ディア・ライフ #004 pickup5



みなさまこんにちは、hazamaです。先の土日も全国的に猛暑となりましたが、少しゆっくり過ごして夏期休暇のお疲れを癒されましたか? 今年は私のまわりでも早くからバテていた人が多かったのですが、みなさまはどんな夏バテ解消法をお考えでしょう? 私はこの夏、タマネギスライスをたっぷり使ったマリネを毎日いただいていますw 生タマネギとお酢でとにかく血液をサラサラに、そしてトマトやキュウリやセロリなどの夏野菜いっぱいでクールダウン。何だかカラダが求めている感じで、毎食でも食べたくなるから不思議です。食欲も増して心身がシャキッと、この夏の元気の元になってます〜。みなさまもぜひ、夏の疲れにタマネギたっぷりマリネはいかが?


#004 ピックアップ賞・ノミネート賞

さて、今日は“ディア・ライフ”#004のピックアップ賞・ノミネート賞をご紹介します。今回の人生のショート・エッセイ、テーマは「幼年から今年まで……仲間や家族とのひと夏の思い出」。幼少の回想からこの夏の出来事まで、そしてご両親や兄弟や子どもたち、従兄弟にご友人にマチの人々とのふれあい、本当にさまざまな物語を聞かせてくださいました。それぞれに素晴らしいエピソードが胸にしみて、何度も読み返してしまいました! お盆におばあちゃまのイエの庭で観た美しい「花火」、マチの景色が目に浮かんだ「小学校裏の公園での盆踊り」、学区の仲間たちと楽しんだ「そうめん流し」、中学時代に電車で通った思い出「毎日海へ」、子どもの頃に毎年家族で訪れた「おばあちゃんの家」、そして古きよき日本の夏の光景「蚊取り線香の香り」や「蚊帳」……。やっぱり夏休みは特別な思い出が胸に刻まれる季節、ここにたくさんの忘れ難い夏のひとコマを綴ってくださり、みなさまどうもありがとうございました!


そんななかから今回も、お一人おひとりの人生や思いが豊かに伝わってくるエッセイを、ピックアップ賞・ノミネート賞に選ばせて頂きました。こんな思い出や出来事を積み重ねながら人や家族は歩んでいくんだな……、そう人生の愛しみを実感させてくれる、素敵な物語たちです。


*今回のピックアップ賞は、8月27日(金)の〈イエはてな Press Room〉の記事にてご紹介させていただきます。


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「キャンプで母と過ごした森の一夜」by id:YuzuPON


こちらでご紹介した軽トラをベースにしたキャンピングカー。この夏、これで母と一緒に出かけてみました。
http://q.hatena.ne.jp/1267765009/255893/#i255893
最初は私が留守番をして父母二人で行く計画になっていたんですが、父の都合で私が運転手役を引き受けることになったんです。


行った先は、そんなに遠方ではない、東京西部のキャンプ場です。軽と言えどもキャンピングカーですから中で寝ることが出来ますが、父があらかじめバンガローを予約していてくれたので、夜はそこで過ごすことになります。
現地到着。車を降りてチェックイン、早速バンガローに向かいました。バンガローの外観はログハウス風で、杉木立の中の斜面に建てられています。「へぇ、すてきなところね」と母。軽はやっぱりきついわぁと、早速床に寝転んでいます。「ちょ、寝転がるならシートくらい敷…」「手足伸ばすと気持ちいい〜」。おやおや。


バンガローは数棟あり、私達が借りたのはその中で一番小さな棟でした。内部は四畳半をちょっと横長にしたくらいの大きさですが、二人ならこれで十分です。


川が近いので、まずは涼みに行くことにしました。かなり上流部の川なので、水深は膝くらい。母はさっそく裾をまくり上げて、子供のようにはしゃぎながら川に入っていきました。
「あんたもいらっしゃいよ」
「いいよ、子供じゃあるまいし」
「あー、かわいくない」
手の平で水をすくい上げて、岸辺の私にばしゃっとかけてきます。アニメの女子高生ですか、あなたは(笑)。


あー、楽しかった。結局私も童心に返って、たっぷり川遊びをしてしまいました。そろそろキャンプ場のお楽しみ、夕食の準備です。バンガローは単にテントが木造になっただけといった設備で、キッチンも何も付いていません。でも、自然破壊につながる地面での焚き火でさえなければ、屋外でコンロなどを使うことは出来ます。今夜のメニューはもちろんバーベキュー。キャンプ場の規則では、過度の飲酒でなければお酒も可です。


バーベキューコンロに炭を入れて着火。いい感じに火が熾ってきました。焼き、かつ食べます。普段は小食に思えていた母が、この時ばかりは食べる食べる。私はもっぱら焼く係です。
「あんたはこういう時こまめだからいいわよね、次、シシトウ多めに刺して」
「はいはい」
ビールも開けます。母は何かのリミッターが外れたようにグイッとあおって「プハー」。とても楽しそうです。
「今ごろお父さん、イエで猫と寂しく飲んでるかしらね」
「いや、独身時代を思い出して案外楽しくやってるんじゃないの?」
「かもね」


食った食った、焼き係の私も、さすがにお腹が一杯です。このキャンプ場には夜間は静寂を守る規則があるので、とても静かで落ち着いた森の夜が訪れました。そんな雰囲気に誘われてか、母は自分の若いころの話をしはじめました。特にセンセーショナルな恋バナとかではない、ごく普通の日常の思い出です。笑ったり悩んだり、時には張り切ったり時には落ち込んだり。私が高校生だったころと何も変わらない時間。そんな時間が母にもあったんだなぁと、ちょっと不思議な気持ちになりました。
「ねぇ、こんな時、あなたならどうした?」
「うーん、何もできそうにないなぁ、だってさ…」
「やっぱりそうよね」
私もいつの間にか十代のころの気持ちに戻っていたようです。


翌日、キャンプ場をチェックアウト。
「急いで帰る?そのへんを少し走る?」
「もちろん走る!」
「じゃ、行こうか」
「行っけ〜!!」
母と息子ではない、友だちのような声の掛け合い。何かの距離がグッと近くなったような気がしました。最初は正直、母親と二人きりでキャンプなんて間が持つかなと少々気が重かったのですが、今はイエに帰って普通の親子に戻ってしまうのが、ちょっと残念なくらいに思えていました。家族全員で乗ることができない二人乗りの軽キャンパーだからこそ得られた、貴重なこの夏の思い出です。


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「友達や家族、みんなの力でやり遂げた地域こども祭り」by id:watena


地元の商店会が主催する地域まつりイベントが、ついに終了することになってしまいました。個人商店の数が減り、続けられなくなってしまったのです。自治会が引き継いで継続開催をという声もあったようですが、自治会では毎年盆踊りを開催していますので、重複して二つの行事を行っても無駄だという声が大勢を占めていたようでした。
しかし私達子供は、それをとても残念がりました。お店の数が減って商店会の力が弱くなった分を、毎年地域の子供会が支えて、協力してきたからです。僕たちのまつりが無くなる。それは小学校の6年間を毎年「今年も頑張ろう、来年も頑張ろう」と言い合って過ごしてきた子供たちにとっては、とても残念なことでした。
当時私たちは6年生。子供会では最上級生です。緊急会議だ、放課後集合!みんなで話し合った結果、商店会で開けなくなったなら今度は子供会が主催すればいい、ということになりました。
「子供だけでできるのか?」
「違うよ、主催と協力を入れ換えるんだよ。」
「どういうこと?」
「商店会主催、子供会協力を、子供会主催、商店会協力に入れ換える。」
「そんなこと出来るのか?」
「はいはいはい、俺のおじさん○○商店だから聞いてみる。」
「よーし、決まった。お前んとこのお父さん、自治会の子供会担当だよな。」
「うん。お父さんとも相談してみるよ。」
最後の「お父さんとも相談してみるよ」が私です。その日の夜、早速父に意見を聞いてみました。
「問題は開催場所だな。実は毎年会場になっていた場所が、今度から使えなくなったんだよ。」
「なんで?」
区画整理事業っていうのが始まるんだ。それで、これを機会に商店会の夏祭りも幕を下ろそうってことになったんだよ。」
「そうなんだ。盆踊りは?」
「それは会場が変わるかもしれないけど必ずやると思うよ。」
「それならば!盆踊りって夜じゃない。昼間そこで子供のまつりをやろうよ!」
「それなら可能性は高いな。」
翌日学校でみんなに報告。父も自治会の話し合いにこの件を出してくれて、話はトントン拍子に決まっていきました。そして迎えた夏。私達はまつりの開催に向けて活動を開始しました。
6年生は大人との折衝が任務です。商店会や自治会などの大人の人とのやりとりを担当します。商店会は、色んな食べ物のお店を出してくれることになりました。
場内警備をしてくれる消防の人達との打ち合わせも6年生が行います。さらに、まつりに付き物の協賛品や協賛金集めにも回りました。もちろん物やお金のやり取りは大人の間で行ってもらいますが、お願いしますと頭を下げに行くのは子供の役目です。
「○○工務店協賛ゲット!スーパーボールすくいセット一式〜。」
「すげーじゃん、大工さんて商店会には入ってないんだろう?」
「うちの父ちゃんの釣り仲間なんだよ」
「去年より豪華になりそうだな」
5年生や4年生は、くじ引きや輪投げなどの出し物作りです。等身大の鬼にボールを投げて、的に当たったら目が光ってガオーと叫ぶ「的当て」も作りたいという意見が出て、ベニヤ板製の立派な赤鬼も登場しました。しかしボールが当たった時の動作装置が開発できず、結局、的に当たったことを判定する係、懐中電灯で後ろから目を光らせる係、鬼の腕を動かしながらガオーと叫ぶ係の3人がかりで動かす「人力的当て」になりました。
3年生以下はポスターと招待状作りです。招待状は、地域の色々な会の人達や、違う町内の子供たちに向けたもの。ポスターを貼らせてもらったり、招待状をお届けするのも、みんな子供が行いました。もちろん大人が付き添いますが、これには子供会担当のうちの両親が大活躍してくれました。
盆踊りは日曜日なので、前日の会場設営には、土曜日でお休みのお父さん達がたくさん手伝ってくれました。こうして迎えた第一回こども夏まつり。心配ごとは二つだけ。一つはお天気でしたが、こちらは天気予報が晴れマークで完璧でした。
もう一つの心配は、来場者数でした。地域の子供たちはみんなスタッフ側ですから、お客さんではありません。よその町内の子供たちが頼りです。でもこれも蓋を開けてみたら大盛況。夏休み初日からお盆まで、毎日のように準備に頑張ってきた私達は、お母さん達の会が作ってくれた子供会の腕章を付けて、ちょっと誇らしげでした。
この夏は子供たちみんな、今までしたことのない努力をし、みんなで一つの目標に向かって力を合わせるという経験をし、そして今まで味わったことのない感激を得ることが出来ました。学年を越え、男子と女子との違いも越えて、手を取り合って喜びました。地域の大人と子供、イエの中での親と子、みんなで手をつなぎ合って一つの行事が開催できたことは、きっと地域もイエも変えていく大きな力になったと思います。


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「父と歩いた夕立の後の道」by id:Fuel


その日私は夏休みを利用したバイトの帰りでした。乗換駅のホームで仕事帰りの父とよく行き会いますので、今日もいるかなと探してみると、いつもと同じ場所に立っていました。その日の気分によって、知らんふりして離れたところで電車を待つか、声をかけに行くかが違いますが、その日はなぜか、とても父と一緒に帰りたい気分でした。


「よぅ、今帰り?」
「お前もバイト帰りか、ご苦労さん」


仕事は慣れたか?、うん、なんか俺ああいう仕事向いてる気がするよ、なんて話しながら電車を待ちます。電車が来ました。一緒に乗り込んで、隣り合わせの吊革に掴まります。父親と同じ勤労帰りというところが、ちょっと誇らしげな私です。なんたって、一日働いてきたという立場では対等なんですから。いよっ、親父、あと何年かして俺が二十歳を超えたら、一緒に酒を飲みたいだろうw。そんなことを考えると、クスッと笑みがこぼれてきます。


「なんだ、バイト先で何かいいことあったのか?」
「いやぁ、今日チーフがさぁ」


窓の外に雨粒が流れていくのが見えました。あ、かなり本格的な降りになってきたようです。電車の騒音で音はよく聞こえませんが、かなり雷も光っています。すると、駅でもないのに電車が止まりました。
「大変ご迷惑をおかけします、停止信号です」
ありゃりゃ。ま、いいか。


しかし、電車はなかなか動きません。
「お急ぎの所、大変ご迷惑をおかけ致しております。ただ今落雷のため、ダイヤが乱れております。いましばらくお待ちくださいますようお願い致します」


わはは、夏の風物詩だね。そうだね。付近が一斉にざわめく中で、親子でここにいる私たちは平然としています。家族と一緒というのは心強いです。電車はずいぶん長く止まっていましたが、やっと次の駅にたどり着きました。


ここで電車は立ち往生。いつまでたっても発車する気配がありません。ダイヤは大混乱のようです。「あと3駅だし、ここで降りて歩いちゃおうか」と私。「でもまだかなり雨が強いぞ」と父。「改札を出てすぐにハンバーガーショップがあるから、そこで何か食って待とうよ、もちろんお父さんのおごりで」。「よーし、そうしよう」。交渉成立。今日は久し振りにサイドメニューがたくさん付けられそうです(笑)。イエに電話をして事情を説明すると、あらうらやましい、私もおごってもらいたかったと母。母が雷嫌いでなくて助かりました。ポテトにナゲットにシェイクも付けて、ゆっくりと雨が上がるのを待ちました。


やっと雨が上がりました。
「そろそろ行こうか」
「うん」
豪雨の後の道はまだ人通りも少なく、いつもと違うマチみたいです。私たちは二人、雨に洗われた爽やかな空気の中を肩を並べて歩き始めました。


「思い出すなぁ、お前が子供のころ、よくこんなふうに一緒に散歩したな」
「うん、なんだか早朝に散歩してるような涼しさだよね」
「コンビニあったらあのころみたいに何か買ってやりたいんだがな」
「この道にそんなの無いよ」
「知ってて言ってるんだよ」


楽しい会話が続きます。


おや、踏み切りに続く道の角にパトカーが止まっています。お巡りさんがマイクで迂回案内。どうやら踏み切り故障のようです。雷にやられてしまったのでしょうか。


「遠回りして帰ろうか」
「うん」
親子二人の散歩のような帰り道。今はこんなアクシデントも楽しい出来事です。


久し振りに父とゆっくり話しました。普段話せないこと、学校のこと、進路のこと、お互いが抱えている、相談するほどではないけれど心に引っかかっている悩み事、などなど。遠回りの道は、そんな親子の語らいの時間を、たっぷりと与えてくれました。


遠くでまだ、時々稲光が光ります。子供のころのお祭りの帰りを思い出しました。あの時は遠くの雷を恐がって、必死に父の手にすがりついて歩いていた私でした。


「お父さん、ここからもうちょっと遠回りしない?」
「なんだよ」
「ほら、向こうにコンビニ」


アイスと焼きそばと花火を買いました。焼きそばと花火は母へのおみやげです。あの雷雨は、家族とのコミュニケーションが途絶えがちな世代の私への、天からのプレゼントだったのかもしれません。些細な出来事ではありましたが、今も思い出す、懐かしい夏の日の一コマです。


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「夏フェス! with 父」by id:momokuri3


音楽好きの夏といえば夏フェスです。巨大な野外ライブですね。その夏フェスに一緒に行くはずだったうちの一人が、突然の腹痛で倒れてしまったのです。本人は無理してでも行きたい様子でしたが、真夏の炎天下であることを考慮してリタイア。さぁ、彼の分のチケットをどうしようかということになり、一緒に行きたい人を探したのですが、泊まりがけになりますので、なかなか急には決まりません。


するとメンバーの一人が、
「お前のお父さん、買い受けてくれないかな」
と言い出したのです。
「うちの親父?」
「前にライブハウスで一緒になって、その後飲みに連れてってもらったことがあるんだ、あれほど音楽をわかっている大人は珍しい、こういうイベントならきっと乗ってくれるよ」
「でも一人で行くかなぁ」
「何いってるんだ、俺たちと一緒に行くんだよ」
「え、ええ〜!!」


チケットを無駄にするのはもったいないですから、一応声をかけてみることにしました。すると二つ返事で行くとの答え。もちろんチケット代は即金で払ってくれると太っ腹です。かくして、急に平均年齢が高くなったパーティーで、一路会場を目指すことになりました。


会場に到着すると、父は一言、「昔も今も変わってねぇなぁ」。
「昔もこういうの、あったんすか?」
「あったよ、フォーク時代の中津川から始まって、ロックが盛んになってくると郡山のワンステップフェス、軽井沢のアートフェス、次々色んなのが開かれた」
「やっぱりこんな感じ?」
「そうそう、親が見たら泣きそうなカッコしたやつらも一杯いてさ」
「あはは、俺たちも見たら親が泣く?」
「泣く泣く」


自分も親なのを棚に上げてなんということを(笑)。キャンプサイトにテントを設営、あちこち回って会場内を確認したら、あとはそれぞれお目当てのアーティストのステージを追いかけながら個別行動です。時々携帯で連絡を取り合いますが、だんだん父と一緒に回るメンバーが増えていました。父のお勧めステージがマニアックで面白いと評判のようです。私は親子で行動しても新鮮さがないと思いちょっと距離を置いていましたが、父は全く世代の壁を感じさせていないようでした。それは純粋に音楽でつながっていられるからに他なりません。そんな父を、ちょっと誇りに感じました。


夜はテントの周りで、直前までの興奮冷めやらぬキャンプです。食事は父お勧めのカ○リーメ○ト。
「音楽は体力だからな、ビタミンミネラルのバランスも欠かせない、俺もツアーの時はよくこいつのお世話になったもんさ」
「ええー、オヤジさんの若いころからこれ、あったんすか?」
「ったりめぇよ、山下達郎が高気圧ガ〜ルとか歌ってたころからあるんだぞ」
「おお〜」
話がだんだんウッドストックから始まる大規模野外ライブの歴史になっていき、第二のウッドストックと呼ばれたロンドン郊外ウェンブリー・スタジアムで開かれたライブエイドに話が及んだ時、
「あれがクイーンの解散を押しとどめたんだよね」
と声が入りました。
「そうさ、だからフレディは『メイド・イン・ヘヴン』でもクイーンのボーカリストであり続けたんだ」


フレディ・マーキュリーが死去したのは1991年。アルバム「メイド・イン・ヘヴン」のリリースは1995年です。過去の音源やデモテープなどを元に、あたかもフレディが一緒にレコーディングしたかの如くにオーバーダビングして作られたのが、このアルバムでした。


「そしてクイーンは今も存在し続けている」


父の言葉を受けて、一人がアイスボックスを蹴り、手拍子を入れて、ドンドンチャッ、ドンドンチャッとリズムを刻み始めました。それに続いて、一緒にいた全員で、音の出る物をかき集めて即興パーカッションです。父が立ち上がって、
「Buddy you're a boy make a big noise…」
と歌い出しました。クイーン名曲の一つ、「We Will Rock You」(※)です。もちろん「We will we will rock you」のコーラスパート(斉唱ですが)は全員で。騒ぎに気付いた周囲からも「We will we will rock you」の歌声が上がりました。この間およそ2分弱。しかしキャンプサイトの一角はその瞬間、すごい熱気に包まれていました。それはさっきまでのライブに勝るとも劣らない興奮の一瞬でした。クイーンが凄いのか、フレディの遺したものが凄いのか、うちの父が凄いのか。おそらくその全てでしょう。往年のロッカーの熱い魂を見せた瞬間でした。


もちろんあまり騒いでは係員につまみ出されますから、歌い終わるやいなや、サッと座って何ごともないように装うのがまた大人。私たちも何ごともなかったかのような素振りをしましたが、心は熱く燃えていました。
「音楽って凄いよな」
「うん、音楽の力を改めて感じた」
「俺、ここに来てほんと良かったよ」
みんな口々にそんなことを言い合っていました。私も改めて、音楽のすばらしさ、そしてわが父を誇りに思えることの興奮を噛みしめました。若い世代に迎合するのでも壁を作るのでもない、自分の持つ高みに若い世代を引き上げていける本当の意味での大人。かっこいいと思いました。全てが終わって帰宅後の父は、はしゃぎすぎて腰いてー、頭振りすぎて首いてー、俺ももう年だなぁと嘆いていましたが、それも含めて、成熟したロック野郎の父が輝いて見えた夏でした。


※文中歌詞引用元
We Will Rock You」 作詞・作曲:Brian May


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「従兄の〈おにいちゃん〉にひっついて過ごした夏」by id:Cocoa


小学校二年生の夏休み。なぜか突然、従兄の「おにいちゃん」がわが家にやってきました。「おにいちゃん」は高校生。後で分かることなのですが、「おにいちゃん」は親と大喧嘩をして、家族と口をきかなくなってしまったのだそうです。それを聞きつけた父が、せっかくの夏休みだからうちに来ないかと誘ったのでした。


私はそんなこと知りませんから、「わぁい、『おにいちゃん』がお泊まりにきた」と大喜びです。この「おにいちゃん」はとても優しくて、小さな子の面倒見も良く、親戚のおチビちゃんたちに大人気だったのでした。私は到着早々から「おにいちゃん」に引っ付きっぱなしです。真夏だというのにお膝に抱っこ。母に、何ですか二年生にもなって、と言われてしまいましたが、まだ二年生なんですからいいですよね?


「おにいちゃん」とラジオ体操したり、お絵かきやゲームの相手をしてもらったり、宿題を見てもらったり、公園に遊びに連れて行ってもらったり。夜も「おにいちゃん」と一緒に寝るんだと駄々をこねて、「おにいちゃん」が開放されるのは、それこそお風呂の時間くらいという有様でした。それでも「おにいちゃん」は嫌な顔一つせずに、小さな私のわがままに笑顔で応えていてくれました。


「おにいちゃん」は約一週間後にイエに帰っていきました。何も事情を知らない私は「帰っちゃやだ」とまた駄々をこねていましたが、「君のお陰で家族っていいもんだなって気が付いたから帰るんだよ、またすぐ遊びに来るよ」といったような言葉をかけてくれました。


それから数日後です。母が少し目を赤くして「出かけるからすぐ支度をしなさい」と言いに来ました。どこに行くのと聞くと、病院、だそうです。どうしたの?誰か入院したの?私も知ってる人?何を聞いても、タクシー呼んだからその中で話すの一点張り。タクシーの中でも、親戚の人が入院したからとしか話してくれませんでした。


病院に着くと、伯父さんと伯母さん、つまり「おにいちゃん」のお父さんとお母さんが来ていました。子供にも事情が飲み込めました。
「『おにいちゃん』に何かあったの?」
私は答えを聞く余裕もなく、泣きじゃくってしまいました。声を上げて泣いてしまったので、母に手を引かれていったん外へ。結局その日は「おにいちゃん」には会えずじまいでした。帰り道で交通事故だったことを知らされて、また泣きそうになってしまいましたが、命には別状無いから安心して、明日は会えるからまたお見舞いに行こうねと言われて、少し安心しました。


翌日からは、毎日のようにお見舞いに行きました。「おにいちゃん」はあちこちに怪我をしていて、包帯が痛々しく巻かれています。でも私に「また遊びに行くって約束、守れなくなっちゃったね」なんて優しい言葉をかけてくれます。大丈夫、かわりに私が毎日来るから。時々「おにいちゃん」のお友達もお見舞いに来てくれました。そのうち、お見舞いの花を花瓶に生けるのは私の役目になりました。


夏休みが終わりに近付いたころ、「おにいちゃん」は話してくれました。イエで喧嘩をして、家出のような気持ちでうちに泊まりに来たことを。そして私や私の家族の様子を見ていて、イエっていいもんだな、もっと大切にしなけりゃいけないなって気付いたんだと。
「ごめんよ、せっかくの夏休みをみんな僕のために使わせてしまって」
「ううん、今までで最高の夏休みだったよ」
まだ二回目の夏休みなのに、おませな言い方をするチビっ子です。病室の窓から見える夕日が綺麗でした。夏休みの始めに比べると、ずいぶん夕方が早くなってきたようです。こうして最初は「おにいちゃん」がうちにやってきて、後半は私が「おにいちゃん」の所に通い詰めた夏休みが終わりました。宿題の絵日記は、ほとんどのページが「おにいちゃん」のことで埋め尽くされていました。まだ小さすぎて初恋とは呼べなかったと思いますが、ちょっと甘酸っぱい夏の思い出です。


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「弟と行った海で」by id:MINT


あれはまだ、弟が中学生のころでした。今年こそは海に行きたいと言っていたのですが、あいにく両親は都合が付きません。擦った揉んだした結果、姉の私が同行するなら行ってきてもいいよということになりました。

しかし久し振りの海なので、二人ともろくな水着を持っていません。さっそく姉弟で買いに出かけることになりました。弟は中坊のくせにお洒落っ気満点で、前にTVで誰々がはいていたみたいなのがいいかな、それとも、などと出かける前から研究に余念がありません。・・・続きを読む

「夏合宿の思い出」by id:canorps


今ではすっかり運動不足な私ですが、高校生の頃は剣道部でメーンドーコテーっ!と
日々鍛錬をしていました。
夏になると運動部は揃って合宿に出かけるのですが、それがまたしんどくて恐ろしくて・・・。
普段はたまーーーーーーーーーにしかいらっしゃらない先輩方が足を運んでくださって
朝から夕まで、私たち在校生をしごいてくれるのです。
もちろんそれ以外の時間ではやさしく面白い先輩方なのですけれど・・・。・・・続きを読む

「ひ孫8人でお墓参り」by id:dayday


私の祖母はもうすでにお墓にいます。
私の息子達が産まれたのは8月13日。
息子たちが産まれる時にも祖母は、きっとお盆だしやってきて力を貸してくれたと思っています。
お墓参りはひ孫たち総動員。
全員おばあさんが力付けてくれたので皆元気な、おしゃまさんやワンパク小僧になりました。
8人そろって小さい手を合わせ、目を閉じて先祖にご挨拶のお墓参り。・・・続きを読む

「中2の夏、初めての友達同士だけの旅〈新改駅と幽霊列車〉」by id:iijiman


1980年夏。
同じ中学に通っていた同級生MとYと私とで、「遠くに行こう」という話になりました。私たちの家は兵庫県西宮市。旅の行き先は「青森」。
関西に住む中学2年生。青森県に用事なんてあるはずがありません。でも青森。帰りに東京に寄って、合計4泊5日のプラン。
なぜ青森か。
それは、当時、大阪を夜に出て翌日昼に青森に着く急行「きたぐに」という列車があったから。・・・続きを読む

「海のイエ」by id:mododemonandato


小学生から中学生までの時期は、毎年、夏になると父親の会社が借りた海のイエに行っていました。
逗子の海岸に近い、普通の民家を会社で借りて、格安で社員と家族の厚生に当てたもので、それを海のイエと呼んでいたようです。
毎年同じ畳敷きの民家を借りたもので、長い時は一週間も滞在して、海水浴などを楽しんだものです。
初日から部屋に入ると、畳のにおいがして、窓の外には山も近く、よく鳶が青空に丸を描きながら飛んでいました。・・・続きを読む

「ワークショップでのひとこま」by id:offkey


もうだいぶ過去の話になりますが、とあるワークショップに友人と参加したことがあります。
日常生活における習慣などから身体と心が硬直しているのをほぐすという内容のそのワークショップはある夏の日、山の中腹にある宿泊施設を借りて開催されたものでした。
当時、私はどう表現してよいのか、どことなく違和感を覚えている毎日だったのですが、踊りをやっている友人が身体関係のワークショップに詳しく、そこを案内してくれたので参加してみることにしたのでした。・・・続きを読む

「初めての大旅行・・・本州へ」by id:to-ching


 小学校低学年時、北海道から初めて山形へ、祖母、三歳上の従兄で旅行をさせて貰いました。青函連絡船に乗り青森から列車の旅です。行く先は山形・酒田近郊の田舎です。約20時間の旅でしょうか?そこには祖母の姉妹が住んでました。思いだすのは、着いた夜寂しくて帰りたいと泣いた事、寝るときは蚊帳を張ってもらった事、蛍を歩いている時見て恐ろしかった事、きれいな小川からバシャバシャと音がしてびっくり!見てみると大きなガマガエルが走って逃げて行ったこと、その家は小規模ながら養鶏場をやっておりその餌をスズメが横取りするので、案山子を作った所驚いたのは何と逆に鶏が怖がりパニック状態に・・・。・・・続きを読む

「幼馴染」by id:lepremierpas


2歳のころからの幼馴染が私にはいます。
幼稚園、小学校とずっと一緒に登校下校。
放課後も一緒に楽しく遊んで過ごしていました。

勿論夏休みの長期休暇に入れば午前中からお互いの家へ行き来したり。
時にはお互いの親とともに遠くへドライブや公園にでかけたり。

そんな風に過ごしていた幼少期。・・・続きを読む

「私達を一回りも二回りも成長させてくれたバンド夏合宿!!」by id:TomCat


学生の頃にやっていたバンド。夏こそ集中練習をしようと話し合っていたのですが、1回の練習ごとにスタジオ代がかかります。バイトもやらずにバンド三昧の学生には、これはなかなか厳しいものがありました。それぞれ小遣いが無いわけではありませんが、親からもらったお金をスタジオ代に注ぎ込むのは、何となくロックスピリットに反する気がします。

そんな時、友人の一人が、吉報をもたらしてくれました。「親戚の持ってる空き家が借りられるかもしれないよ」と。・・・続きを読む

「がんばった夏」by id:sumike


 夏の出来事で思い出深いのは、やはり25メートル泳げるようになった小学校三年生の夏。
 それまで水が怖くてお風呂でも顔を水につけるのが苦手でしたが、
学校の授業で仕方なくプールに入ることになりました。
しかし、ビート板を使えば何とか進むものの息継ぎが上手くできず、
いつも数メートルで足をついてしまっていました。
泳ぐ時のバタ足と手の水のかきかたのタイミングが合わず、呼吸のリズムが乱れてしまうのです。・・・続きを読む