イエ・ルポ 2 #022
みなさまこんにちは、ハザマです。今進んでいる“リブ・ラブ・サプリ〜SEASON”のいわし、楽しいお話が展開していますねー。私は「読書」のことを書いたのですが、この秋は「実り」にもうんと親しむ予定なんですよ。友人宅のお庭に、柿、銀杏、ざくろ、カリンなどの木があって、秋から初冬は落ち葉や収穫のお世話で毎年大変だという話を聞かされます。昨年はざくろやカリンの実をいただいただけでしたが、今年は折々にお庭にお邪魔して、庭掃除をしながら収穫のおすそわけにあずかろうと♪ 昨年作ったざくろ酒、すご〜く美味しかったなぁ…と、果実酒に、今年はジャム作りにも挑戦しようと思ってますw
さて、今日は“イエ・ルポ 2”#022のいわしのスタート。今回のテーマは、「あなたがつくりたい&感動した家訓の話」です。これまでの“イエ・ルポ”関係のいわしを読み返していたら、ずいぶん家訓にまつわるメッセージをいただいているんですよね。“イエ・ルポ”がはじまった頃に「我が家の家訓&注意書き」のテーマでも一度語らいました。今では昔ながらの代々の家訓というのはめずらしいものになっていると思いますが、思えば家訓とは我が家のモットー、キャッチフレーズなんですよね。もし今うちで家訓をつくるなら? またこれまでに感動した家訓ってありますか? あらためて聞かせて頂きたいなと思いました。○○家訓十箇条なんて考えてみるのも面白いかも。今回もみなさまの暮らしと人生へのマインドが聞けそうで楽しみです!
我が家のキャッチフレーズ!あなたがつくりたい&感動した家訓の話
「我が家のキャッチフレーズ!あなたがつくりたい&感動した家訓の話」を教えて下さい
“ルポ・タイトル”
「あぁかくもつらき夫婦の修行?!〈徳川家康公遺訓〉」by ハザマ
“ルポルタージュ”
前に、うちの実家に昔から掛かっている〈山本五十六元帥訓・男の修行〉のことを書いたのですが、もうひとつあるんです。父の部屋にある〈徳川家康公遺訓〉。これもずっと掛けてあって、いつも何となく見てはいたのですが、どういうわけでこれがあるのか知らなかったので、父に電話で聞いてみました。
徳川家康公遺訓
一、人の一生は重き荷を負って
遠き道をゆくが如し
急ぐべからず
一、不自由を常と思へば不足なし
一、心に望みおこれば
困窮したる時を思ひ出すべし
一、堪忍は無事長久の基
怒は敵と思へ
一、勝つことばかりを知りて
負けることを知らざれば
害其身にいたる
一、己をせめて人をせむるな
一、及ばざるは過ぎたるよりまさる
父によれば、書家の揮毫によるこの教訓はまだ若い時に知人から頂いたもので、すべて人生に通じることのように思われて、ありがたく額装して掛けたそうです。ところが…そこから父の熱弁がはじまりました。「〈山本五十六元帥訓〉が男の修行なら、これはまさに夫婦の修行!」ですって! 「これが年々わかってきてねぇ、還暦過ぎてようやく体得して、今じゃいつでも平常心だよ」なんて、悟りでもひらいたようなことを言っています。一つひとつ細かいことをたとえていましたが、その御託は省略するとして…。
私 「不自由、困窮、忍耐って…そんなにつらかったのぉ?」
父 「そりゃ、つらいつらい」
私 「それでいつの間にそんな仏さまみたいになったって?」
父 「仏さまになれないところは、最後の教訓に書いてあるだろう」
私 「及ばざるは過ぎたるよりまさる、っていうの? これって、過ぎたるは及ばざるがごとしのもじり?」
父 「これはな、努力したけど及ばないこともある、しかし何もせずに過ぎたよりはうんと価値があるってことだよ」
私 「えー、それほんとぉ?」…。
どうも最後が腑に落ちず、父の勝手な解釈のような気がするのですがどうなんでしょう? まぁそれはともかく、これらを社会や人生の教訓より夫婦の修行として一応嫁入り前の娘に熱く語る父ってどうなのよ? 「そういうことだから、がんばりなさい」と言われても、ねぇ、つらい…(笑)。もう少しいい話が聞けるかと思ったのに、感動とはほど遠く。ま、いつかこの教訓が夫婦の修行として役立つ日がくれば、父母からこの額を譲り受けることにしましょうか。
※今回の「いわし」ご投稿は10月23日(木)正午で終了とさせて頂きます。
※今回のピックアップ賞は10月24日(金)に「イエはてな」にて発表いたします。
※〈イエはてな〉では、いわしへ投稿されたコメントと画像をダイアリーに転記しています。できましたら「投稿画像のwidth属性」を450px以内に指定していただけますようご協力をお願いいたします。
「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
公園か社寺の境内でしょうか、何と見事な大木。
私は京都で住んでいた白川通のイチョウ並木を思い出して恋しくなりました…。
黄色い扇の葉で一面をぱぁっと明るく彩ってくれる、マチの素敵な風景ですね!
−ハザマ−
»“リブ・ラブ・スナップ”今回のテーマはコチラから
募集期間中にご投稿頂いた方にもれなくはてなポイント300ptプレゼントいたします。
また、スナップ賞にはアマゾンギフト券3,000円分をプレゼントいたします。
いわしの回答(転記)
プレゼントをもらったら”ありがとう”を
忘れずに言う事を家の家訓にしたいですね
確かに”好み”は、あると思うし
かぶりとかも・・ね
だけどプレゼントをあげて”ありがとう”と
言われなかった時ってホント悲しいものです
(何度もそれを経験してるので)
プレゼントをもらい
それを見て、色々思う事があっても
選んだ人の事を思いやって”ありがとう”
それをいいあえるようになればいいな
出されたものはちゃんと食べる。多く作りすぎない。残ったものを簡単に捨てない。ちゃんとやっています。
ご飯とは、食べる人のために、だれかが丹精こめて作ってくれたもの、お米の一粒でも大切にしなさい、とよく言われました。
一粒捨てれば目がつぶれる、なんて米どころだったせいか、地域の人たちもいっていましたね。
卵はひよこになるものだった命、
鶏肉豚肉牛肉も、それぞれ生きていた命、
穀物もまた、食べられるために生まれたわけではないでしょう。
人が命をつなぐために、誰かの命をもらっているのが食事、ご飯なんですよね。
それを捨てるということは、命を捨てるということ、そして作ってくれた人の気持ちも捨てるということ。
高校に入って初めて、友達が学食でお昼に買ったパンをもう食べないからと目の前でゴミ箱に放り投げたことがありました。
食べ物を捨てないということをいわれてきた私には、衝撃でしたし、友人には幻滅しました。
食べ物へのあり方とは、その人の生きかたにも通じるのかもしれません。
これは自分が小さい頃から言われてきました。イロイロ意見はあるでしょうが、コミュニティで生活をしていく上では大切なことだと思います。相手のこと、周囲のことを考え、集団で生活していく視点は教えていきたいものだと思います。
大学に入った当初、はじめての一人暮らしに興奮し、金銭感覚が麻痺してしまいました。高価なものを買っていたわけではないですが、気がつくとお金を使っているのです。親に注意され、節約を心掛けたのですが、思うように上手くいきません。
そんなある日、母が祖父に教わった貯金の仕方を教えてくれました。それは収入のうち、一割は「絶対に使わないお金」として貯金する方法です。この方法を試してみると、意外と一割減らすのは、簡単でした。
その後家の事情により仕送り額が減った月もありました。しかし、この方法と、アルバイトで貯めたお金でどうにか乗り切ることができました。両親には、毎月どうにかやりくりして学費と仕送りをしてくれたことと、お金の使い方にアドバイスしてくれたことに感謝しています。
我が家には3つの家訓があります。
一つ目は、賭け事をしない。
以前、妻がこっそりナンバーズを買っているのがわかって大喧嘩しました。
二つ目は、みのもんたの出ているテレビ番組をみない
これは、単純に嫌いだから。
三つ目は、ドレッシングの蓋はしっかり締める。
次の人が使うから、締めないでおくと、しらずに振って食卓が大変なことに。
我が家というか私の中で家族のキャッチフレーズは「健やかな毎日を過ごす」と決めております。家族の健康と安全、楽しく毎日が過ごせればそれでいいと思っています。
これも、私が病気から得た養生訓の家訓です。部活やってたときはずっと120%の力を出せって言われ続けてた。そうゆう時期も必要だけど、今の私は60%がちょうどいいです。
逃げ道があるときは、逃げていいんです。すぐ逃げちゃいけないけど、もう限界ってとこにきたら全然逃げていい。逃げることはかっこ悪いことじゃない。人間の防衛本能だから。動物だって逃げますもん。
作家の中島らもさんの考え方をご紹介します。
よく仕事などで予算が少ないとき、自分の友達を思い浮かべて「彼ならば友達だから、安い予算でも何とかやりくりしてくれるだろう」と考えてしまいがちです。
でも、そんなのは友情でもなんでもない、というのがらもさんの意見。
友達に頼むんならば、「おお、こんなおいしい仕事をありがとう」と喜んでもらえるような最上の仕事を発注せよ、と。
作家になる前は印刷業界や広告業界で働いていたらもさんだからこそ、仕事で無理難題もふっかけられたのでしょう。自分が発注するときには、自分の友達にはよい仕事、楽で予算のたっぷりある仕事を優先して回せるようにと願っていたのだと思います。
そういうかっこいい大人になりたいと思いながらも、本当に予算も金もないときには友達に甘えてしまいがちなぼくですが、いつか最上の仕事だけを回せるようにと理想は持っています。
当たり前のことだけれど挨拶は大事。
一番最初のコミュニケーションであると思います。
朝起きてリビングにいる家族に一言おはようという。
他人に何かしてもらったらありがとうという。
道で通行人と肩があたってしまったらスイマセンという。
たった一言なのに、それだけで何か雰囲気が変わる。
私自身、人と話すのが苦手で会話なんて相手から聞かれたことを答えるくらいですw
でも、最初に挨拶の言葉だけはなるべく自分から声をかけるように心がけてます。
やっぱりそれだけで相手に与える最初の印象が全然違ってくるし、それがきっかけでコミュニケーションが始まったりするから。
それに、私も人からにっこり笑顔で挨拶されたらやっぱり嬉しいですし^^
もし、私にも新しい家族ができたなら子供たちに挨拶だけはきっちりとできるように教えたいなぁと思ってます。
その時ではなく、十年後の自分というのがポイントでした。
客観的になって、落ち着いて考えて行動しなさいという意味もありますが、
心から後悔するような行いは、十年以上経っても不意に思い出して苛まれるもので、一生消すことができない。
その場だけ良くても、後々に思い出せないような行いはしないように。
誰よりも、自らが痛むことになるという教えでした。
何をしていても自由
でも、家族の誰にも話せないようなことはしてはいけない。
逆に、家族だけは絶対自分の味方だから、何があってもひとりで抱え込まずに話す。
昔からよく言われていたので、1人暮らしをするようになってもすごく安心でした。
家族が絶対的な存在で後ろにいてくれると思うと・・・。
これは母親の口癖。御礼というものはタイミングがすべて。なにかをもらったり、していただいたときには電光石火、もうその日のうちに必ず御礼のアクションを始めなさい、と。
実際、母親のアクション、素早いです。
母の日や誕生日に何か贈ったりすると、もうすぐに電話かかってきます。あるいは御礼のカードが送られてきます。
逆に母親が何か送ってきたとき、うっかり1日遅れの遅れの電話をしようものなら「電話がないから、事故でものが届かなかったのかと思った。もうちょっとで宅配会社に問い合わせるところだった」と機嫌悪くなっています。
確かに御礼というもの、ちょっとでも遅れたら、なんというか余計に伝えにくくなるんですよね、感謝の言葉が。
これは間違いのない事実だと思います。
短い挨拶でもいいので、早い御礼を心がけるようにしています。遅れることもしょっちゅうなんですけど。。
うちの父親が口を酸っぱくして言っていました。どんなに頼まれても保証人にだけはなるな、と。また、人に保証人になってもらうこともするな、と。
これに関しては徹底していて、父親は子供の保証人にもなってくれないほどです。
ぼくが学生のころの奨学金の保証人にもなってくれず、それでは奨学金がもらえないよ、と泣きつくと、奨学金基金の担当の人に話して、なんと保証人なしでも借りられるように話をつけてきたと言っていました。そういうのアリなんだと驚きました。
保証人になってくれ、とお願いするような親しい間柄の人間とでも、お金が絡むとややこしいことになって、以前のような人間関係ではいられない、ということを骨身に染みて知っているんでしょうね。
ただ、大人になって、家を借りたり、マンションに入るときの保証人探しには難渋しました。
兄弟同士で保証人になったり、妻の親御さんに名前を貸してもらったり。
正直、めんどうな部分もありますが、せっかくの父親の教えです。保証人にはならないよう生きていこうと思っています。
冷たいようですが、温かい言葉でもあります。
自分の頭を使って考えて、自分が正しいと思うことをしなさいというようにいわれました。
誰かが言っているから、誰かがそうやっていたから、ではなく、なぜ自分がそれをするのか、そうしたらどうなるのかということをしっかりと考えて行動しなさいということだと思います。
子を自分の言いなりにする親御さんもいるようですが、この点では恵まれていたなぁと思います。
自分で考えること、大事なことですよね。
17世紀のイギリスの哲学者にトマス・カーライルという人がいます。その人の言葉に、
「逆境は、時々つらいことがある。しかし順境に耐える人1人に対して、逆境に耐えられる人は100人もいる。」
という言葉があります。私の父は受験や部活動で辛いという私に対し、よくこの言葉を言いました。
困難を通じて自分は磨かれる、ということを私に伝えたかったと私は勝手に解釈しているのですが、
この言葉の意味を知るのは大学を卒業し、社会に出てからでした。やはり、学生以上に社会へ責任のある立場になったとき、父の言葉の重みを実感することができました。順調なときほど誰も注意を払わないというのはまさに箴言です。ですので、これが自分の大切にしている格言であり、家族に大切にしてもらいたいと考えています。ありふれた毎日や当たり前な環境や時間を大切にできる人間に少しでも近づけたらと感じます。
調べてみたところ、
「雄弁は銀、沈黙は金」も有名ですね。
参考にしたURLは以下です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B...
http://f26.aaa.livedoor.jp/~kawahara/page018.html
名 言 「感 動 の こ と ば」
小さい頃から言われているのは、
「いい事をされたらその倍のいい事を返してあげなさい。
嫌な事をされたらその嫌な思いをした倍頑張りなさい」
ってことです。ものすごく覚えているのは
なかなかお遊戯会の踊りが踊れなくて、悔しい思いで
泣いて帰ったときに言われて、
「お母さんが見ていてあげるから」
っていって踊りを見ていてくれました。
とはいっても、母は先生が教えてくれている踊りを見ているわけで
ないので私が踊ってる踊りがあっているのかどうかわからないんですが、
間違っていたらどうしようと思ってウジウジして踊るよりも
間違っていても堂々と踊った方がかっこいい!んだから。
といって毎日家で練習させられ、
発表会のときは悔しい思い出倍頑張ったおかげでみんなと同じ踊りが
できるようになりました。
出典は聖書だそうです。ぼくはクリスチャンではないのですが、人に教えてもらって、以来、ぼくにとってピッタシの言葉だと記憶に残しています。
怒りを遅くするというのは、我慢をするということでしょう。
尻をまくってキレるのはいつでもできます。
ぐっとこらえて我慢する人の方が、勇士よりも勇気があるということだと解釈しています。
世の中の人がみんなそれぞれ、今よりもちょっとだけでも怒るのを遅く出来たらいいなあと願っています。
昔、タイトルは失念しましたが色んなちょっといい一言が書かれた本が流行って、その中に書いてあった「人が嫌がることをしましょう、でも人が嫌がることをやっちゃいけません」というページがいまだに大好きです
当時中学生で、班日記っていうノートを6人の班で日替わりで書いていたのですが、それに書いたら担任の先生に「とても深い言葉ですね なかなかできないものですがそうありたいものですね」的コメントを頂いたのをよーーく覚えてます
人が嫌がることをしないってのは割とすぐできるのですが、人が嫌がることをするってのはなかなか難しいですよね そういう人に私はなりたい です
仕事でも、家族内でも自分から率先することの大切さを教えてくれる言葉ですよね。みんなが協力的な集まりや共同体なら、この効果はキチンと働くのですが、必ずサボる人間は出てくるのでどうしても不公平・不平等になってしまいます。そんなときこそ、「自分の徳を磨くんだ」と思って苦しいことも誰もやりたくないことも何事も取り組むきっかけになったらいいですよね。
「御輿に乗る人、わらじを作る人」なんて、かつての政治家は言いましたが、基本を大切にできる人が一番最後は何かあるということなんですかね。
私曰くですが、
努力したこと、怠けたことは全て正確に反映される。全ては積み重ね。
学生の頃に、部活をやっていたときは、試合当日にいくら頑張ってももう遅いんですよね。
結果は試合までにどれだけ練習してるかでもうすでに決まっている。
そう考えると、リラックスして試合に望めました。
まさに、練習した時間は裏切らないです。