イエ・ルポ 2 #029
みなさまこんにちは、ハザマです。立春を過ぎて、これから春に向かうと思うと何だか陽射しまで明るく感じますね〜。お部屋にもほんの少し明るいカラーを加えたいなと、一昨日、立春の日にベッドカバーだけ淡いベージュ色に替えました。手作りは出来ませんでしたが、先日“リブ・ラブ・サプリ〜SEASON”で教えて頂いた立春大福を美味しく祝い、もちろん玄関には立春大吉と書いたお札を貼って。今年もいい春が迎えられそう。こんな季節のイエコトが毎年充実していくのも、イエはてなのおかげですw
さて、今日は“イエ・ルポ 2”#029のいわしのスタートです。今回はマチをめぐるテーマ、id:TomCatさんにご考案頂いた「大好きなマチ!ここを変えたい、守りたい」がお題です。以前に#006で「心に残るマチ、語りたいマチ」というテーマでお話を交わしましたが、今回はとりわけそのマチの守っていきたいところ、変わっていけばいいなと思うところをルポして下さいませ。下のテーマ・メッセージのように、それぞれの地域のよさをもっと引き出して次世代につなぐ思い、素敵です! ぜひみなさまの思い出エピソードなども交えて、好きなマチへの思いを聞かせて下さいね!
イエ・ルポ2 ピックアップタイトル
「大好きな町、ここを変えたい、守りたい」
ここがこうなったらもっと素敵な町になるという提案や、守り続けて次世代に伝えたい町の良さなどについて語ってください。ここへの書き込みがきっかけになって、地域を発展させたり、守っていったりする、何かのアクションにつながっていったら素敵ですね
by id:TomCat
大好きなマチ!ここを変えたい、守りたい
「大好きなマチ!ここを変えたい、守りたい」を教えて下さい
“ルポ・タイトル”
「〈牛窓国際芸術祭〉復活、牛窓を自然と芸術のユートピアに!」by ハザマ
“ルポルタージュ”
前の#006「心に残るマチ、語りたいマチ」テーマで書かせて頂いた「瀬戸内の海と丘のマチ、岡山・牛窓で出会ったイエ」。その後気になって調べてみると、不明であったことがいろいろわかり、牛窓のマチにますます思いが募りました。
その昔は小さな漁村であった牛窓ですが、私が高校の卒業旅行ではじめて訪れた時には、「日本のエーゲ海」と称賛される瀬戸内海の美しい風景とともに、リゾートのマチづくりが進んでいました。といっても、当時は小さなヨットハーバーとペンション村があるばかりの穏やかな田舎町。だけど海に対面してひろがるオリーブ園の丘の方に不思議な魅力がありました。丘を登っていくと、オリーブの小径の中にいくつもの小さな小屋、あちこちに神殿の水溜めみたいなものや柱のかけらが転がっていて、まるで童話の世界。小屋は画家たちに貸し出されているアトリエでした。もっと登ると、「三美神広場」というまさにギリシャ神殿の遺跡のような閑散とした広場が。途中にも美術館らしい建物がありましたが、特に何の紹介もなく不明でした。そしてさらにガイドブックにはない道を登っていって、あの丘と海を一望する絵描きさんのイエに辿り着いたのでした。見晴らし台になっている石畳のテラスがあまりに素敵で、ちょっとのぞいていると、おばさんがおいでと言ってくれたんです。風景を眺めていたら、イエの縁側のところに何やらたくさんの絵を立てかけて見せてくれました。奥にご老人の姿が見え、ご主人がお描きになったんですねと、その美しい風景画も楽しませて頂いたものです。
そんな思い出があり、いっぺんに魅了されて、社会人になってから再び訪れた時もまだ変わらない風景がひろがっていました。
時は移って現在。牛窓は瀬戸内随一のリゾート地へと成長し、瀬戸内市観光センターや牛窓海遊文化館、広いヨットハーバー、大きなリゾートホテルもできて、たくさんの人々を集めています。美しい海の夕陽は「日本の夕陽百選」(NPO法人日本列島夕陽と朝日の郷づくり協会選定)にも認定され、その自然環境の美しさも全国の人々の知るところとなりました。
一方、あの「三美神広場」や美術館らしい建物を調べてみると、1992年まで毎年秋にこの地で「牛窓国際芸術祭」が開催されていたそうです。絵画から舞踏、空間美術まで、多くの芸術家が集う祭典が催されていたと。あの建物は牛窓国際芸術祭事務局のもので、芸術祭が開催されなくなった後は長らく放置され、今はシーカヤックのスクールやショップなどに使われているとか。もとより姉妹都市がギリシャ・ミティリニ市ということもあり、ここでかつて芸術のマチづくりが行われていた面影だけは残っています。
そして私が偶然に辿り着いたあの絵描きさんのイエは、何と…佐竹徳(本名:佐竹徳次郎)画伯(1897〜1998)のイエだったのです! 地中海の美しさに似た牛窓の景観に強く惹かれてここに移り住み、昭和34年から99歳で亡くなるまでの約40年間、牛窓の自然風景を描きつづけてきた人なんだそう。新日展総理大臣賞受賞作品「オリーブと海」は代表作。平成5年には牛窓町名誉町民第1号となられ、亡くなられる前年の平成9年には牛窓町に自作絵画80点を寄贈され、牛窓町では定期的に画伯の絵画展を開催していると…。私は何も知らずに、画伯が座椅子にもたれる縁側で、まだ額装されていない絵画の数々を見せて頂いたというわけです。
この牛窓のマチが、童話の国さながらに佇む丘と海の自然景観をそのままに、芸術家が集まる村になれば素敵だ…。前のルポでもそんなことを思ったのですが、今回知った佐竹徳画伯の画業と、「牛窓国際芸術祭」復活の願いとともに、その思いを強くしました。オリーブの丘も、もっともっとたくさんのアトリエ小屋でいっぱいになればいいな…。
そして芸術のマチづくりは忘れられたわけではなく、牛窓町のサイトでは「美術館建設募金受付中。牛窓町では、美術館基金条例を制定し、美術館建設に向けて募金活動を展開しています」とのこと。すぐに「佐竹徳美術館を想う会事務局」に通信して、わずかながら協力させて頂いたことは申すまでもありません。私の故郷にも近い瀬戸内のマチが、ほかのどこにもない自然と芸術に満ちたユートピアになることを願って、近くまたこの地を訪れたいと思っています。
※今回の「いわし」ご投稿は2月12日(木)正午で終了とさせて頂きます。
※今回のピックアップ賞は2月13日(金)に「イエはてな」にて発表いたします。
※〈イエはてな〉では、いわしへ投稿されたコメントと画像をダイアリーに転記しています。できましたら「投稿画像のwidth属性」を450px以内に指定していただけますようご協力をお願いいたします。
「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
「手作りの状差し」
奥さんの「ひな」さんが小学校6年の時に図画工作の授業で製作。板に彫刻刀で模様が彫り込んであり、片面は鳥、片面は魚を持ったアザラシ。左右でデザインが違います。定形郵便や葉書を入れるのに丁度良いので、今でも状差しとして使っています。
小学6年生の手業とはとても思えない完成度とお見受けしましたが、
それをご結婚された今でも大切にイエで使われているところが素晴らしい。
ふたつが対になっていて、仲良きことは美しき哉、ですね♪
−ハザマ−
»“リブ・ラブ・スナップ”今回のテーマはコチラから
募集期間中にご投稿頂いた方にもれなくはてなポイント300ptプレゼントいたします。
また、スナップ賞にはアマゾンギフト券3,000円分をプレゼントいたします。
いわしの回答(転記)
昔と違い、一家に一つお風呂がある時代ですから、銭湯はどんどん姿を消しています。
お風呂に入る目的だけではなく、スパといったマッサージやエステなどを合わせた施設などは、今も人気のところがあるようですが、
ずっと昔から地域に根づいている街角の銭湯、こちらも大切にしたいです。
足を運んでも、年配の方の比率が非常に多く、若い人をあまり見かけないのも事実です。
ですが、あの広いお風呂に足をのばして入りたい時があります。友達が泊まりに来た時、一緒に訪れるのも楽しみです。
小さい頃から、お肉屋さんの前を通るたび、とっても憧れていたコロッケ。
当時はお金も無かったし自分で買うことが出来なくて。
母に連れられたときだけ買うことが出来ました。
購入してすぐに食べる揚げたてコロッケ。
凄く美味しかったんです。
今では簡単に購入できるけど、やっぱり小さい頃からの思いでがあるから。
いつまでも無くならないで残り続けてほしい、お肉やさんの揚げたてコロッケです
小学生のときに親が仕事で出かけてる日は500円を貰い、弟と一緒に
お昼は近所のお肉やさんのコロッケを買って食べていました。
から揚げは100グラム単位で売っていたのですが、
から揚げを見つめていたら、肉屋のおじさんが弟と私の分
2つ売ってくれました。
それからコロッケを買うたびにおじさんが「から揚げはいるかい?」
と聞いてくるようになって、通い詰めてるうちに何も言わなくても
コロッケとからあげを袋に入れてくれるようになりました。
近所に大型スーパーが出来てしまいお肉屋さんはつぶれてしまいましたが
今でも私の中のコロッケといえば、あのお肉屋さんのコロッケが一番だと
思います。
家の辺りは田舎なので、周りにはまだまだ自然がたくさんあります。
季節ごとに違う表情を見せてくれる山や木々。
見慣れたものではありますが、何度でも新しい発見があり、いつも見入ってしまいます。
どこへ出かけるにも不便だったり、大変なことはありますが、この環境が好きなので、ずっと残っていってほしいと思います。
年に一度の夏祭りと盆踊りが年々縮小されて寂しくなっています。子ども会や自治会の活動も少なくなってきています。こどもが少なくなってることも事実ですが、個人で休暇を活動しているからだと思います。縁日の賑わいをこれからもずっと楽しんでゆきたいのですが・・・
「野良猫を減らしましょう!」 と回覧板がまわってきました・・・フン害 毛 爪あと 確かに野良猫はもちろんお隣さんの猫でも気になりますよね・・・我が家で飼っていたときは家猫にして一歩も外へ出さないようにしていましたが、外出自由の猫はイエの外でどんなこことをしてるかわかったもんじゃありません! でも飼い主の教育次第で子猫時代からトイレを覚えれらるのです・・・そしてきちんと避妊手術もしてやって、晴れて地域の猫としてデビューさせてやりたいです! 風景に溶け込んでのんびりと散歩とひなたぼっこ 大あくびしている地域猫の姿も我がマチには必需品なってほしいです!
みんなの笑顔が絶えないような、幸せな街(社会)であってほしい。
街に必要なものは何よりも人!人でも一番重要なのは表情です。考えていることは意識していなくても表に出てしまうものです。終電のサラリーマン、カラオケボックスの中の高校生、塾に向かう小・中学生。日時、場所、一緒にいる人で表情って変わってくると思うんです。ただ、街もさびれていってしまうと残るのは悲しい、熱意が失われた顔。これでは、生気も情熱も感じられないです。街も住人や働く人を映すものなんだと感じます。景気がいいときでも悪いときでも常にプラスでありたい、何かに取り組んでいる気概を感じられる表情が街の再生に一番必要なことなのかもしれないですね。
私の小さいときは道路にチョークでまるを書いて、ケンケンをしたり、
鬼ごっこをしたり、いろんな遊びができていました。
今は、危ないからとほとんど車が通らないような道でも遊ぶことを制限されています
空き地もずっと空き地なのだから、特に危ない要素はないのだけれど、所有者が空き地に入ることを拒否しています。
子供の遊ぶ場所が減っています・・・。
世の中の危険度が増しているということもあるでしょうし、
なにかあったらすぐ責任をとってという行動も多くみられるようになっているせいもあるでしょうね。
ケガをして、痛みを知る。
昔は女の子でもとっくみあいをしていましたが、今の時代そんなことをしようものなら、親が怒鳴り込んできますね。
大事に大事に育てているのでしょうけど、元気さが昔とは違うような気がします。
多少のことは多目に。ちょっとしたことは笑い飛ばす元気が大人も子供も不足しているような・・・。昔のような光景が減ってきているのが寂しいですね。
子供の遊び場の減少は、ほんとに将来が怖い問題です。私の子供のころは、空き地もたくさんあったし、ダンボールですべる坂とかもあってほんとに自由な場所がたくさんありました。
今、住んでる団地は、今の時代にしては、自由に遊べる場所が多かったので、ほのぼのして
たんですが、何もなくて野球を子供たちがしてた公園には、大人が考えた奇妙な遊具が現れ、野球ができなくなりました。たぶんボール遊びで、車にあたったりするから、迷惑だとかゆう住人がいたんだと思います。立て札立ってたし。ダンボールですべっていた坂にも、芝生が
植えられ、金網がはられ「すべってはいけません」と立て札が立てられました。
とても悲しくてたまりません。子供たちは、広い場所に行っても、遊び方がわからない
子が増えています。そうゆう意味で自分たちで自由に遊ぶことを知らずに育った子供たちが
大人になったら、いったいどんな大人になってしまうんだろうって心配です。
私だったら、遊ぶ場所や時間やチャンスを奪った大人たちを恨んでしまいます。
この問題はもっと真剣に考えなきゃいけないと、取り返しがつかないことになる気が
します。
普段は、そこまで交流は、しないでも
いざというときのためにやっぱり近所の人とは
少しは、(出来たら)話がしたいですね・・
今は、亡くなってしまった親戚のおばあさんにも
似たような事があったので・・
一人暮らしをしてて、洗濯物を取ろうとしたら
庭で転んで立てずに3時間ほどそのままでいたらしいのです。
それを近所のおばさんが見つけて助けたというものなんですが・・。
どれぐらい周りとかかわればいいのか、難しいけれど
そういう悲しい事は出来るだけ減らしたいですもんね。
バス停のベンチが老朽化しています。寄付してくれる業者がいないといつかは撤去されるそうです。自治会で募金の呼びかけがされ始めています。公園のベンチは不審者の宿泊場所にならないように仕切りができたり、やっぱり取り払われてしまっています。お年寄りや赤ちゃん連れのおかあさんがのんびりとひなたぼっこするような光景が見られなくなってゆくのでしょうか?
両親の住む実家は、日本在来種の白いタンポポhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%8... が多く見られる地域です。白には清楚な美しさがあって綺麗だなと感じています。
ところがその白いタンポポが年を追うごとに姿を減らしだんだんとセイヨウタンポポの数が増えてきていてこのまま減っていくとこの地域から絶滅してしまわないだろうか?と心配です。とりあえず見つけても摘まない、踏んだりして株を痛めないように、発見したら心の中で”生き残れ〜!”とタンポポへエールを送ったりしています。白タンポポがこれからも地域で咲き続けますように!
最初、沖縄に行くのは初めてだったので、すごく海がキレイなんだろうなと思っていたら、全然キレイでなくて、ガッカリ。
でも、テレビなどでみた光景はどこへ?と疑問に思い、ある日会社でアルバイトで来ていた、50歳くらいのオバちゃんに聞いてみると
「昔は那覇の海もキレイやったんさー、でも、ここ最近沖縄に観光客を呼び込もうと、都市開発が進んだ影響で、工業用水が海に流れ込んで汚くなっていったんさー。キレイな海を見ようと思ったら、離島に行くか、本島やと北か南に行くしかないさ。でも北の方もここ最近、リゾート開発が進んできたから、昔ほどキレイではなくなってるけど・・・・でも、環境問題に取り組めばまたいつかキレイな海にもどるさー」
っていわれました。
それから、ニュースで都市開発だ、リゾート開発だと聞くと、ああっ!沖縄の海が・・・って思うようになり、個人で何か環境に取り組めないか考えいたんですが、当時仕事がすごく忙しくお休みがとれないくらいだったので、自分の家で水の無駄使いを減らすとかくらいしかできないなーと考えていたところ、ある日スーパーでEM玉城牧場牛乳というのを発見しました。
rakuten:maeharaya:1352751:image
最初は、ただおいしい牛乳だなと思い、飲んでいただけだったんですが、ある日会社のオバちゃんに、EM玉城牛乳っていうのは、すごく環境にいいEM農法というもので作られた牛乳のことなんだよっていうのを教えてもらい、それ以降、その牛乳ばっかり飲んでいました。
※EM農法についての詳しいことは、「EM研究機構」さんのサイトhttp://www.emro.co.jp/をご覧下さい。
おいしくて、環境にいいって最高じゃないですか。
しかも、環境にいいものを選んで飲んでるのだから気分もいいし♪
ものすごく小さい試みだとは思いますが、すこしでも沖縄の海の改善の役に立てればと思い飲んでいました。
沖縄は島人がすごく温かくて大好きな街です。そんな沖縄に再びキレイな海が戻ることを願っています。
今では他のお店が大きくなりすぎているせいか、
小さな駄菓子屋さんが目立つようになりました
昔はお小遣いをもらったら、走っていっていましたが
今ではそんな機会もなくたまに懐かしくなって寄り道するだけ
今の子はこんなもの喜ばないのかねぇと、
悲しそうにいうおばあちゃん
そんなことないよ、大人でも懐かしいと思うし、なくなったら困るよといって
お店をしまわないようにお願いをしています。
店先は今の子がすきそうなキャラクターのお菓子でいっぱい。
大人たちの懐かしいお菓子は店の奥
時代別に場所も別れているような気がします。
スーパーで買うのもいいけど、お店の人と話をしながら買うものは
魚でもお肉でもお菓子でもなんでも楽しいと思います。
私は商店街のような場所が大好きです^−^
うちの近所にも駄菓子屋さんがありました。
おばあさんが1人でやっていて、よく店先で小学生が遊んでいました。
そのおばあさんももう高齢で、ついにお店を閉めてしまったようです。
駄菓子屋さんという商売ではそう大儲けも出来そうにないですし、やはり年金生活の老人でないと採算も厳しいのかなと思いますが、わが町の愛すべき風景が1つ損なわれてしまったようで残念です。
その変わりと言ってはなんですが、最近、コンビニが色々な駄菓子を置くようになりました。
値段も駄菓子屋価格、20円とかから小さな駄菓子があります。
時間帯によっては小学生が座り込んでいる時もありますが、コンビニの床より、やっぱり、駄菓子屋さんの店先の方が絵になるような気がします。
大事な景観。
守って生きたいですよね。
城下町の風情。消え行くのは寂しいものです。
歴史のある場所なだけに・・・
マナーの悪いポイ捨てや、ゴミ。
観光地となっては、そういうことが多いです。
日本の大事な宝物です。
景観を守っていくのは日本人として、大事なことだと思うのです。
大きいお城ですと、メインストリートが駅からお城に向けて、すっとまっすぐ伸びているところが多くて、景観としては圧倒的です。
城ができて、そこに城下町が作られたような歴史がある街ですと、道がほとんど直線で整備されているところも多く、見所でもありますね。
桜並木や梅も見かけられる場所ですし、歴史は大切にしたいものです。
不審者の侵入を心配して開放していても、子供が少なくて寂しくなってしまっています。 先生がずっと監視しているわけにもいかないでしょう・・・それでPTAの親たちも目を配るようになってきていますが、昔のようなにぎやかさはもどってこないのでしょうか? いろんな遊びやその遊び方 年上と年下とのつきあい方も学んだのは校庭からだったように思います。ちょっとお暇なおじいちゃんとおばあちゃんにご登場いただけないものでしょうか?
変えたいもの、ありますね
犬の飼い主のモラルです
一部の飼い主なんですが飼っている犬を散歩させる時に
リードをつけないで自由に歩かせ、自分は後ろからゆっくり歩いてるとか
それさえもせずに早朝に犬を自由に散歩させる行為が止まりません
それを少しやわらかめに注意すると
”自分の犬は、(人を)かんだりなんてしないから大丈夫だよ”とか
犬が怖いものにしては、”暴言”と思うような言葉を言うんですね
そういうペットを飼うものとして何だかな〜と思う人が
少しでも減ると街を歩くのも歩く事が出来るんですけど
犬を飼うなといいたいわけではないんです
犬を飼うのはいいけど苦手な人もいるんだとどっかで考えて欲しいだけなんです
飼い主が飼い犬の糞処理をしないことは本当に迷惑ですよね。10年以上前くらいでしょうか、家の近くの公園の花壇は犬の糞尿で枯れるようなことが頻繁に起こっています。いくら注意しても毎回フンをさせるの飼い主はたいてい同じ人です。子供会やライオンズクラブで植えたきれいな花々が心ない飼い主によって破壊され、景観自体を犯してしまうことは決して許される行為ではありません。犬を飼うことは自由ですが、当然それだけに責任が伴うと思います。他人の生活環境に害悪を与えることはしないという当たり前のことを、もっと罰則や条例で整備する必要があると思いますね。美しい景観や和める公園という場を破壊する人間は許せません。
子供たちも通るような細い路地
そういうところに電灯がほしいですね。
大人でも怖いような道を冬の暗い日に子供が通っているのをみると、
少し心配になります。
私の住んでいる街の近くには由緒ある神社があるのですが、そこの神社に生えているご神木の樹齢はなんと700年を超えています!人間が平均70年生きるとしたら、およそ10世代以上に上るのです。こんな荘厳で地域に古くから根ざし、多くの人から敬意をもたれる植物は神木以外にはないでしょう。
法隆寺に用いられるヒノキもまた樹齢1000年以上のもの。もう、日本では木曽の500年が上限らしいです。なので、日本の今後を考えたときに、木を大切にすることをもっと真剣に考える必要があると思います。日本は山岳面積が7割以上を占め、山林でいっぱいです。山に生えている木は雨を根っこで吸い取り、土砂崩れを防ぎ、また生態系の維持・保護につとめます。自然を大切にしたいと思うからには人間よりも寿命が長い生き物にも目を向ける必要があると思います。
人間だけが生きているのではなく、自然とともに暮らしている…自然からの恵みで人間は生きることができる。ずっと座り続けている木からそう私は感じるのであります。
学生の頃、奈良に住んでいました。1980年代終わり頃。
奈良といっても広いですが、奈良市の旧市街「奈良町」に特に惹かれました。
低い屋根の町屋。虫篭窓(むしこまど)。
江戸時代からこの町の人々の間に広まったという「庚申信仰」(庚申さん)。軒先に下がる「身代わり猿」。
古くからのたたずまいが、新興住宅地生まれの私の目には新鮮に映りました。
今は中止されているようですが、庚申まつりの日に街頭でコンニャクをご馳走になったこともありました。
(なぜ庚申まつりの日にコンニャクを食べるかについては、こちらのURLが参考になります。
http://www.naramachi.org/what/migawari.html )
奈良町から少し離れたところにある「今西家書院」もお勧め。重要文化財の古い家から眺める日本庭園は、私たちを、とても落ち着いた気持ちにしてくれます。
私が奈良町を知った時期は、ちょうど、奈良町にとっても転換期だったようです。
それまでボロボロのまま放置されていた土蔵が綺麗に修復されたり、舗道が茶色になって町並みとの調和が図られました。
また、立ち寄る観光スポットも「奈良町資料館」くらいしかなかったと記憶していますが、今は色々増えたようです。
奈良にいらっしゃる方は、是非「奈良町探索」をお試しください。
「鹿と大仏しかない」と思っていた奈良の、奥深い味わいが楽しめます。
【参考URL】
奈良市観光情報センター「ならまち」http://narashikanko.jp/j/naramachi/
奈良町資料館 http://www.naramachi.org/index.html
奈良県観光連盟「奈良の街あるき〜奈良町〜」http://www.nara-kankou.or.jp/campaign/2005summer/mati2005_s.html
重要文化財 今西家書院 http://www.harushika.com/imanishike-shoin/index.php
奈良でもう1つ、忘れがたい町並みがあったのを思い出しました。
http://www.nara-kankou.or.jp/campaign/2005winter/mati2005_w.htm
http://goryo12.hp.infoseek.co.jp/imai0.html
近鉄八木駅から歩いて10分。その一角に入ると、江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚に。
東西600m、南北310mの範囲に、伝統的なたたずまいを守る町屋が軒を連ねています。
今井町は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
ユニークなのは、その集落の中にある銀行。南都銀行畝傍支店。
ちゃんと現代の銀行としての機能を備え、ATMなんかも設置されている訳ですが、周囲の雰囲気を壊さないように配慮した外観となっていて、一見すると、町屋風。中が銀行でびっくりという感じでした。
古い建物や町並みの維持はとても大変と聞きますが、私たちの記憶を確かなものにしてくれる歴史的な町並みは、いつまでも大切に守り続けていかれることを希望します。
昔は、子供達だけで集団登校。下校がありました。
親御さんがつかなくても子供達だけで歩ける街だったのですが、今はどうでしょう。
親が見張ってあげなければ犯罪に巻き込まれることも多い世の中です。
これを変えていくためにはどうするか。
今の時代にはとても難しい問題なのです。
地域の連帯感が薄れているのが一つの課題ですね。
地域によっては、こうして
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/17/12/05120900/007/022.htm
標識をおく事で対策しているところもあるようです
周りの大人たちが守ってあげなくてはいけない時代です
私の住んでいる街は水源が富士山からの湧き水が出る町で、水道水としても飲むことのできるきれいな水の恩恵を受けている町です。ただ、この10年で川の水質や生態系は回復したものの、近所の川からメダカ、ヒメダカがいなくなったことが一時期ありました。川の水もきれいで、生き物もたくさんいて、子どもが遊ぶには最高の環境です。春の涼しさ、夏の木陰からの日射し、秋は川辺に流れる葉、冬でもいのちの息吹を感じさせてくれます。子どもも大人もお互いに季節を感じることのできる小川、それが私の住む街の最大の財産だと思っています。
その小川に棲むメダカたち。特に、日本原産のメダカは川の水がきれいなことが棲むための条件です。メダカが居なくなったときには、捕食者の鳥、被食者のプランクトンや微生物の環境への影響をすぐに考えました。富士山からの湧き水は永遠に続くものです。山からの湧き水も天気に左右され、生き物も気象、地球には敵わない存在なんだということをこの小川は知らしめてくれます。
また、地元の環境団体はいまから20年以上も前から活発に情報を発信してきました。環境保護運動のはしりだとも言われています。環境を守るとは、何とも矛盾に満ちた運動だと思いませんか?人間の経済行動や生活していくことはそもそも自然と一致、自然に従っていれば環境を変化させることはあっても、悪化させることはないと思います。小川に住むカエルは環境の変化をいちはやく知らしめてくれます。ツボカビは水に敏感な両生類・カエルが人間に知らせてくれるサインです。この危機の前兆を見過ごしてはならないです。
大好きな小川、かつてはザリガニ取りやバッタ採り、生き物とふれあう機会、身近な自然の不思議さを感じることのできる小川を大切にしていきたいものです。子どもたちが安心して触れ、感じ、学ぶ場としての小川、大人が見て、次世代に遺す小川。相互の立場で川を守る、川の生き物を大切にすることをもっと具体的に考えたいですね。きっと、街のためにも為ると思います。
一人暮らしが多かったりする地域だとありがちですが、会っても挨拶をしない人が多いです。
「おはようございます」「こんばんは」くらいは、声に出してもいいと思うのです。
せめて、同じマンションやアパート内で誰かと会ったら、きちんと挨拶くらいは交わしたいものですよね。
女性の場合、防犯意識なども影響しているような話を聞かなくもないのですが……この点は難しいところでしょうか。
知らない人でも、すれ違ったら挨拶。
素敵です。
ウォーキングだと知らない人でも、わりと挨拶を交わすのって多いです。
子供たちも、みんなで挨拶を交わせるといい街になるでしょうね。
直接通っていた大学があったわけではありませんが、少なからぬご縁があってよく訪れていたのが国立市でした。私が守りたいのは、ここを愛した住民や学生たちが手を取り合って作り上げてきた、文教地区にふさわしい数々の特徴です。
まず街の景観からご紹介しましょう。JR中央線国立駅からJR南武線谷保駅までを貫く通称「大学通り」は桜並木になっていて、春には満開の桜が、受験を乗り越えて見事栄冠を勝ち取った新入学生たちを迎えてくれます。
大学通り唯一の歩道橋はスロープが長くて普段は不人気ですが、桜の季節になると絶好のお花見ポイントとして大人気になります。歩道橋の上から眺める桜並木は本当に美しく、それだけでこの街が好きだと叫びたくなります。
国立市の大部分は、1950年代から一貫して「東京都文教地区建築条例」による文教地区に指定され続けています。その背景には戦争がありました。当時、隣接する立川市には米軍立川基地があり、朝鮮戦争勃発によって大挙して進駐してきた米兵相手の商売に沸き返っていたそうです。しかしその多くはいかがわしい商売で、隣接する国立も含めて、付近の治安と環境は悪化ていきました。
そこで立ち上がったのが国立を愛する住民と学生たちでした。国立は1920年代から大学を中心にした学園都市構想で発展したきた街だったので、ここには行動力のある学生がたくさんいたのです。地域住民と学生たちは協力し合いながら、再び戦争に汚されることのない街作りのために立ち上がりました。そして当時まだ公布されたばかりだった「東京都文教地区建築条例」を使って街を守ろうとする運動を始めたのです。この運動が実を結び、市内からいかがわしい商売が締め出され、同時に企業の食い物にされるような乱暴な開発なども禁止されて、現在に至っています。
これが、若い世代を豊かに育む学生の街として、また緑豊かで閑静な環境を保つ住宅街としての国立市の両面の良さを形作っています。
こうした地域住民と若い力による生き生きとした街作りの伝統は今も市政に生きていて、多摩地区では珍しい、地域のボス的市政が通用しない街になっています。
政府の思い通りにならない、市政を企業活動の道具にも使えないといった政財界両方の目の上のタンコブである国立市の財政は、はっきりいって苦しいようです。でも、大企業を誘致したり、乱開発を行ったりしても、それで住民の暮らしが豊かになったためしはありませんから、大学誘致から街作りが始まった伝統をいつまでも持ち続けて、他の街にない特徴的な街作りを続けていってほしいと思っています。
この街のイベントとしては市民まつりが有名で、文教地区の代表的な存在である一橋大学の学園祭との同時開催が特徴です。私は学生時代、自分の大学の行事よりこっちに燃えていました(笑)。このほか、さくらフェスティバルや、1100年以上の伝統を持つ谷保天満宮の例大祭なども有名です。また国立市の特産品に朝顔があり、朝顔市も開かれています。
利権の道具としての発展ではない、本当に街を愛する人たちが作り上げてきた街の姿がここにはあります。そういうこの街の特徴がいつまでも守られ続けていくように願っています。