ディア・ライフ #001 pickup5



みなさまこんにちは、hazamaです。昨日、一昨日は肌寒くて春の上着を出してきたのに、今日は一転してまた初夏の陽気。走り梅雨の季節で、まだまだ気候が安定しませんね〜。さて先の金曜日、21日に〈イエはてな Press Room〉にて“リブ・ラブ・サプリ〜SEASON”の記事が公開になりました。見てきました!というメッセージもいただき、どうもありがとうございます! その前の記事には〈みんなの住まい〉の読者の方々からコメントもいただいて、さっそくの反響の声がうれしかったですね♪ 特集記事として掲載されている“イエコト・ミシュラン”にも素敵なコメントが入っていて。こうして未知の読者の方から共感の声が聞こえてくると、〈イエはてな〉の語らいが伝わっているんだなって、実感がじわじわとわいてきますw


#001 ピックアップ賞・ノミネート賞

さて、今日は“ディア・ライフ”#001のピックアップ賞・ノミネート賞をご紹介します。イエと家族の物語、1回目は「今も耳に響く……イエの音、家族の音」のテーマで本当に素敵なストーリーをいっぱい聞かせてくださいました! 子どもの頃を懐かしく思い出す「台所の音」「まな板の音」、かつてイエに響いていた「電車が線路を刻む音」「古時計」「黒電話のベル」「とうふ屋さん」、自然の音に耳を澄ました「雨だれの音」「風鳴りの音」、北国ならではの「ストーブの〈ゴーゴー〉という音」、家族で囲んだ「TVの音」、近所から聞こえてきた「ピアノの音」……。「朝のニワトリ」「エンマコオロギ」「犬の鳴き声」「鶯の鳴き声」をはじめとする生き物たちの声をめぐるエピソードや、静かなお部屋に「子供の寝息」というメッセージも、とても幸せな気持ちにさせてくれましたね。思っていた以上に多彩な素晴らしい物語が綴られて、“ディア・ライフ”=親愛なる日々というコンテンツ・タイトルにぴったりの語らいになりました。みなさまどうもありがとうございます!


そんななかから今回は、一つひとつのイエと家族の光景がきわだって伝わってきたタイトルを、ピックアップ賞・ノミネート賞に選ばせて頂きました。どれも、ドラマのひとコマさながら、目に浮かんでくるあたたかなストーリーばかり。胸にじんと響きます。


*今回のピックアップ賞は、5月28日(金)の〈イエはてな Press Room〉の記事にてご紹介させていただきます。


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「自転車のベルの音」by id:Cocoa


チリンチリンと自転車のベルの音がすると、それが父の帰宅の合図でした。父はいつも駅との往復に自転車を使っていました。朝は行ってきますの合図にチリンチリン。夜も同じように家に着くとベルを鳴らし、それから自転車を置いて家に入ってきます。小さかった私は、そのベルの音が聞こえると玄関まで走って行き、ドキドキしながらドアが開くのを待っていました。自分でドアを開ければもっと早くお父さんと会えますが、コツコツと近付いてくる足音を聞くのがまたいいんです。
知らないお客さんの足音は門の方から玄関に近付いてきます。でも父の足音は、庭の奥に自転車を置いてから戻ってきますから、門の反対側から近付いてきます。これではっきりと父の足音だと分かります。
さらにダメ押し。ガチャガチャと鍵穴に鍵を差し込む音。家の鍵を持っているのは家族だけですから、この音がしたらお父さん確定です。小さな私は最大級の笑顔で、お帰りなさいの挨拶の準備をしていました。


でもこの習慣は、家に車がやってきて終わりになってしまいました。父が車通勤に切り替えてしまったからです。車は徒歩数分の駐車場に置いていましたから、父は徒歩で門から入ってきます。これでは忍者のように耳を澄ませていないと、お出迎えの合図になる音が分かりません。父も段々仕事が忙しくなって帰宅時間が遅くなる日が多くなり、私のお帰りなさいのお出迎えは、いつの間にか終わってしまっていたのでした。


でも最近のエコロジーブームで、またこの懐かしい習慣が戻りつつあります。父が、車通勤をやめてまた電車に戻そうかな、と言い始めたのです。
エコのためだけではない。車を使うよりは電車の方が多少運動量が多くなるし、なにより電車なら帰りに寄り道をする楽しみがある。車に変えてからは帰りに駅ビルを散策することもなくなって、今ではすっかり若い人に何が流行っているかも知らないオジサンになってしまった。体も心も若くあるためには、やっぱり電車が一番だと。


こうして、十何年ぶりの父の自転車通勤が始まりました。朝はいつも私の方が早い電車ですが、時々父も私と一緒に家を出ることがあります。そんな時は二人一緒に行ってきますの合図をチリンチリン。帰宅もごく稀に駅で一緒になることがありますから、そんな時は一緒に夜道を走って、家に着いたらただいまの合図も一緒にチリンチリンです。


最近、父の会社はワークライフバランスを企業責任とする立場から、管理職にも極力定時退社を勧めています。これに対して私の会社は定時退社なんて悪者扱い。おかげでたいてい私の方が帰宅が遅くなりますが、今は私が庭先でチリンチリンとやると、父が玄関で待っていてくれたりします。エコロジーという新しい価値観の広がりのお陰で、楽しい習慣が形を変えて復活しつつある我が家です。


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「母の弾くオルガンの音」by id:TomCat


母はピアノが大好きでした。しかしわが家にピアノがやってきたのは、私がずいぶん大きくなってからのことでした。それまで母が何を弾いていたのかというと、オルガンです。電子的なキーボードじゃありません。リードオルガンだったんです。空気の力でハーモニカやアコーディオンと同じ構造の「リード」という金属片を振るわせて鳴らす楽器。あの、アコーディオンと同じような音のする楽器ですね。


もちろん当時も電子オルガンはありましたが、父がどこかからもらってきてくれた古い古い、それは古いリードオルガンを、母は大切に弾いていたのでした。


しかし、ピアノとリードオルガンで同じなのは鍵盤の並び方だけ。全く異なる楽器です。それでピアノ曲を弾こうとすれば、普通はかなりとんでもない演奏になってしまいます。ところが母は、ショパンでも何でも、まるで最初からオルガンのために作られたかのように弾いてしまうのです。幼い私は元々そういう曲なんだろうと思って聞いていました。


「楽しい曲だね」
「わかる?」
「うん、ちっちゃなわんこがコロコロ転がってるような感じ」
「まー、この子は天才かもしれないわ!!」

 
親バカ・・・・w


そうです、この時弾いていたのは「子犬のワルツ」。今になって思います。あのまともに調整もされていないガタガタ鍵盤で、よくもあんなに早く滑らかに指が動かせたものだと。そして、右手の流れるようなメロディを支えていくのが左手の豊かな響きです。それを鍵盤を離せばブツリと無粋に音が途切れるリードオルガンでよく表現できたものだと。私こそ「子バカ」かもしれませんが、リードオルガンで子犬のワルツを完璧に表現して聴かせてくれた母は、稀に見る天才だったと思います。何も知らない子供の心にショパンの世界を映し出すなど、本物のピアノを使っても難しいことなのに、それをオルガンで・・・・。


そんなプロにだってなれたはずの表現力を持った母が、深い愛情を込めて弾いてくれるのですから、それを聞いて育つ子供が音楽を好きにならないはずがありません。私は毎日母のオルガンに合わせて歌を歌ったり、母の伴奏に合わせてたどたどしい手つきでメロディを弾いたりして、楽しい遊びに夢中になっていました。


中でも面白かったのは、オルガンの音でおしゃべりをする遊びでした。日本語は音程のアクセントが主ですから、けっこう言葉をメロディに置き換えることが出来るのです。


「ぶぶ、ぶぶぶ?」
いま何時?と聞いています。まだ時計、よく読めないのに・・・・。えーとえーと、
「ぶぶぶ、ぶーぶっぶぶ」
さんじ、じゅういっぷん。
「ぶぶぶー」
あたりー。


「ぶー、ぶぶぶー」
ねー、おやつー。
「ぶぶぶぶ」
はいはい。


親子だから、こんな音で話が通じたのかもしれません。でもこれで、私は作詞作曲の基礎を身につけたように思います。言葉にはメロディがある。メロディの中にも言葉があるという気付き。それは今でも私の宝物です。


さらに面白い遊びは、メロディのキャッチボールのようなものでした。母が短いフレーズを弾きます。それを私が受け取って、続きのメロディーを考えて返します。すると母はそれをサッと楽譜に書き留めて、さらに続きのメロディを返してくれます。こうやってしばらく音のキャッチボールを繰り返していると、それが一つの曲になっていきます。


たいていは辻褄の合わない変な曲になって、続けて弾くと大笑いでしたが、時には素晴らしいメロディになっていることもありました。そんな時はそれに歌詞を付けます。


「ねえ、このメロディから何を思い浮かべる?」
「うーんとね、おいしいお菓子。こないだ食べたおさとういっぱいのドーナツみたいなの」
「よーし、じゃドーナツの歌にしよう」


こんなふうにして、何曲かのわが家のオリジナル曲が生まれていきました。あの頃の楽譜、どこにいってしまったんでしょう。母は楽譜をとても大切に扱っていましたから、子供との遊びの時のメモだって、粗末に扱ったりはしていなかったはずなんです。探せばきっとどこかに保存されているはず、と思うのですが、どんなに探しても見つかりません。思い出したいのに、ここまで出かかっているのに出てこない、そんな母と私のオリジナル。いつかきっと記憶をたどって、蘇らせてみたいと思っています。


こんなふうに、幼い私に、かけがえのない大切な宝物を贈り続けてくれたオルガンの音。母の愛を、そして母から受け継いだ音楽への思いをしみじみ感じる時、いつも私の心の中には、あの懐かしいリードオルガンの音色が響いています。


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「大きく響く輪転機の音」by id:watena


軽オフセット輪転機というものがあります。大きさは机の上に乗せられる程度。でも印刷の仕上がりは、ちょっとした商業印刷物と変わらない出来映えです。一時代前には、大量の印刷物を作る必要のあるオフィスなどで盛んに使われていた印刷機でした。


その中古が、わが家にやってきたのです。父は地域の文化や歴史を研究するサークルを作っていましたので、その会報をこれで印刷しようというのでした。これさえあれば何百部でも刷れるぞ、町中の人にだって配れるぞと父は上機嫌でした。


しかし、ただ同然で頂いてきたジャンクですから、まともに動くはずがありません。モーターは生きているので主要部分は動きますが、紙送りのローラーが動きません。
機械の横には自動車のシフトレバーのような物が付いていて、それを切り替えることによって、インキ練りだけの動作、印刷原版のドラムを回してインクを乗せる動作、そして紙送り機構も動かして印刷する動作といったモードが選べるようになっているらしいのですが、そもそもマニュアルが付いていないので、操作の方法からしてよく分かりません。


私も印刷機が有れば色々遊べそうなので、修理を手伝うことにしました。しかしいくら機械物が好きだと言っても、当時の私はまだ中学生です。文系で機械関係には詳しくない父と、ちょっと前までは小学生をやっていた子供が、機械油と印刷インキにまみれて大奮闘。でもそれはとても楽しい時間でした。どちらも全く未経験のことに取り組んでいますから、親だから教える側、子だから教わる側といった図式がないのです。二人で考え合い、二人で壁に突き当たって、それを二人で乗り越えます。こんなに楽しい親子の時間を過ごしたのは初めてでした。


休前日の夜は徹夜をしてしまったこともありました。気が付くと朝。お腹空いたなと父が台所で作ってくれた焼きうどんは最高でした。母が起きてきて、あららら、このイエにはおっきな子供が二人いるのねと苦笑していました。


こうして一週間以上の悪戦苦闘の末、複雑な機構を全て把握し、装置の隅々まで知り尽くした上でのオーバーホールが完了しました。
印刷原版は紙版といって、普通のPPCコピー機で作ることが出来ます。インキを弾く加工が施された原版をコピー機に通すと、トナーが乗った部分にだけインキが付着するようになります。それをゴムローラーに転写してさらに紙に転写する。これが紙版オフセットの印刷原理です。


行くか。テスト用の印刷原版を作りに、二人でコンビニに走りました。しかし純正の紙以外使わせてくれないコンビニばかりで、どこに行ってもオフセット用原版へのコピーは断られてしまいました。仕方なく二人でアイスを買ってしゃぶりながら帰宅。翌日父が会社のコピー機で原版を作ってきてくれました。


いよいよテスト印刷です。インキと原版をセットし、スイッチを入れます。シフトノブをインキ練りモードにすると、ガシャコンガシャコンと大きな音を立てながら印刷機が動き始めました。よし、転写するぞ。原版をセットしたドラムと印刷のためのローラーが回り始め、一層けたたましい音になりました。全てが機械式ですから、とにかく音が大きいのです。
「大丈夫だよね、壊れないよね……」
「だと…思うんだけど……」
なんとも心許ないですが、本当にそんなに不安になってしまうほど大きな音でした。


さあ、刷るぞ。印刷枚数をセットして…。レバーを印刷モードにすると、大成功でした。紙送り機構の動作がいまいちでしたが、タイミングはしっかり合っていたので、給紙ローラーの圧力調整で快適に動作するようになりました。大成功です。こうして親子の印刷室がわが家に登場することになりました。
それからは色々な印刷物を刷りました。印刷という手段が手に入ると、それは広報という力を得ることになります。父も私も、そして母までもが、この印刷機に様々な活動を広げてもらいました。


大きな音を立ててガシャコンガシャコン。もうポンコツ丸出しの音を立てて動く印刷機ですが、旧式の機械は頑丈ですから、メンテナンスさえしっかり行っていれば、十年でも二十年でも動いてくれます。旧時代の印刷機なので段々消耗品が入手しづらくなってきましたが、それでもまだまだ現役として十分使える動作をしています。


わが家に響くこのカシャコンガシャコンという大きな音が、父と子の絆の音、そして家族の元気の証しの音でした。きっとこれからもこの印刷機は活躍し続けてくれると思います。


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「祖父の吹く口笛」by id:SweetJelly


祖父の吹く口笛は、澄み渡った素晴らしい音がします。祖父は口笛で鳥の鳴き声を真似るのも上手でした。祖父とお散歩に出かけると、よく色んな鳥の鳴き声を真似してくれました。まだ寒い浅い春に、歩きながらホーホケキョ。すると塀の向こうから「あら?」なんていう声が聞こえてきます。本当のウグイスの声だと思った人がいるようです。祖父はいたずらっぽく唇に人差し指を当てて、シーッというような顔をして微笑みます。私も唇に人差し指を当てて、うんうんとうなずきます。しばらく歩いて遠ざかってから、二人でお腹を抱えて大笑い。そんな楽しいお祖父ちゃんでした。


祖父は色んな歌も口笛で聞かせてくれました。中でも祖父が大好きだったのは、坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」でした。夏の夕方のお散歩の帰り、河原でこの曲を聞かせてもらっていたら、なぜかじんと涙が出てきてしまったのを懐かしく思い出します。


ある時私は、あまりに祖父の口笛が澄んだ響きなので、どこまで離れて聞こえるか試してみたくなりました。祖父に立ち止まって口笛を吹いてもらい、私だけどんどん先に進んでいきました。どれだけ歩いても、まだ口笛の音が聞こえます。うわぁ、すごく遠くまで響くんだと思いながら振り返ると、祖父の姿は遥か向こう。私はあまりに離れすぎて心細くなってしまい、半分べそをかきながら走って祖父のもとに戻りました。そのくらい、祖父の口笛の音は美しい音がしたのです。


子供の歌も、たくさん口笛で吹いてくれました。祖父と手をつなぎながら、口笛に合わせて歌を歌います。いつも音楽のあるお散歩。それはとても楽しいお散歩でした。


ある時、祖父が怪我をして入院してしまったことがありました。幸い怪我をしたのは足だけだったのですが、祖父は「病院では大好きな口笛が吹けないなぁ」と、それが寂しそうでした。ところがです。祖父が口笛の名手だと知った入院患者さんたちがその音楽を聞きたがって、先生や看護師さんと協力して、病院の中で「口笛リサイタル」を開いてくださることになったんです。


当日は私も呼んでもらいました。祖父は足を骨折していたので、車椅子で登場です。病院のホールには人がいっぱい。祖父は次々と、色々な曲を披露していきました。どれも昔の懐かしい曲で、祖父より年上そうな皆さんが涙を浮かべながら聞いてくださっていました。最後に私が花束贈呈です。大きな拍手の中を進み出て祖父に花束を渡すと、アンコールの声がかかりました。すると祖父が私の手を握って、「ほらいつもの、一緒に歌おう」。


「うん!」
私は元気良く答えました。
「それではアンコールにお答えして、孫の○○が一緒に歌います。聞いてください、『靴が鳴る』」


いつものように、口笛で前奏が流れます。
ドーラドソーラソミードー レードレミーレドー
さんはい
おーてーてー つーないでー のーみーちーをーゆーけーばー


この曲は二番まであります。私はいつも祖父と歌っていたので、ちゃんと二番まで歌えました。一番は歌を歌って小鳥さんに、二番は跳ねて踊ってウサギさんになるんですよ。こうして病院での口笛リサイタルは大成功でした。


こんな色々な思い出のある祖父の口笛が、私の1番の「今も耳に響く……イエの音、家族の音」です。


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高校野球のラジオ中継の音」by id:C2H5OH


父はお盆休みになると、待ってましたとばかりに日曜大工(夏休み大工?)に精を出していました。普段の週末では作れないような大物を手がけるのです。ある年は無謀にも裏庭に物置を作り始め、ついに未完成のまま休みを終えてしまったこともありました。


そんな父の大工仕事のお供が、高校野球のラジオ中継だったのです。私も父の仕事を見ているのが面白く、よく一緒にいましたので、一緒にそれを聞いていました。
でも子供はあまり集中して放送を聞いていませんから、試合の流れがよく分かりません。
「打った、大きい大きい、入るか?入った、ホームラン、今大会○号目のホームランです!!」
アナウンサーが絶叫しますが、私にはどちらが打ったのかもよく分かっていません。


「ねぇ、どっちが打ったの?」
「○○高校の方さ。」
「でどっちが今勝ってるの?」
「△△高校の方。一点差だ。」
「じゃ追い上げたんだ。」
「そうだよ。お、また打った。逆転につながるかもしれないランナーが出たぞ。」


こんなふうに時々父に解説してもらいながら続きの中継を聞いていきます。でも解説してもらってしばらくは試合の流れが追えるのですが、


「ほら、釘打つぞ、そっち持っててくれ。」
「こう?」
「そうそう、動かないようにしっかり頼むぞ。」
ガンガンガンガン


こんなことをやっていると、すぐに試合の流れが分からなくなります。でも父は野球が大好きだったので、頼まなくても時々解説を入れてくれました。好きな大工仕事に汗を流しながら好きな野球に耳を傾ける父は、とても楽しそうでした。


しかしある年、お盆休みを目前に控えた父が入院してしまったのです。数日は面会もままならず不安な日々を過ごしましたが、やっと面会できることになりました。この時のために用意しておいた父のポケットラジオとイヤホンと新しい電池、そしてもう一つ秘密のアイテムを入れた紙袋を持って、母と一緒に病院に向かいました。


病室に入ると、父はベッドに寝たままでしたが、意外に元気な声で「良く来たな」と言ってくれたのでホッとしました。早速私は紙袋からラジオを取り出して、これで高校野球を聞いてよと差し出しました。そしてもう一つ、秘密のアイテムも手渡しました。それはここ数日の試合の様子が分かる新聞の切り抜きに、手書きの勝敗表を添えたノートでした。


早く元気になってもらってこれを渡すんだ。そう思いながらノートをまとめる作業には、祈りにも似たものがありました。試合終盤、2アウトからの打者。テレビの中継ではそんな時、応援席で手を合わせながら祈るように見つめている女生徒の姿などが映し出されることがあります。そのノートをまとめながら見ていた中継でも、そんなシーンがありました。自分の祈る気持ちとそれが重なって、思わず涙が出てしまったのを憶えています。


でも翌年の夏には、すっかり元気になった父の夏休み大工の音と、ラジオから聞こえる甲子園の音が戻ってきていました。それは私にとっての幸せの音でした。


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「思い出を刻む時計の音」by id:sumike


実家のぜんまい時計
私たち家族を柱の上から見守ってきた時計です。
今でも現役で30分に一度、昼夜を問わず鐘がなります。
正時にはその時の回数分、そして30分に1回。
優しい針の音と鐘の音がこの家の時の流れを見つめているようです。
針の音は気にすると聞こえる音、カチコチカチコチ。
しかし何かに集中していたり、気にしなければ聞こえない音。・・・続きを読む

「カコーンと山に響く薪割りの音」by id:Catnip


「イエの音、家族の音」というより親戚の家で体験した音の話になってしまいますが、今も心に残っているのがこの音です。

小学校最後の夏休みだったと思います。両親に連れられて訪れた親戚の家。そこは山あいの小さな村で、辺り一面に自然が一杯でした。イトコのアニキと一緒に日がな一日雄大な自然の中で遊ぶのは、東京育ちの私には夢のような楽しい体験でした。
いよいよ翌日帰宅という晩、ついに私はまだここに残りたいと言い出しました。・・・続きを読む

「モールス信号の音」by id:momokuri3


私が子供のころから電気、電波に関することが大好きだったのは、間違いなく父の影響です。父もそういうことが大好きで、よく海外の短波放送を聞いていました。そして時々、音声の放送ではなく、ピーピーいうモールスに耳を傾けていたことがあったんです。それは子供心にも、とても興味深い物でした。

こんなの聞いて意味がわかるの?とたずねると、まあ8割くらいなら解読できるかなとのこと。父は特に無線の免許などは持っていませんでしたが、昔の電気電波好き少年は、常識としてモールス符号くらいは知っていたとのことでした。・・・続きを読む

「想い出のミシンの音」by id:ekimusi


 小さい頃、母がミシンでお出かけ着から普段着まで、いろんな服を縫ってくれました
私にとって懐かしいイエの音はミシンの音!
母の足踏みミシンの心地いい「カチャ カタカタカタ カタカタカタ」という音です。
 日中は仕事をしていたため、よく夜なべをして服を作ってくれたのですが、
半分眠りながらも、翌朝の出来上がりを想像して期待で胸がいっぱいでしたね。
 沢山の生地の中から、この柄がいい〜と自分で選んで、それから体に合った型紙を作るために、体のあちこちのサイズを測って書きとめていく時に、大きくなったね〜と言ってくれるのもうれしかったです。・・・続きを読む

「鈴の音」by id:Fuel


チリチリチリと鈴の音が聞こえると、母が帰ってきた合図。これが今も続く「イエの音、家族の音」です。
母は同じような鈴を何個も持っています。赤い紐の付いた根付けの鈴。それをバッグや財布など様々な持ち物に付けて、いつも持ち歩いているのです。ですから、外出すると鈴の音のする場所が母の居場所。子供のころはこれで何度か迷子にならないで済みました。

一時期母は体の具合が優れず、ほとんど外出がままならなかった時がありました。その時は、イエから鈴の音が消えていました。・・・続きを読む

「カーラジオから、」by id:sayonarasankaku


家族が入院したときに、
車で病院へ通う道すじをFM放送を聴きながら、
ひと月ほど通ったことがありました。

病院が車で1時間以上かかったのと、ほとんど毎日のように通っていたので、
そのうちにいつも同じ番組を聴くようになりました。
落ち着いた女性のアナウンサーと、
いつも地元あちこちを廻ってレポートを届けてくれる元気な男性レポーター。
いつも『今日は何処のレポートなんだろう?』と楽しみでした。・・・続きを読む

「寂しかった頃の記憶とともに」by id:Zelda


私は子供の頃はずっとカギっ子でした。
両親共働きで、帰ってきてもいつも一人。
オマケに当時住んでいたのは古びたアパートで怖い雰囲気満載の場所で。
夕方日が暮れてくると証明がきえることが多い暗い階段で上まで登りきるのも至難の業でしたw
静まり返った部屋に子供一人というのとっても寂しいものです。
TVを付けてさみしさを紛らわし、母親が帰ってくるのをひたすら待っていたものです。・・・続きを読む

「猫にまつわる我が家のサウンド色々」by id:iijiman


うちの猫、朔ぴょんは、カリカリの前に座ってじっとしていることがあります。
何をしているのかというと、声を掛けて貰うのを待っているのです。
そこで「入ってるじゃ!召し上がって!」と言ってあげると、カリカリを食べ始めます。
動画ではすぐに食べていますが、実際には数回繰り返さないと食べ始めないことがあります。
夜中、私たちが寝ている時には、勝手に食べているのですが・・・
http://www.youtube.com/watch?v=ZpXqAWpRcT0・・・続きを読む

「ほんのり安心するラジオの音」by id:offkey


子供の頃、学校から帰ってくると大抵は習い事だ、友達と外で遊ぶんだ、ということで夕方はあまり家にいることが多くなかった私ですが、たまになにも予定がなくてぼんやりと居間のソファで横になってることがありました。
家の中では母が夕飯の支度をしながらラジオを聞いています。
当時母が聞いてたラジオはありふれた歌謡曲のランキング番組で、聞くともなしに聞いていたのですが、いつの間にかそのラジオ番組がかかってるとなんとなく安心してるような心地になっていました。・・・続きを読む

「子守唄」by id:chairs


誰でも子供のころにはお母さんが歌ってくれたのではないでしょうか。
そしてその声で眠りについたり、または母の胸の中で安心して抱かれていたことでしょう。
私自身、そんなにも小さいころの記憶は残ってないはずではありますが、なぜかふと母の子守唄の声を耳の奥で覚えているような感覚があります。
そういう感覚、皆さまにもありませんか?

タララーンタララーンタラララララーン。・・・続きを読む