほとんど使い捨てのような物ですが、ギター弾きにとっては指の延長。形状や大きさ、厚さや固さなどには、それぞれこだわりを持っています。

かの元祖早引きギタリスト、リッチー・ブラックモアは鼈甲製のホームベース型。強いアタックの効いた音が生み出せます。確かなテクニックであらゆるジャンルの音楽を弾きこなすスティーヴ・ルカサー(元TOTO)はティアドロップ型。でも、普通のティアドロップ型よりずっと小型で先端の角度も狭い、マンドリン用ピックのような形状をしています。・・・続きを読む

「家族である人形」by id:canorps


あまり明るいお話ではないのですが・・・。
そのカエルの人形が私の手元にやってきたのは10年くらい前のことでした。
私たち夫婦はそのカエルの人形に名前をつけていました。
ちょうどその頃私のおなかには新しい命がやどっていたのですが
悲しいけれどその子は生まれてくることができませんでした。
お寺さんで供養したあと、おなかの子の存在を忘れることがないように
同時期に我が家にやってきたカエルの人形の名前で呼ぶようになって
人形を大事にしていました。・・・続きを読む

「生け花」by id:shig55


 とかく物があふれ雑然としてしまう私の部屋です。でも窓際のフロアの一角や整理タンスの上にはいつも、花があります。決して高価な物ではありませんが庭から摘んできたり、人からいただいたり、時にはスーパーで新鮮な花を見つけたりしたときなど、生けられる花が交代します。ちょっとした花や緑があるだけで部屋が落ち着くのです。
 先日、コスモス畑に行ってきました。見渡す限りコスモスが咲いていて、それはそれは感激でした。元々は田んぼだったところに種をまき、一面のコスモスにしたところです。・・・続きを読む