イエ・ルポ 2 #054 PickUp5



みなさまこんにちは、ハザマです。一昨日からはじまっている“リブ・ラブ・サプリ〜SEASON”#052の語らい、「春の旬を味わう」テーマで美味しそうな季節の味がいっぱい並びはじめていますね〜♪ 旬の食べ物をいただくことは、きっと何より健康のもと。野菜や海産物など、この時季に日替わりでテーブルに並べられるほどいろんなレシピが集まるといいですねw また「春の種まき」テーマでも、お花はもとより、新鮮な自家栽培の野菜やハーブの話題が盛り上がりそう。こちらでもぜひいろんなアドバイスとともに、美味しいお話を聞かせて下さいね!


さて、今日は“イエ・ルポ 2”#054のピックアップ賞・ノミネート賞のご紹介です。今回は、「人生と暮らしに大切なことは何?〈家族の口癖&名言集〉」のテーマで、また素晴らしい物語をたくさん綴って下さいました。人生の教訓も暮らしのなかの身上も、とりわけみなさまのご家族のパーソナリティが光るエピソードが心に響いて、読む人みんなに素敵な言葉を頂いたような気がしました。今回も、なかなか聞くことの出来ない家族の真心の物語を、みなさまどうもありがとうございました!


イエ・ルポ 2 #054 ピックアップ賞・ノミネート賞

#054では「人生と暮らしに大切なことは何?〈家族の口癖&名言集〉」のテーマでご投稿頂きました。
まずご両親の愛情が伝わってくるエピソードからご紹介すると…。学生時代からどんなときも励ましつづけられている言葉「自分で決めたことなら頑張れる」、さまざまな可能性をひらいて強い心を育ててくれた言葉「世の中に〈絶対〉はない」、大学進学でイエを離れる時にお父様から受け取ったひと言「お前が生きているだけで、俺たちは幸せなんだからな」、今になれば痛いほどわかる気持ち「怒るのは愛しているから」。一つひとつの言葉にこちらまで強く励まされましたよね。また「一期一会」「けんかは負けるが勝ち」「継続は力なり」をはじめ、長く語り継がれる人生の教訓も、さまざまな出来事のなかに生きていることを教えてくれるメッセージがたくさんでした。そして暮らしで大切にされている言葉には、「ありがとう」「挨拶はしっかり」「今日やれることは今日やる」「ご飯を残さないように」「家の周りはきれいにしておくもんだ」など、いつも心に留めおきたいお話が。なかでも、一度座るとお尻に根っこが生えていけないので「座るな!しゃがめ!」というお父様の口癖には思わず笑いながらも、「はいーっ!」と背筋の伸びる思いでしたw


そんななかから今回も、あたたかくユニークな家族の肖像が浮かび上がる素敵なルポより、ピックアップ賞・ノミネート賞を選ばせて頂きました。どれも味わい深い物語、どうぞゆっくり言葉をかみしめながら味読してみて下さいませ!


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「ただそこにいるだけで人を幸せにできる人」by id:Oregano


私も猫好きですが、母はそれに輪をかけた猫好きです。時々母は猫を見て、心からそう思うというようにつぶやきます。
「猫って偉いわぁ、ただそこにいるだけで人を幸せにしちゃうんだから」


実は子供のころ、私も似た言葉をかけられていたんです。「○○ちゃんて偉いわぁ、そこにいるだけでこんなにお母さんを幸せにしてくれるんだから」。そう言われると私はうれしくてにっこり。もっとお母さんに幸せを感じてもらいたくて、もっといい子になりたいなんて思ったりしたものでした。


でも少し大きくなったころ、あれ?もしかしたらこれは母の策略?なんかおだてられて乗せられている?と思いはじめました。親子の世代的な断絶を意識し始める年頃になってからは、母のそんな口癖が、だんだん鬱陶しくなってくることもありました。


そしてある時、どうにも親の期待が重荷になりすぎると感じて、もうその言い方やめてくれと突き放すように言ったことがあったんです。一瞬は母びっくりしたようでしたが、それでも母は変わることがありませんでした。一つ変わったのは「○○ちゃんて偉いわ」の○○ちゃんが「あなた」に変わったことだけでした。もう子供じゃ無いんだから○○ちゃんはないわよね、これからはもっとふさわしい呼び方をするわって。反応するところはそこかい!w


以来ずっと母は、○○ちゃんをあなたに変えただけで、同じことを私に言い続けました。かなり親の期待を裏切るようなこともしてきましたが、それでも母の言葉は変わった試しがありませんでした。母は私を期待通りの人間に育てようとおだてていたわけではなく、逆にどんな人間に育ってもいい、どんなことがあっても子供は親の幸せなんだという気持ちをストレートに表してくれていたのかもしれません。


母は今、本当に心から猫に対して「あなたって偉いわぁ」と話しかけています。それを聞くと、おいおいあんたの息子は猫と同じレベルだったんですかいと突っ込みたくなりますが、今は私も猫を膝に抱き寄せて、「俺もお前みたいに、いるだけで人を幸せに出来るようになりたいよ」なんてつぶやいてみたりしています。


母も、そばにいてくれるだけで私を幸せにしてくれる人です。もしかすると母は、自分自身がそういう人になりたいと願いながら、この口癖を繰り返していたのかもしれません。そう思うと、どこか世間ズレしている母が、とても偉大ですばらしい人に思えてきます。
http://www.city.tome.miyagi.jp/kinenkan/


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「人は生まれながらにして独りではないということ」by id:TomCat


ドラマなどで主人公がニヒルに「生まれる時も死ぬ時も、どうせ人は独りじゃねえか」などと言うシーンがあると、決まって父は「それは違う」と口を挟みました。そしてひとしきり演説が続きます。


「あらゆる生物には個体群という集合がある。群内の個体はそれぞれ必ず何らかの形でつながっている。たとえ群れを作らない生き物だって、個体群というネットワークでつながっているんだ。ましてや群れを作る習性を持つヒトが独りだなんていうことは有り得ない。人は生まれながらにして独りではないんだ!!」


わーぱちぱちと母。息子は、またこれかよとあきれ顔。


TV「人はすぐ裏切るし嘘を付く、俺はどうせ独りなんだ」
父「それは違う、あらゆる生物には個体群という集合が・・・・」


TV「社会なんて孤独な人間が群れているだけさ」
父「それは違う、あらゆる生物には個体群という・・・・」


TV「もういい、私は生まれた時から独りぼっちだったのよ」
父「それは違う、あらゆる生物には・・・・」


あー、もう、テレビに突っ込むなよ、ってなもんです。でも野鳥保護活動にたずさわっていた父にとって、生物は個体群の中で生きている、単独では決して生きられないんだという認識は、譲れない一線だったんでしょうね。


個体群は通常、繁殖の単位となります。個体の数、分布域、それらから割り出される密度、齢構成などの属性によって、出生率や死亡率などが大きく変わってきます。父はこれを個体群の質と呼んでいました。


生まれる時は独り? いいえ、違います。個体群の質によっては、生まれ得ない命だってあるんです。ひとつの命が生まれる時、そこには必ず、その命を生み出し得る質を確保してくれた、個体群の恩恵というものが存在しています。


死ぬ時は独り? それも違います。個体の死は、必ず個体群全体の属性に何らかの影響を与えます。そしてそれが次の命の出生に影響していくんです。だから、死に方が大切なんですよね。個体がどんな最期を迎えるかで、個体群の質が変わってくるんです。


こういうことが分かってくると、
「人を殺しちゃいけないなんて誰が決めた」
「俺の命を俺自身が断って何が悪い」
なんていう倫理上の難問にも、簡単に答えが出てきます。きっと父は、そういうことも含めて、色んなことを私に教えたかったのでしょう。


人も生物。私も生まれる前から、大きな個体群という命のネットワークの中にいたんですね。母を亡くし、父を亡くし、人はこうやって孤独になっていくのかなあ、なんて考えたこともありましたが、でも、今なら分かります。私がもし本当に孤独な存在であるとするならば、その命は最初から生まれてこなかったはずだと。つまり、生きていることそのものが、孤独ではないことの証明だったんです。


よく社会的な人のつながりを指して「人は一人では生きられない」なんて言われますが、それ以前に、生物学的な同種個体間関係で結ばれたたくさんの人々とのつながりがあって、はじめてこの世に生を受けることが出来たということ。父の口癖が与えたくれたこんな気付きが、どれほどに私の人生を支えてきてくれたか、それはもう計り知れません。


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「かわいい子には○○させろ」by id:TinkerBell


これがずっと前からの母の口癖でした。
「かわいい子には早寝させろー」
「かわいい子にはお手伝いさせろー」
「かわいい子には勉強させろー」
何でもこれです。


小さなころからこれでしたので、おかげで本当の「かわいい子には旅をさせろ」も、母が作った口癖の一種なのかと思っていた時期があるくらいでした。


でも高圧的に「何々しなさい」と言われるより、この方がずっといいですよね。
子供は、頭から「こうしなくちゃだめ」と決めつけられることに一番反発するんです。
言われたことをしたくないわけじゃない。
何々でなければだめと決めつけるような言われ方がいやなんです。


最近、地域の子供活動のお手伝いをさせていただくようになって、そのことを実感しました。
たとえば子供がケンカをはじめちゃったとします。
そういう時「こら、だめ」と割って入ったら、たとえ子供のケンカはおさめられても、根本は何もおさまりません。
ケンカの怒りが不満に変わって、大人に向けられていくだけです。


子供だって、ケンカはだめだっていうことくらい知っています。
でもそれを知っているのに、それでもおさえきれない事情があったということ。
それはよくよくのことだったんだなぁという理解を持ちながら近付いていかないと、子供の心に触れる前に拒絶されてしまいます。


また、小さな子供はまだよく限度を知りませんから、悪気はないのにお友だちを泣かせてしまったりすることもあります。
こういう時も、泣かせた方が悪いと決めつけてかかったりすると、些細なトラブルが子供の心に深い傷を負わせる大事件になりかねません。
もちろん「あんたもすぐ泣くから面白がってやられちゃうのよ」なんて決めつけたら最悪です。


子供は泣いたり泣かされたりして当たり前。
子供の世界に善悪なんてない。
でも、みんなが笑顔で過ごせるにはどうしたらいいか、一緒に考える時間を持ちたいな。
そんな気持ちで近付いていくことがとても大切だなと痛感させられることが何度もありました。


繰り返し高圧的な決めつけを続けていれば、子供は大人に、表面的には従うようになるでしょう。
それが大人にとっての「いい子」なのかもしれません。
でもそれじゃ、大人の指導が機能しないところでは「悪い子」でいてもいいんだと、大人自らが認めてしまうことになります。


しばらく前、規範意識が国作りの柱なんだみたいなことを言っていた人がいました。
でもそれって、規範の例外が認められる場なら何をやってもいいということ。
世の中には国中が軍隊調で、とても規律がしっかりしている国もあります。
でもそういう国は、とても戦争をやりたがります。
国の中では規律が守れるのに、国の外に向かっては平気で殺し合いをしたがる人たち。
監視されているところでは模範的でなければだめ。
そうでない場所なら何をしてもいいから。
そんな人を育てる規律なら、そんなものいりません。
話が急に大きくなってしまいましたが、「こうでなければだめ」と決めつける子供への接し方は、突き詰めていけば、社会や世界のあり方だって左右してしまうくらいの重大問題だと思うんです。


母の「かわいい子には…」も、言い方によっては、こうしないとかわいくないんだから、みたいな誤解を与える恐れもあるかもしれません。
でも、いつも小さかった私を抱きしめて「かわいい」と言い続けていてくれていた母の言葉でしたから、言いつけを聞かなかったらその愛情が消える、なんて思ったことは一度もありませんでした。


今も母は「かわいい子にはごはん作ってほしいなぁ」なんて言っています。
おいしくできると、立ち上がって両手を広げて、
「かわいい子は抱きしめてあげる!」
なんて言い出します。

「いいよぅ、はずかしい」
「あら、かわいくなーい」
「じゃ明日はお母さん作ってよ、おいしかったら抱っこしてあげる」
「槍が降っても作りません!」


こんな会話がいまだにできる家族がいて、とっても幸せな私です。


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「名もなく貧しく恥ずかしく」by id:MINT


本当のフレーズは「名もなく貧しく美しく」です。松山善三さんの初監督作品の映画のタイトルで、脚本も松山善三さんご自身が手がけられました。戦中戦後と数々の苦難を乗り越えて生きてきた聾唖の夫婦の一生と、そのあまりにはかない生涯の閉じ方にもかかわらず、貧しくとも美しく生きた両親に誇りを持って生きようと決意する息子の、実話を元にした感動的な物語です。


ところが父は、こんな名作のタイトルをオヤジギャグにしてしまいました。
お父さんそれはひどいようと言うと、父曰く、
「これでいいんだ。お父さんには才能も世渡りのテクニックもないから、いつも恥のかきとおしだった。何度も自分の情けなさに泣いたものさ。でも人に劣る経験の貧しさを正面から見つめることで、努力の大切さを知ったんだ。今もお父さんは、他の人なら簡単にできることでも自分にはできなくて、恥ずかしい思いをすることがたくさんある。だから恥ずかしさをかなぐり捨て一心不乱に努力することができる。どんなにみっともなくても、日々成長しようと努力する心は美しいんだ」


うわぁ。ただのオヤジギャグかと思ったら、とても深い意味が隠されていました。


そういう意味の恥ずかしさかー、てっきりミニスカートでお尻が見えちゃうようなことかと思ったと言ったら、それは「品なく、そそっかしく、恥ずかしくだな」と、また即興のオヤジギャグをかましていました。


でも、人より劣る恥ずかしさをバネに、いまさらこんなことをという恥ずかしさをかなぐり捨てて努力することは、本当に大切だと思います。努力が名声や成功につながるとは限りませんし、努力が富につながるとも限りません。でもそんな下心無しに自分を伸ばしていく喜びを知る人生は美しいと思います。


最近父はだんだん頭のてっぺんが薄くなってきて、おまけに先日差し歯が取れてしまって歯医者さんに行っていました。これじゃ毛もなく歯もなくジジむさくだなとしょんぼりしていましたが、中年になっても日々成長を目指すことを忘れない父は、誰より若い心を持っていると思います。そんな父を私は、「名もなく貧しく美しく」の物語で親の生き方に誇りを持って強く生きようとしていく一郎と同じように尊敬しています。


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「人生は甘いものにせよ 苦いものにせよ 好ましいものとして役立てよう」
by id:momokuri3


色々悩んでいた時期がありました。そんな私を察してか、父の部屋からこんな曲が流れてきたんです。

この暗い時期にもいとしい友よ
僕の言葉を聞いてくれ
だましたり苦しめたり はずかしめたり
見放したりおどしたりなどはしないから


音楽好きの私の耳は、どんなに悩んでいても、音楽に引っ張られます。私はこの初めて聴く歌に耳を傾けました。

そして、この歌の歌詞は3番までありますが、
(歌詞の全体はこちらをご覧ください
http://www.evesta.jp/lyric/artists/a323725/lyrics/l80107.html
いつの間にか、その3番が頭の中でローテーションし始めました。

陽の輝きと嵐とは同じ空の
違った表情にしかすぎない
人生を明るいと思うときも暗いと思うときも
僕はけっして人生をののしりたくはない
人生は甘いものにせよ 苦いものにせよ
好ましいものとして役立てよう


歌の歌詞には、わざと訴えたいメッセージの逆の言葉を盛り込んで、肯定するふりをしながら否定するというのがありますから、素直に歌詞の内容を受けとめたわけではありませんでした。でも、ブルースっぽい、絞り出すような素朴な歌い方に、だんだん引き込まれていきました。


あぁ、その通りかもしれない。明るく希望に満ちている時も、暗く沈んでいる時も、どちらも同じ自分の人生。同じ時間の軸の右・左。道が分かれて迷い込んだ場所じゃない。行き着く先が違うわけでもない。


俺は何を悩んでいるんだ。あぁ、違う。悩むのはいいことだ。そうだ、悩むことを嫌がるな俺。希望に膨らますも重く詰まるのも同じ俺の胸。明るく輝くも暗く伏せるも同じ俺の目。だから俺の頭よ、明るいと思う時も暗いと思う時も、どちらも好ましいものとして受けとめろ。


だんだんそんな気持ちになってきました。よく人は、明けない夜はない、なんて言います。でも深く心が沈んでいる時には、自分自身が夜明けを望まなくなってしまうのですから、そんな励ましも届かないことがあります。
しかし、光り輝く昼間の空も、暗い夜空も同じ空なんだ、なぜ同じ空の一方の姿だけを嫌がる必要があると言われれば、それはインパクトがあります。


心が明るく軽くなったとは言いませんが、何となく気持ちの整理が付きかけて、自分の部屋を出てリビングに行きました。すると父も入ってきて、いい歌だろうと、録音した物を渡してくれました。
「元がアナログ盤だから、さっきもそれで聴いてたんだ。それやるから気に入ったら聴いてくれ」
それだけの言葉でしたが、何時間親身になって話を聞いてもらっても得られないようなものが伝わってくる気がしました。


「人生は甘いものにせよ 苦いものにせよ 好ましいものとして役立てよう」
父の直接の言葉ではありませんが、これが私の心に強く響いた父からのメッセージです。


最近ギターを弾きはじめた私は、時々この歌を、無意識のうちに歌っていることがあります。父がいる場所で口ずさんでしまって赤面したこともありましたが(やはり父の術中にはまったことがバレたみたいで恥ずかしい)、素知らぬ顔で続きを歌っていたら、最後のリフレインの所で父がコーラスを付けてきて、即興のセッションのようになりました。父は元バンド屋ですから、こういうのはうまいんです。
以来、
「人生は甘いものにせよ 苦いものにせよ 好ましいものとして役立てよう」
このフレーズは、親子の口癖ならぬ「歌癖」になりつつあります。


※引用歌詞出典
文中の歌詞(書き込みタイトル部分を含む)は「この暗い時期にも」(作詞・作曲 生田敬太郎)より引用

この暗い時期にも(紙ジャケット仕様)

この暗い時期にも(紙ジャケット仕様)


オリジナル盤は1971年、エレックレコードよりリリース


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「親が死んでも食休み」by id:iijiman


ええと、「親が死んでも食休み」。
一瞬、「なんという罰当たりな」という感じもいたしますが、これを、86歳の義祖母が言うのです。
86歳にして「親が死んでも食休み」と言い切って、食事の後には、だらーんとテレビを見ています。
そして、面倒なキッチンの後かたづけを後回しにして、よく義母に叱られています。
聞くところによると、義祖母の家系(?)では昔から「親が死んでも食休み」と言い続けてきたらしいです。
確かに、食休みは体をいたわる知恵の1つではありましょう。
休みもとらず体を酷使していたら、親より先に死んで親不孝になるかもしれません。・・・続きを読む

「幸せそうな姿を見れることが幸せ」by id:siuajj22


両親が昔から言ってくれている言葉です。
他人の幸せを心から喜んだり、一緒になって気持ちをシェアすることは簡単なことでは無いです。
幸せを願ったり、喜んでいるようで、それは心底感じれているものでしょうか?
しかし、心底感じて相手の幸せを自分の幸せのように思えることが出来る対象がひとつだけあります。
それが「家族」では無いでしょうか。
無条件に愛し、無条件に受け入れることのできる存在。・・・続きを読む

「そんなに仕事がいいなら仕事の家の子になればいいでしょ!」by id:aside


父も母も多忙で帰宅が夜遅く、出張が多かったです。
留守番も多かったですが、近くの家や、祖父母の家にやっかいになることも多かったです。
親が迎えに来た時に、自宅に帰るのをむずがることも多かったので、
「そんなに○○の家がいいなら○○の家の子になればいいでしょっ!」と言われたのですが、
それに対して「うん、そうする〜」と返事し、意気揚々と自宅の荷物をカバンに詰めだして
さらに叱られたりしました。・・・続きを読む

「子取りが来るぞ。ガーコが来るぞ。」by id:atomatom


子取りといってもなんのことかわからない方のほうは多いでしょうが、昔は恐れられる存在だったのです、子取り。つまりは子供を取りに来て、どこかに売り飛ばしてしまう、そういう悪い商売をする人のことをそう呼んでいました。
実際にいるのかどうかはともかく、子供のころ、ちょっとでも悪いこと、親の気に入らないことをすると「子取りが来るぞ」と脅かされたものです。
子取りが理解できないもっと小さな頃は、ガーコが来るぞと脅されていました。
たしかアヒルのおもちゃだったと思うのですが、なぜだかぼくはそのおもちゃを怖がってたんですね。・・・続きを読む

「俺はみんなと静かに暮らしたいんだ」by id:offkey


これは家庭でなにか揉め事や、トラブルが起こったときに父がいう言葉です。
家族同士がいがみあってたわけではないのですが、個人的心情からどことなくぎくしゃくして、
生活のことでいろいろ意見が食い違う時期がありました。
私が片意地はっていたこともあって、このすれ違いはなかなかいい方向へ向かないうちに、
私自身が病気になったり、他の家族が心労で疲れたりと、当時は大きなトラブルではないものの、
結構深刻的でありました。・・・続きを読む

「初めて耳にした夫の心の中」by id:canorps


私にとっての家族の名言は夫の一言だと思います。
私の夫はあまり自分の心のうちを語る人ではなくて、人をほめたり、ふわふわ言葉を使うことが下手な人物です。
ちくちく言葉はすらすらと出てくる人なので、誤解を受けることも多いタイプの人間かもしれません。
そんな夫が私に言ってくれた言葉があります。
当時私は鬱をわずらっていて、今はこんなに生きること日々の暮らしが楽しくて仕方がないというのに私の思いは自分を消す事ばかりへと向かっていました。・・続きを読む

「恩送り」by id:sumike


小さい頃祖母に、
親切にされたらおかえしをしなさい
返せない場合は自分が受けた親切を他の人に渡す
つまり恩送りをして
自分のところで縁をとめないようにね
とよく言われました。
私は募金や献血も恩送りのひとつだと思います。
ペイ・フォワードという映画があるのですが・・・続きを読む

「俺が青春だ」by id:C2H5OH


父はよく言います。「俺が青春だ」と。これはモノクロ時代のテレビドラマのタイトル「これが青春だ」のパロディだと思われますが、カラー放送が当たり前になってからも盛んに再放送されていたようですから、若き父がこれを見て熱血青春路線をひた走っていたことは想像に難くありません。
この種の青春をテーマにしたドラマはシリーズで何作も続きましたので、その中からはたくさんの名言が生まれてきたようです。「涙は心の汗だ」「Let's begin とにかく何かを始めよう」等々。こんな言葉を、父は臆面もなく口にします。・・・・・続きを読む

「感情は一瞬、後悔は一生」by id:tough


交通標語の「注意一秒ケガ一生」みたいなものですが、これは祖父の口癖だったそうです。それを父が受け継いで、今は私の座右の銘の一つになっています。
一瞬の感情の高ぶりが一生の後悔につながることもある。私もそれを実感したことがありました。スポーツバカで女性などとはまるで縁がなかったと思われている私ですが、高校の一時期、彼女と呼べる相手がいたことがありました。しかし些細なことで言い争いになり、ムカッと来た私は、ひどい言葉を口にしてしまったのです。その一瞬で私たちは終わりました。・・・続きを読む

「料理は愛情」by id:Fuel


料理研究家結城貢(ゆうき すすむ)さんの決めゼリフですが、これが母の口癖でもあります。
ところがある時、ネットで次のような趣旨の文章に出会いました。その人いわく、
「料理は愛情」は暴論である。こういう言葉が流布されるから、結婚したら妻は愛情を込めた料理を作らなければならないという決めつけがおこり、夫が喜んで食べてくれない、夫が夕食までに帰ってくれないなどの理由から夫婦間の不和がはじまっていくんだ…と。・・・続きを読む

「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」


「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
テーマ「リブ・ラブ〈MYアーリースプリング〉スナップ」から、今日の一枚をご紹介!
id:Sharedさん、ご投稿ありがとうございました。




春色ピアス
手作りで作りました!
春先に向けて綺麗な天然石を合わせてみました!
シンプルですが綺麗な色合いで出来たと思います♪
春に大活躍してくれるといいなと思ってます


スナップコメント

シンプルななかにも華やかさが光る上品なピアス作品ですね!
白に淡いピンクの春色が映えて、季節を感じるアクセサリーっていいなと眺めましたw
今は天然石のアクセサリーパーツも豊富なので楽しいですよね。
こうして季節ごとの色やモチーフを考えながら手作りするのは素敵です♪

−ハザマ−


»“リブ・ラブ・スナップ”今回のテーマはコチラから
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また、スナップ賞にはアマゾンギフト券3,000円分をプレゼントいたします。