イエ・ルポ 2 #024
みなさまこんにちは、ハザマです。東京でもぐっと寒さが増したこの数日、私の周りにはコンコンと咳をしている人が多いのですが、みなさまお風邪など召されていませんか? 明日は暦の上でも「小雪(しょうせつ)」、わずかながら雪が降りはじめる頃とされています。さすがに雪はまだでも、風はかなり冷たくなっていますね。明日から月曜日まで、勤労感謝の日を含む三連休、外出ご予定の方はあたたかくしてお出掛けを。そしておうちではカラダがあったまる食事を。23日、新嘗祭の日には豊穣や新米を祝って、アツアツの雑炊料理なんていうのもいいですねw
さて、今日は“イエ・ルポ 2”#024のいわしのスタートです。今回のテーマは、「物語のついた愛しいモノたち!我が家の思い出の品」。家族や自分の宝物にも通じるお題ですが、とりわけ何かの出来事によって特別になったモノ、そのエピソードを聞かせて頂きたいなと考えました。幼年時代、学校時代、部活、ご夫婦や家族の思い出、もちろん友達や恋人とのエピソードも…。あなたのイエにはどんな特別な思い出を持つ品がありますか? ずっと愛しみ大切にしていきたいモノ語り、みなさまからの素敵な話を楽しみにお待ちしています。
物語のついた愛しいモノたち!我が家の思い出の品
「物語のついた愛しいモノたち!我が家の思い出の品」を教えて下さい
“ルポ・タイトル”
「母の恋心が花と咲いた着物」by ハザマ
“ルポルタージュ”
今年の夏、母からいくつか譲り受けてはじめた着物。そのなかに、私にも関係のある、特別に大切な着物がありました。その物語は、長らく閉じたままになっていた着物箪笥を母と一緒に開けてはじめて聞かされたものでした。
これは幼い頃にイエで着ていた記憶があるよ、あぁこれは小学校の入学式の写真に写っていた羽織だね、などと話しながら見ていくうちに、これは全く覚えがないなぁという着物がいくらか出てきて…わぁ、これ一番好き!ちょうだい!と思わず私が声を上げたのが、やさしい象牙色の地に渋いピンクとグリーンのカーネーションが織り込まれたモダンな感じの訪問着でした。
こんなのいつ着てた? 聞くと、母が二十歳を過ぎた頃にはじめて自分で選んで仕立てた着物で、独身時代にとても気に入って着ていたそうです。あぁやっぱり親子、好みが似ているのかな…私もこれをはじめて自分で着る着物にしたいな、と思ってひらいていると、「結婚する前にお父さんと会う時にもよく着たものよ」と母。え? お父さんとデートの時に? 「そうよ、これを着てよく喫茶店で待たされたものよ」。それは父も好きな姿だった、父母の恋愛時代の思い出の着物だったのです。結婚してからも少し着たそうですが、間もなく私が生まれ、それからは娘時代の思い出として大切にしまってあったのだそうです。
よく着て、ずっとしまってあったというだけあって、その着物には象牙色の地の部分にたくさんシミが見られて、そのままではちょっと着られない状態でした。でも私はどうしても着たくて、シミ抜きに出して…つい最近のこと、はじめて自分でお太鼓をしめる時に着ることが出来ました。古いシミなので完全には取れていないところもありますが、それも気にならないほどお気に入りの、私にも特別な着物になりました。
うふふ…母はこの着物姿で恋を花ひらかせ、そして私が生まれたんだな…。ピンクとグリーンのカーネーション模様を眺めながら、何だか幸福な気持ちです。私もいつかお嫁に行きたい気持ちになった時、きっとこの着物を着てその人に会うんだもん。二十歳過ぎの娘時代とは言い難い歳だけど(笑)、そんなロマンティックな思いを抱かせてくれる大事な大事な着物です。
※今回の「いわし」ご投稿は11月27日(木)正午で終了とさせて頂きます。
※今回のピックアップ賞は11月28日(金)に「イエはてな」にて発表いたします。
※〈イエはてな〉では、いわしへ投稿されたコメントと画像をダイアリーに転記しています。できましたら「投稿画像のwidth属性」を450px以内に指定していただけますようご協力をお願いいたします。
「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
便利なベッドランプ♪
デザインが良いなぁ〜と思って買ってきたベッドランプです。台をポンポンとさわると3段階に明るさが調節できるのが気に入ってますよ♪最初はバラバラだったので、頑張って組み立てました!ベッドサイドにはこのランプの他に、ちょっと早いんですけどクリスマスカードを飾ってます♪手前にあるのは、いつも寝る前に聴いてるCDです。
ベッドサイドでは、タッチして光量が調節出来るのも便利。
ほのかな光にクリスマスカードがロマンティックに映える冬の夜のひとコマ。
一日の終わりを光と音楽でゆったりと過ごすひとときの空間、素敵ですw
−ハザマ−
»“リブ・ラブ・スナップ”今回のテーマはコチラから
募集期間中にご投稿頂いた方にもれなくはてなポイント300ptプレゼントいたします。
また、スナップ賞にはアマゾンギフト券3,000円分をプレゼントいたします。
いわしの回答(転記)
うちの家宝は懐中時計です。早くに亡くなった祖父が父に残したものです。
と言っても大切にしすぎて金庫からあまり出したことないのですが・・・
私も数回しか見た時がないのですが、かなり立派なものです。
時計の話をする父の目は輝いています。
おそらく父にとって時計は自慢の祖父そのものなのでしょう。
ぼくの愛する映画パルプフィクションの中の懐中時計のエピソードが好きです。戦争をもくぐりぬけたという由来の懐中時計の1エピソード、ユーモアたっぷりの話なんですが、欧米人の形見というものに対する愛着もうかがえる好例だと思っています。
思うに昔は物が少なかったから余計に形見に愛情、愛着がわいたんでしょうね。
薄い木の板を幾重にも重ねてカモを掘った……家の場合はそんな自由研究が残っています。
両親がとっておいてくれなければ、絶対に捨ててしまっていただろうなと思います。
掘った後に色を着けて、ニスを塗って、目を入れて……
子供の頃はすぐに飽きてしまいましたが、大人になってみると、母親と一緒に作ったなぁなどと、思い出深く見たりしています。
祖父から譲り受けたハンチング、正確には、祖父の没後に遺されたもののなかから、もらってしまいました。サイズも違うので一度も被ったことなくしまってありますが、ときどき思い出したように見て、祖父の姿を思い浮かべています。ちょっとタバコ(缶入りピース)臭かったけど、大好きな祖父でした。
子供がまだ小さい頃に、子供たちだけでスキースクールに参加しました。
長野のスキー場に泊まりで行き、ちょうど長野オリンピックの年ということもあって、
スノーレッツのコーヒーカップを買ってきてくれました。
子供が買ってきてくれたということと、スノーレッツの絵、
そして使いやすいこともあって、ずっと使っていたのですが、
今年の北京オリンピックが始まった日に落として、取っ手が割れてしまいました。
nakki13422pt
自分も似たようなコーヒーカップがあります
中学の時の友人からもらったものなんですが
取っ手ではなく本体の所で少しかけてしまってるんですが
友人からもらったものなので捨てられません
家族には、危ないから捨てたらいいのに・・と
言われるのですが
どうしても捨てられないんですよね・・・
私の机の上には、カップ酒のガラスのコップがペン立てとして置いてあります。
あれはちょうど私の二十歳の誕生日でした。二十歳というとやはり特別ということで、久しくやってもらっていなかった家での誕生祝いをしてくれることになっていました。いい歳こいて照れますが、誕生日がとても楽しみでした。
ところが当日、父は突発で重要な仕事が入り、帰宅が深夜になってしまったのです。母は一人で一生懸命場を盛り上げて祝ってくれようとしていましたが、三人家族で一人欠けると、そりゃぁ寂しい雰囲気になってしまいます。しまいに母も、やっぱり二人差し向かいじゃ無理があるわねぇとさじを投げて、私も、こういうのも後になればいい思い出だよと苦笑して、ちょっとしらけムードの誕生祝いは終わってしまいました。
もうテーブルの上はきれいに片付けられて、すっかり日常に戻った夜ふけ。何となくテレビを見ながらぼんやりしていると、0時近くになって、やっと父が帰ってきました。バタンと扉が開いて、受け取れ、と声がしたかと思うと、カップ酒が飛んできました。わっとびっくりして受け取ると、ちょうどタイミング良く0時の時報。父は、ギリギリ誕生日に間に合った、忙しくて何も祝いの品が買えなかったのでそれで勘弁しろ、大人になったお祝いだ、と言ってくれました。
そのあと父とカップ酒で乾杯。母があらあらとつまみを持ってきてくれました。こうして迎えた大人になった日。その記念が、このコップなんです。人から見ればただの廃品再利用に過ぎませんが、私にとっては特別な、父の愛情がなみなみと注がれているコップです。
実家にあるお客さん専用の座布団。お客さん用といっても何枚もあるわけではなく、たった1畳きり。
あ、ちなみに座布団の数え方ってご存知ですか。1枚2枚でもいいんでしょうが、関西では1畳、2畳と数えます。
1条きりのうちの座布団、誰が座るかといったら月に一度来てくれるお寺さん。お坊さんが読経のときにだけ座られる座布団なのでした。
ものすごく分厚くて、金糸で刺繍がほどこされている豪華な座布団。こどものころはこれに座りたくて座りたくて、何度もお願いしても絶対に子供には座らせてもらえませんでした。お寺さんが帰られると母親がさっさと片付けてしまい、ろくに触らせてもくれませんでした。
高校生になったぼくは部活で落語研究部というのに入りました。
落語の舞台装置といえば主に座布団です(関西では見台やひざ隠しというものもあるんですが)。
この落語の発表会のときに実家の座布団を借り出すことに成功しました。
実にそのときまでぼくはその座布団に座ったことなかったんですよ。
落語会では5人ほどの出演者がかわるがわる落語をするのですが、前の演者が終わると、お茶子と呼ばれる世話係が座布団をひっくり返します。前の人の体温の生暖かさを感じないですむようにです。
そのひっくり返すときもなるべくゆっくりひっくり返して、座布団の豪華さが客席に十分伝わるようにしてくれ、と、ぼくは変な注文を出したこともありました。
高校生にしてはじめて座ったその座布団ですが、たしかに座り心地良かったですよ。分厚いだけあって視点が高くなる感じ。大型トラックの運転席から見下ろすと、普通乗用車がかわいそうなほど小さく見える、あんな感じです。
その座布団、今でも実家で現役で働いています。今でも月に1度のお寺さんの日に、満を持しての登場をしているんです。あれはまだまだ長持ちしますわ、きっと。
白い紙にゆらゆらした字で
オレンジジュース
が
飲みたい。
それだけですが、我が家の大切な大切な記念の品となっています。
父は脳いっ血で9年前に倒れました。
脳外科に運ばれたのですが、半日におよぶ大手術の後、麻酔が切れた時点で再出血をして
再手術となりました。そのため、その前に一度家族を集められ、無菌の服を着せられて、もう会えないかも知れないと、再会をさせられました。ショックで私は泣くばかりでした。
それから、さらに数時間におよぶ手術。早朝から手術をはじめて、終わったのは午後になりました。
このような大変な手術のため、外来は全てストップして、待合いは患者さんで溢れかえりました。
手術室の前で長い長い間待つわたし達を、手術で良くなった患者さんが励ましに来てくださいました。
手術が終わり、何日もか経った後、管を入れられた父が、手で書く仕種をするので、母が紙を持っていくと、「オレンジジュース が 飲み た い 」
そのオレンジジュースというのは、実際にオレンジを搾った母特製のジュースのことです。
その紙を見たとき、本当に嬉しかった。
父は頭をボルトで固定されていて、あちこちにくだを通されていて、喉が乾燥してヒリヒリと痛くて頭もガンガンに痛かったので、久しぶりに飲み物が飲みたかったそうです。
あれから何年も経ち、後遺症はありますが、今でも元気でいてくれている父、そして、神棚に飾っているこの走り書きは、我が家の思い出の宝物です。
おいしいものを作って食べるのが大好きな母の手料理を食べて育った私。結婚してすむ場所が変わって、手に入る食材も変わってしまったけれど、初めてみる魚や野菜もおいしく食べられる調理をみつけて毎日の食事に生かしています。食べ物のこだわりは住む場所が変わってもなくなったりしないのだなとしみじみ思います。
小学生になる前から、父親とキャッチボールをしていました。
今でも中学時代に使っていたグローブは、大切に残してあります。
父親との思いでも部活動の思い出も、色々詰まっているなぁと感じます。
全国大会優勝!でない限り、苦い思い出もあるんですけどね。
以前にリブ・ラブ・スナップにも投稿したことのあるネタで恐縮ですが・・・
中学で「技術部」という部活動に所属していまして、その活動の一環で、紙を切り抜いて車体を作った「オシ16」という食堂車の模型を、未だに持っています。
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080714/Snap
で、最近ネットで知ったのですが、実はこの食堂車、茶色だったという説がありまして・・・
うーん、どうしよう。今さら思い出を塗り替えられませんよぉ・・・
小学校の頃、陶器の絵付け体験で、自分の好きな絵を描いたマグカップを作りました。
今見ると、線はゆがんでるし、お世辞にも上手いとは言えない代物ですが、とても思い出深いものです。
それ以来ずっと使っていて、ふちが欠けたり茶渋がついたりしていますが、十数年現役でがんばってくれています。
古い古いラジカセがあります。父が若いころに愛用していた物らしいのです。それを弟が譲り受けて、ラジオとして使っていました。小さなラジカセですし、モノラルですし、音もいいとは言えません。でも、メタリックな深い青のボディがとてもいい感じで、私もそのラジカセが大好きでした。うちはけっこう姉弟仲が良かったので、よく弟の部屋に遊びに行って、それでラジオを聞いていました。
しかしある時、私と弟は口をきかなくなりました。弟が勝手に私の部屋から大切な本を持ち出して、こともあろうにそれを紛失してしまったのです。大切な本だったので、私は怒りまくって、見つけてくるまで帰ってくるなと、弟を家から追い出してしまいました。弟はその日立ち寄った場所をしらみつぶしに探したようですが、どうしてもみつからないと、しょんぼりと帰ってきました。その姿を見て、もういいよと言おうとしましたが、あんな本一冊誰も気に留めないから見つかるわけないよ、みたいなことを言われてまた腹が立ってしまって、結局それから三日間、私たちは口をきかなくなっていました。
でも、こんなんじゃいけない、もう本なんてどうでもいい、早く弟と仲直りしたいと思ってはいたんです。ところが、あれから弟はめちゃくちゃ帰りが遅く、仲直りしようにも時間が合わなくなってしまっていました。
深夜、部屋の外でコトリと音がしたのでドアを開けると、青いラジカセが置いてありました。しばらく何の意味だかわからずにいましたが、よく見ると、中にカセットが入っていました。今どきカセットなんて使ったことないですから、一体なんだろうと再生してみると、なんと弟の声で、お姉ちゃんごめん、がんばって探しているけど、どうしても見つからない、見つかるまで探すから待っててよ、みたいな内容が吹き込まれていたんです。毎日帰りが遅かったのは、まだ本を探し回っていたからなんだとわかり、私はラジカセを持って弟の部屋に飛び込みました。そして、本なんてもういいからと泣いてしまいました。弟も、姉ちゃんごめんと泣いてくれて、私たちはいつもの仲良し姉弟に戻りました。
ところが後日父にその話をすると、あれ、おかしいな、あのラジカセ、カセットの方は壊れていたはずなんだが、なんて言うんです。えぇーっ?と、弟と二人で試してみると、本当にモーターが動きません。でもあの晩は、たしかに使えていたんです。録音もできましたし、再生もできました。これって、どういうこと?もしかして、ラジカセさんが、私たち姉弟の仲直りに力を貸してくれたのでしょうか。とっても不思議な出来事でした。
それからもう、ずいぶん歳月が過ぎましたが、青いラジカセは今でも現役で、弟の部屋でラジオとして使われています。私も時々、弟の部屋に行って、そのラジカセでラジオを聞いて過ごします。二人何も言いませんが、きっと弟も、あの時のことを思い出していると思います。ラジオの何気ないおしゃべりに耳を傾けながら、家族って、姉弟っていいなぁ、なんて思います。そんな時間が、何とも言えず幸せです。
以前のブラウン管のテレビは、調子が悪かったので 新しいデジタル対応のテレビが
欲しかったので 500円貯金を始めました。
風水の雑誌についてた貯金箱を組み立て、500円玉を一枚入れるたびに 絵に塗っていきます。
一枚、一枚 ためていって その貯金箱の目標額 5万円分が たまりました。
その後、人生銀行を買って、これで貯金を始めました。
最初は、今まで ためたやつを バカスカ入れていって 楽しみ、あとは
一枚ずつ たまに入れてくといった感じでした。
でも、人生銀行の電池が すぐなくなっちゃうので、数回 電池を入れ替えたら あとは 放置でした。
ほかにも いろんな貯金箱に貯金して 貯金箱だらけでしたが、500円以外も溜め込んで
やっとこさ 10万円ぐらいたまりました。
それで、前から欲しかった HDDつきの東芝のテレビを買うことにしました。
あるお店で限定何台かで 安売りされたテレビ目当てに、その日を待ちわび、
嫁にならんでもらってなんとか 購入できました。
思い出のテレビも半年以上経ちました。
一年ぐらいかけて お金を ためたような気がします。
やはり、家族で一緒に囲んだ食卓というのは、感慨深いものがあります。
お正月などにみんな揃って囲んでみると、こんなに小さかったかなと思ってしまったり……
我が家は用事等がない限り、食卓は揃って囲む決まりでしたので、楽しい雰囲気のこともあれば、険悪なこともありました。
けれど、今となっては、それも良い思い出といいますか、経験だったなぁと感じます。