イエコト・ミシュラン #023
みなさまこんにちは、ハザマです。カラリと爽やかな秋晴れの季節、夜長のひとときもとても過ごしやすいですね。今日終了した“リブ・ラブ・サプリ〜SEASON”でも、読書をしながらつい夜更かししてしまうという声があったのですが、みなさまはいかがお過ごしですか? 私は昨夜、久々にビデオで映画鑑賞。ずっと観たかった『海辺のレストラン』(邦題)という映画で、これが素晴らしかった! 一人きりでいる男性とおばあちゃん、女性と女の子が家族になっていく物語で、私の好きな映画ベスト1の『モンド』を撮ったトニー・ガトリフ監督の作品です。本当に幸せな気持ちで、抱きしめたくなるような物語でした。これでベスト1映画がまた一つ(選べないベスト1が10くらいあるの・笑)。レンタル屋さんにあったらぜひ観てみて下さいね。『モンド』とともに、おすすめですw
さて、今日は“イエコト・ミシュラン”#023のスタートですよ。今回のお題は「家族で年に1度催したいスペシャルデー〈○○の日〉」。祝日もそうですが、1年を通して〈○○の日〉〈○○週間〉ってたくさんありますよね。母の日、こどもの日、敬老の日、防災週間などはその代表、ほかにもよくあるのが、日付に合わせて4月18日は「よい歯の日」とか、10月21日は1879年にエジソンが電球を発明した日として〈あかりの日〉とか。そこで、我が家の記念日にちなんだスペシャルデーや、家族で楽しめる〈○○の日〉を考えて教えて下さいませんか? 暮らしに安心・元気・彩りなどをもたらしてくれる日、それからマチづくりにいい日っていうのもいいな。自由な発想で、どんな時間を過ごす日にしようか思いめぐらせてみて下さいね。みなさまの素敵なアイデアをお待ちしています!
家族で年に1度催したいスペシャルデー〈○○の日〉
「家族で年に1度催したいスペシャルデー〈○○の日〉」を教えて下さい
“アイデア・タイトル”
「12月30日、家族で〈3大ニュース発表の日〉」by ハザマ
“メッセージ”
これは私のように日頃家族と離れて暮らしている人でも、お正月の帰省の時期にぜひ加えたいスペシャルデー。実は、うちでも私が高校生の時まで、みんながイエに揃って暮らしている頃は毎年父の音頭で実施していたんですよね。ところが私が大学・就職で京都へ、弟も一旦東京で仕事をするなど、慌しく帰省するようになって以来、ずっとしないままできていました。
その頃は、今年の私の10大ニュースとして、みんなそれぞれ事前に紙に書いておいて、年末の家族会議で発表。10もトピックスを挙げるとなると、私たちは子供ということもあって、ほとんど小ニュースじゃないー(笑)っていう些細な出来事も含まれていて、それはそれで楽しかった。一人ひとり、1から10までちゃんと母が家族ノートに書記してくれて。今もそのノート残ってるかなぁ…。
今回のお題を考えて、我が家では一番にこれを復活させたい!って思いました。31日の大晦日は恒例の家族おせちづくりバトルで忙しいので、30日を〈3大ニュース発表の日〉に制定しましょうか。夕食後に、お茶とお菓子で久々の家族会議ムード。司会進行は父。ニュースは3つにしぼって、それにちなむモノやエピソードを各自披露しますが、私はポラロイドカメラを持って帰っておいて、写真も写して母に筆記を頼むかな。
私はもう3つのニュースは決まってます。やっぱり3つじゃ足りないから私は10大ニュースにしようかなぁ。父のニュースの1位はもうわかってるんだー。先日実家に新参した子猫の「銅瑠(ドール)」に違いない(笑)。でも母や弟は何を出してくるんだろう…ちょっと楽しみですw
みなさまのおうちでもビデオで実況録画するなど、ぜひ家族で〈3大ニュース発表の日〉を楽しんでみてはいかがでしょうか?
※今回の「いわし」ご投稿は10月27日(月)正午で終了とさせて頂きます。
※今回のミシュラン評価(ピックアップ賞)は10月27日(月)に「イエはてな」にて発表いたします。
※〈イエはてな〉では、いわしへ投稿されたコメントと画像をダイアリーに転記しています。できましたら「投稿画像のwidth属性」を450px以内に指定していただけますようご協力をお願いいたします。
「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
靴とカメラ
左は、ひなさんの、ミズノのテニスシューズとキヤノンのカメラ。スポーツ用品店で「ウォーキングに最適な靴をください」とお願いしたら、これを勧められました。特売で5000円くらい。なのに長時間歩いても膝が痛くならず、非常によいとのことです。カメラは小型軽量のIXY Digital L4。私の撮影をアシストする時にも使っています。右は、私のビジネスウォーキングとオリンパスのカメラ。やはり4000円くらいの靴ですが、膝も足腰も痛くならず、なかなか快適です。探せば安くて良い靴もあるものですね。カメラは、仕事で使うデジタル一眼レフE-3+12mm-60mm。撮影の腕が落ちないよう、お散歩の時にも持ち歩きます。重いですが、きちんと撮ればとても綺麗な絵が撮れます。お散歩には、歩きやすい靴とカメラ。私たちのウォーキング必須アイテムです。
奥様のひなさんもスナップ撮影などお手伝いされているんですねw
iijimanさんにはご一家(朔ちゃんも!)揃ってご登場頂いていて、
みなさんにお礼を言わなくちゃ! いつもあったかい家族の風景をありがとう(^^)。
−ハザマ−
»“リブ・ラブ・スナップ”今回のテーマはコチラから
募集期間中にご投稿頂いた方にもれなくはてなポイント300ptプレゼントいたします。
また、スナップ賞にはアマゾンギフト券3,000円分をプレゼントいたします。
いわしの回答(転記)
私の実家は「1年に1度は必ず家族全員がどっかで落ち合う日」というのがあります。
母の「いつでも、どこでもいいから、兎に角年に一回は万難排して落ち合え!!」という命令によるものです。
我が家は、私も弟達もかなり早い時期に家を出ており、また何故か全員3・4年ごとに住む国が変わる職種を選んでしまっているので「家族全員が揃う」という事は稀です。
子供が家にいる間は、それこそ朝晩のご飯時に家族が揃わなかった日は片手で数えるぐらい、という、今思えばこれ以上ないほどに素晴らしい生活を送らせてくれた両親も、予想以上に早く私達に手がかからなくなった為、ここぞとばかりにセーブしていた仕事を全開に。もともと両親とも出張と転勤が多い仕事をしていたので、一番下の弟が家を出たら、あっと言う間に「一家離散」状態になりました^_^;。
バラバラっぷりも極端で、一時期は、父:日本、母:ベトナム、弟1:ナイジェリア、弟2:ジュネーブ、私:ロサンゼルス、と全大陸でも制覇しそうな勢いでばらけていた事もあります(今も結構似た様な感じです)。最初のうちはそれも楽しかったのですが、やはりそれが長く続くとちょっと疲れます。それで最初に根を上げた母が家族全員に「●●月xx日▲▲時にコロンボのYホテルロビーに集合。例外は認めません」という一斉メールを送りつけました。
メールを読んだ時は弟達と一緒になって「えー、マジですか?!」と騒ぎましたけれど、本気で言い出したら梃でも引かない(そして逆らうとあとが恐い)母の性格はよーく知っています。しょうがないや、と2週間の休みを取ってスリランカに飛びました。
結果的にそれがすごく楽しくて、1年以上ぶりに会う家族はやっぱり良かったんです。予想以上に良いリフレッシュになった休日に全員が味をしめて、それ以降1年に1回は予定を調整してどこかで会う様にしています。1年に1回、必ず会う事が分かっている人がいると事の安心感というのは、想像以上に大きいです。
毎年8月になると、テレビもラジオも終戦関連の話題を扱った番組が多くなりますが、終戦直前の6月、沖縄諸島では民間人を巻き込んだ、歴史上かつてない大規模な地上戦が繰り広げられていたんです。
米軍の資料によると、この戦闘で使用された銃弾の数は、米軍側だけで2,716,691発。さらに砲弾6万18発、手榴弾392,304発、ロケット砲弾20,359発、機関銃弾約3,000万発。これに加えて、地形が変わるほどの激しい艦砲射撃が行われ、この激しい攻撃は後年「Typhoon of Steel」(鉄の台風)と呼ばれました。
あの日 鉄の雨にうたれ 父は 死んでいった
(「さとうきび畑」作詞/作曲:寺島尚彦)
という歌がありますが、この歌詞はけっして誇張ではなかったわけです。むしろ「鉄の雨」ではおとなしすぎるくらいです。
この時の犠牲者は、日本側だけでも死者・行方不明者合わせて18万8136人。うち沖縄県民が12万2228人。そのうちの、なんと9万4000人が民間人でした(1976年3月、沖縄県生活福祉部援護課の発表による)。米軍側も1万2520人の死者・行方不明者を出し、7万2千人が負傷しました。
信じられますか。沖縄という島ばかりの所に、なんと54万8千人もの軍隊が攻め入ってきたんです。この年、名古屋の人口が59万7千941人でしたから、ほぼそれに匹敵する人数が沖縄に武器を持って押し寄せたということになります。もちろん沖縄戦は3ヶ月に及びましたから、一日にそれだけの人数が押し寄せたわけではありませんが、とにかく凄まじい数の兵士達が上陸してきたことは間違いありません。
こんな戦争を、私達の国はやってきたんです。目の前に立つ人間同士が殺し合う、そんな戦争を、私達の国はやってきたんです。そのことを、とにかくしっかり認識しないといけません。
6月23日、この日私は、前述の「さとうきび畑」の歌を歌います。長い歌ですが、全て歌い通します。そして、日本にもこんな戦争があったんだということを、深く心に刻みます。出来たらこの日に、日本中で「さとうきび畑」を歌ってみる運動なんてやってみたいですね。
ちなみに全然関係ないですが、6月23日って、なんと小山薫堂さんのお誕生日でもあるんですよ。というわけで、皆さんもぜひこの日は、あれ、今日はなんかあったなと、ちょっと気に留めてみてください。
戦争の記憶を受け継いでいくために、家族で「さとうきび畑」を歌う日…。
とても大切なことだと思います。
わが家でも取り入れてみたいなと思います。
先日ラジオで命のことを考える特別番組をやっていました。
その中でゲストの人が、遠くの痛みを自分の手元に持ってくる、
みたいなことを何度もおっしゃっていました。
意味は、人の痛みを自分のこととして感じられる心、ということだと思うのですが、
遠くの痛みを自分の手元に持ってくると言われると、とてもリアルな課題になってきます。
沖縄を遠い所と考えず、戦争を遠い昔と考えず、
そこでたくさんの人たちが本当に死んでいった事実を自分の痛みとして記憶して、
さらに後世に伝えていきたいですね。
毎月15日はお菓子の日らしいのですが、
特にバレンタインの翌日の2月15日は大切です。
思いが叶っても、当たって砕けてしまっても、
とにかくがんばったご褒美を自分で自分に作ります。
っていうか、毎年玉砕の娘を不憫に思った母が、
今日はお菓子の日なのよとおいしい物を作って慰めてくれていたのが始まりだったのですが(笑)。
そんなわけで、2月15日は今は母と娘の共同制作で、
自分たちが食べるためのお菓子作りに励む日になりました。
毎年、今年は何を作ろうかって、色々考えて話し合います。
最近ではバレンタインのチョコ作りより、こっちの方で盛り上がります。
ごく稀にですが、2月15日が土日に当たる年には、父もお菓子作りに参加することがあります。
家族でお菓子を作る日。そういうスペシャルデー。楽しいですよ♪
家族団らんできる大事な日です
一緒に年越しですね
弟妹も成人して家を出た今、家族みんなが揃うのはお盆とお正月だけです。
実家に帰るとおばあちゃんが本当に喜んでくれます。
毎年家族みんなで過ごせるこの日は大切な日です
夫の家では結婚記念日をお祝いしていて、結婚記念日にお祝いするようにするようにしています。先日は33周年の結婚記念日のお祝いに、一緒に手作り料理を食べたりワインを飲んだりしました。長年連れ添った両親が仲良くしているのをみると、なんだかいいな、と微笑ましく思いました。
母の日は自分の母親に料理だけは作ってました。恩返しには少ないかもしれませんが、少しでもとおもってました。今は実家に電話を入れるくらいで何もしてあげられていないですね。
子供が独立してそれぞれの暮らしが始まると、親子全員が集まって食事という機会は、意識して作らなければほとんどないように思います。
母の日。父の日。誕生日に何かモノを送るよりは、みんなで家に足を向けてあげた方が、親としても嬉しいんだろうなと感じます。
家族全員が元気にしている事ですよね。
私は実家暮らしなので、毎日家族と顔を合わせるので当たり前に
なっていますが、一人暮らししてる友達に聞くと、帰る日朝から「今どこ?」と何度も親が電話してくるって言っていました。
お土産を持って帰ると、「お土産買うお金があったら、そういう無駄使いはやめて、もっと頻繁に帰ってきなさい!」といわれるそうです。友達の笑顔が何よりも嬉しいお土産なんでしょうね。
子供のころは働いている父親に感謝をする日でした。今、中年になったぼくにとってこの日は、働かせてもらうことが出来ている、仕事にあぶれないでいることに感謝する日になっています。
こういうありがたい日を一番わかりやすく祝う方法は、なにかおいしいものでも食べる、ということでしょう。しかし、今年はちょっと違った祝い方をしようかと思っています。
「なにも食べない」という祝い方です。
1食、なにも食べないで、その分、いくらか浮いたお金を困っている人のために差し上げる。
これから冬にかけて野宿生活の方々を支える炊き出しなどをする団体がいくつかあります。そういう団体に、ささやかではありますけど、役立つお金として使ってもらえるように寄付をする。
働くことが出来ていることへのわかりやすい感謝の方法ではないでしょうか。
ブレックファーストはもちろん朝食の意味ですが、もともとはファースト(断食)をブレイク(終了)させるという意味だそうです。今でも月に1度ほど日曜日の朝は何も食べないで教会に行き、祈りをささげて帰ってきてからその日初めての食事を取る宗派の方々がいるそうです。
ぼくは信仰を持っていませんが、人間にも出来ることはあると考えています。小さなアクションを起こしてみよう。
元旦近くに成ると、必ず初詣でか二年参りに親兄弟と行きます。
学生の頃は、友人といっていたりしていたのですが、最近は親や妹と。
近所のただの(失礼(笑))神社が、とても大きな火をたいて、竹ざおを入れてするめを焼いていたり、その焼きするめを売っている人がいたり、ちっちゃい神社にあるまじき大量の人が集まっていたりと、ある意味神社の一大イベントです。
二年参りだと、神社で12時を迎えるので、その場にいるみなで「おめでとう」といいあえるのも楽しいですね^^
今年もよろしくとか、その場にいる人たちの暖かい空気がつたわってきます。冬なのですごく空気は寒いんですが、それで暖かくなれそうです。
二年参りは普段着ですが、初詣でにいくときは、ちょっとした和服でいくこともあり、そのときは母に着付けてもらいます。
二年参りも初詣ででも、必ずおみくじを引きますね!
イイのだったらもってかえって、わるかったら結び付けます。
今年も中吉でした。最近小吉とか中吉とかばかりなのですが、妹はいつも吉とか大吉です。
実はあれ裏で巫女さんがお金を確認して落とすという仕組みになっているのがなんか面白いですね^^
うちでは、今はまだ子供にはサンタさんからだけ、朝起きるとプレゼントが。
親からもサンタさんからも、としている家庭もありますが
うちはけちんぼなので(というのは冗談で)
父母からはクリスマスのご馳走くらいで、おもちゃなどを買ったりはしていません。
まあ、まだ子供が小さくサンタさんを信じているからというのもありますが。
私はその日までの準備が好きです。
こっそりリサーチして、子供のほしいものの中から夫と相談したものを購入してかくしておき
サンタさんからの手紙も用意します。
けっこうこれがたのしいのです。
何かの本だったか?投稿欄だったか?で読んだのですが
クリスマスの晩には子供と一緒にサンタさんのためにクッキーと紅茶を用意しておくんだそうです
で、子供が寝た後、クッキーを日とかじりして紅茶も少し飲んでおくのですって。
そうすると朝起きた時子供が、サンタさんが来たかんじをさらに感じる
というようなことをされてる方がいて、それからうちも実行してみたり。
子供がサンタさんがクッキーを食べていった!!!と騒いでるのを見るのが楽しみです。
家族で出きるだけお金を出し合い、隠すチームと探すチームに分かれて、家の中にお金を隠して、制限時間内でお金を探すゲーム。
そのお金で家族みんなで焼肉でもいきましょう。
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冬至がわが家のスペシャルデーです。元々わが家では、柚子湯とかカボチャ料理、冬至粥といった冬至の習慣は欠かしたことがない家だったのですが、最近はイエはてなの影響でさらにキャンドルナイトが加わったりして、どんどんスペシャルなイエ・イベントの日になってきました。
今年の冬至はパンプキンパイを焼いてキャンドルナイトのお茶会を楽しみ、さらにキャンドルの明かりで楽しむ柚子湯に入ってもらうという趣向でいってみたいと思っています。
ところで冬至粥については、今は普通に小豆粥を炊いてそれを冬至粥と言うことが多いと思いますが、古代人は稲が実ると初穂を抜いて、それを寝具の中に入れて、冬至まで我が子のように毎晩一緒に寝て過ごしたんだそうです。それを冬至の日に臼で搗いて白米にして、新しく熾した火で炊きあげて神様にお供えしたんだそうです。宮中には新嘗祭という行事がありますが、元々はこうして炊かれた特別な冬至粥のことを新嘗と呼んでいたみたいです。
詳しい話はよく知りませんが、とにかくそんな話を聞いてからというもの、わが家では新嘗用に一株だけ、毎年稲を育てているんです。今年もいい初穂が収穫できました。一部を来年のための種もみにして、残りを枕の中に入れて、今添い寝しています。これを混ぜて、スペシャルな冬至粥を炊きますよ!こんなふうに、うちの冬至は、けっこう特別な日になっています。
赤ちゃんが産まれて家族が増えたら 始めたい記念日ですよね。
はじめて しゃべれた日、
はじめて 立てた日、
はじめて 自転車に乗れた日、
はじめて お使いに行けた日など。
いろんな はじめてを 生活の中から見つけて 子供の成長を祝いたいものです。
ぼくが本当にお世話になった先輩が亡くなってもう何年だろう。さいしょの1、2年は後輩がみんなで集まって追悼の酒を飲んだりしていたのですが、なかなかそれぞれに忙しく、みなが集まるということは自然になくなってしまっています。
うちの家内も先輩には何度かお目にかかったことがあり、だからここ数年は家で2人で先輩をしのぶ日にしています。
酒が好きだった先輩をしのぶつもりで飲み始めるんです。悼むつもりで飲み始めるんです。ただ、やさしくて頼りになる人ではあったのですが、おっちょこちょいでダメな部分もあった方で、だからどうしても酒が進むうちに、先輩の失敗談を思い出し、吹き出してしまうようなしのび方になってしまいます。
死んでるオレを笑ってどうする、って怒られそうですが、いや、きっと、笑って許してくれていると思っています。
ぼくもいつか死んだら、仲間や後輩に「あいつはこういうバカなところがあったなあ」と楽しく笑いながらの酒を飲んで欲しいなあと思っています。