イエ・ルポ 2 #017 PickUp5



みなさまこんにちは、ハザマです。今日はみなさまに、ちょっとうれしいニュース! 


ここでご一緒に作った本、<イエはてな>ライブラリー『リブ・ラブ・サプリ』が、
2008年度グッドデザイン賞の一次審査を通過いたしました! 


な、何と総勢72人もの各界からの審査員の方々の目を通して一つの評価を頂いたということで、とてもうれしいことです。本がこの賞を受賞することはめずらしいそうですが、もし本当になったら…と思うとワクワク。8月の下旬に2次審査が行われ、受賞作品は東京ビッグサイトで一般公開されるそうです。『リブ・ラブ・サプリ』がもっとたくさんの人たちに紹介されることになったら素敵ですよね! 
また結果をみなさまと一緒に楽しみに待ちたいと思います♪
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さて、今日は“イエ・ルポ 2”#017のピックアップ賞のご紹介です。「ボクの好きな先生&学校の思い出」のテーマでたくさんのご投稿を頂きました。学校でのさまざまなシーンがよみがってきて楽しかったのですが、今回は、その心を伝えてくれるルポルタージュが多く見られなくてちょっと残念でしたね。いい本を作っていきたいという気持ちをすべてのみなさまとご一緒できるように、もうすぐメッセージとともに新しいご投稿要項でスタートしようと思っていますから、もっと心でじっくり語らえる場所にしていけたらいいな! ともあれ、先生と学校のメモリーをいっぱい、どうもありがとうございました!

イエ・ルポ 2 #017 ピックアップ賞

#017では「今だからありがとう!ボクの好きな先生&学校の思い出」のテーマでご投稿頂きました。
まずはさまざまな人物像が浮かび上がった、先生の思い出から。いつも話を聞いてくれた「保健室の先生」、ユニークな名物先生が登場した「中学の不思議な先生たち」、バリトンでホワイトクリスマスを歌って聴かせてくれた先生の「素敵なクリスマスプレゼント」、合唱コンクールにも熱が入った「音楽の美人教師」、油絵を描く姿を見せてくれた「美術」の先生、ケツバットがお得意の「今なら間違いなく問題になりそうな…」先生…。とりわけ、その時のうれしさが伝わってきた「こっそり褒められました」という思い出や、自分を信じてくれた「いじめがあった時の先生」、あえて生徒たちの「喧嘩を」止めなかった先生、今でも動植物のアドバイスをくれるという「歩く図鑑」先生、エンジニアリングの恩師となった先生が「STAR WARSを教室で観せてくれたエピソードなどは、とても心に残りましたね! 数学を学ぶと女性を口説くのが上手くなる?という「え〜っ、そんな理由で…?!」のお話は面白くて笑っちゃいましたw また学校での思い出も、あったあった、こんなに! 「木造校舎!」「文化祭」「運動会」「球技大会」「修学旅行」「林間学校」「遠足の思い出」「学校の給食」「クラス替え」「クラスの目標」「受験」「宿題が多かった〜大変だった思い出」「部活の合宿」「中学の部活動、最後の夏の大会」「転校生がやってくる!」…懐かしいシーンがいっぱい。なかでは、生徒たちが歩いて市内を「一周」するという行事がめずらしいかったのですが、地域や学校ならではの恒例行事も結構あるのかも知れませんね。


そんななかで、今回のピックアップ賞には、生徒たちも先生も可愛らしかったエピソード「いつも怒っている担任」、15歳は元服で大人の仲間入り!と教えてくれた先生「中学校に入学したばかりの頃に」、本当の心の通い合いが描かれた「児童会のくまぞう先生」、素敵な愛の語りにつながった「A先生とB先生が結婚する!校内おめでた大作戦!」、そしてこのままドラマにしたい感動のものがたり「学校を去ろうとしていた最後の日に・・・・」を選ばせて頂きました。


ピックアップ賞のルポを読んでいると、こんなものがたりをずっと抱いて人生を歩んでいけるって、本当に幸せなことだなって心から感じました。そしてきっと、大人も子供もお互いを育て合っているんでしょうね。人と人の心のものがたりを聞かせて下さって、ありがとうございますw


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「いつも怒っている担任」by id:choco-latte


私達のクラスは授業中いつも騒いでいて、先生によく怒られていました。特に担任のE先生の現国の授業は先生をからかってばかりいて授業が全く進まず、よくE先生はキーキー怒っていました。


そんなある日E先生が結婚すると、隣のクラスの先生に聞きました。
そんな大事な話をしてくれないなんて水くさいねぇ〜なんていいながら
HR前に黒板にみんなで
「E先生 結婚おめでとう!結婚できてよかったね」
と大きくかいておきました。
教室のドアを開けて、黒板の文字を見て真っ赤になるE先生。
「ちょっとーなんで知ってるのーやめてよー!」といって
照れながら黒板消しで文字を消していました。
それから数ヶ月してから先生の結婚式が行われる事になりました。
隣のクラスの先生に協力してもらって担任のE先生の親の連絡先を聞き、私達を披露宴にサプライズとして出してください!
と頼みました。
もちろん返事は「OK!」
司会者の「ここで、スペシャルゲストがいらっしゃっています。3年6組の生徒みなさんです!」
の一言で私達が飛び入り参加。


「ジャージも似合うけど、ウエディングドレスも似合っていますね」
「私達のE先生を貰ってくれてありがとう」
「ヒステリックですが、いいお嫁さんになると思います」
「売れ残らなくて良かったですね」
などなど、一人ひとことスピーチをしました。
いつも怒ってばかりいるE先生は私達のスピーチを聞いて
わんわん声を出してないていました。


その時一緒に先生の披露宴に行ったメンバーとたまに会うのですが、
「今思えば、あのときE先生って28歳だったよね?『売れ残らなくて良かったね!』って言ったけど、私達28越えてまだ独身ですけど…」
「先生に負けたね」と話してます。


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「中学校に入学したばかりの頃に」by id:staples54


“皆さんは今年はいくつですか?
昔は15歳になると男子は元服といって大人の仲間入りを果たしていました。つまりもう何年かで大人の仲間入りを果たすということです。・・・”
朝のHRで社会科の先生が教壇に立って話をされました。
先生の顔はとても真面目で笑ったり私語をする人は1人もいなくてみんな熱心に聞き入っていました。話がおわったあとも教室には余韻が残り、だれもが神妙な面持ちだったことが印象に残っています。
先生はこんなことを話されていたな、と思い返す度に気持ちが引き締まります。
さて、この先生。
学校の休みの日に山に行くぞ!といって受け持ちのクラスの男子数人を召集、引き連れて天然の山芋を掘りに行ったりするなどという勉強以外のことをたくさん教えてくれる人であり、今でも尊敬しています。


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「児童会のくまぞう先生」by id:Fuel


お調子者の私は、最上級生の6年生の時、なんとクラス委員になってしまいました。クラス委員というと聞こえがいいですが、小学校では万年日直のようなクラスの雑用係です。しかし、小学校最後の一年を思い出深い一年にしたいやつは立候補しろと言われたので、調子に乗って勢いよく手を上げてしまったのでした。ハッと気が付くと手を上げているのは私一人だけ。6年生にもなると塾や習い事で忙しいやつらが多いので、みんなこういうことには消極的でした。そのまま自動的に無投票当選です。
続いて代表委員会が開かれました。4年生以上の各クラスのクラス委員が全員集まる会議です。その席上で児童会の役員選出が行われました。会長候補は6年生の中から一人、副会長と書記候補は5年生と6年生の中から2人ずつ選ばれます。各学年3クラスずつなので、5年と6年の委員は83%以上の確率でどれかの役を務めなければなりませんが、誰も立候補者がいません。
そこで、顧問の「くまぞう」とあだ名される、ちょっと恐そうな先生が立ち上がって言いました。
いいか、クラスでやるクラス会や、この代表委員会などは、みんな勉強の一環なんだ、この国の制度の原則である民主主義というものを学ぶ場所なんだ、では諸君らに聞く、民主主義とは何か、わかる者手を上げろ。
一人がおずおずと手を上げて「多数決?」と自信なさげに答えました。くまぞう先生は、ほかに意見は無いか?とさらに問いかけました。多数決が民主主義なら、他に意見がなければこの答えに決まるということになる、それでいいか?とさらに問いかけました。みんな、何も答えません。意見がないのではなく、わからないから答えられないのです。
そこで私は手を上げました。そして、今はみんなよくわからないから答えられない状態です、こういう時に多数決をしても、それが正しい答えにはならないと思いますと答えました。
くまぞう先生は、手をパンと叩いて、そうだ、そこだよ、民主主義の最終的な決定はたしかに多数決だ、それは間違いではない、でもそれはみんながしっかりとした意見を持つようになってから行われてこそ意義があるんだ、全員が自分なりの意見を持てるようになるためには、話し合うことだ、話し合って話し合って、少数の意見も大切にしながらとことん話し合っていくことが、この国の民主主義の一番の基本なんだよ、と言われました。そしてまたパーンと大きく手を打って、役員の選出、みんなまだ誰がどういう人物かわからないから選べないんだろ、話し合え、とことん話し合って決めてくれ、と言いました。
そこからの会議は、みんな目がキラキラしていました。なんだかすごく大切なことを教えてもらった気がして、みんな感動していたんだと思います。私も会議が進む中で、話し合うことのすばらしさ、心が通い合うことのすばらしさを実感しました。そして、学校の全員がこんなふうに話し合い、理解し合っていけたらどんなにいい学校になるかと思いました。
下校の時刻がせまり、くまぞう先生が、そろそろ話をまとめよう、誰か結果を報告してくれ、と言われました。私はみんなにつつかれたので立ち上がって、「役員はまだ決められません、しかし児童会の方針は決まったと思います、話し合いを大切にする、言葉と心の通いあう学校作りです」と答えました。みんなから拍手をもらって、それが承認されました。
くまぞう先生は、よし、今年度、児童会は役員未決定のままスタートする、5年生6年生全員を児童会執行部に登録し、活動していく中でそれぞれに適した役目を決めていけばそれでいい、今日は役員を決めることより大切なことが決められたと思う、それでいいかと言われました。みんな拍手をしました。最初はどんよりとした目でやる気の無さそうだったみんなが、今はいきいきと輝いていました。違うクラスのみんなが夕暮れの校庭を、肩を並べて帰りました。振り返って校舎を見ると、職員室の窓からくまぞう先生が手を振ってくれていました。
こうして私たちは小学校最後の一年を、本当に楽しく、いきいきと過ごしていくことができました。修学旅行、運動会、学芸会、そして卒業式と、児童会執行部はみんなで心を一つにしながら活動していきました。それは本当に思い出に残る、貴重な一年間でした。
くまぞう先生が教えてくれた少数の意見も大切にしながら話し合っていくことの大切さは、今も私の心にしっかりと刻まれています。


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「A先生とB先生が結婚する!校内おめでた大作戦!」by id:YuzuPON


中学生の時のことです。英語のA先生は若くかわいい先生で、男子生徒の憧れの的でした。
数学のB先生は、男にしては小柄で、しかも童顔だったので、いつも生徒から「ちゃん」づけで呼ばれるような先生でした。でも気さくな先生なので、時には男子生徒の恋愛相談などにも応じてくれるような、頼れる兄貴的存在でした。
そんな二人が付き合っているという情報が飛び込んできました。えー、嘘だろう、まじかよ、俺A先生好きだったのになどと、男子は大騒ぎです。そうこうしている間に、なんと二人が結婚するという話が飛び込みました。
日頃B先生に青春お悩み相談(笑)で世話になっている仲間が集まって、校内で祝賀集会をしようではないかという話がまとまりました。女子も数人参加して極秘の実行委員会を結成。女子がA先生と接触をして二人の都合のいい日を聞き出し、男子が校長先生にかけあって教室の使用許可を願い出ました。すると、なんとその結婚の仲人は校長先生だということがわかり、校長先生も校内サプライズパーティーに大賛成してくださいました。そこで校長先生も極秘の実行委員の名誉会長となって、一気に実施に弾みがついてきました。
いよいよ極秘パーティーの当日です。その日は日曜日でしたが、特別に校内の使用許可をもらっています。午前中、主だったメンバーで使う教室(音楽室)の飾り付けを行いました。午後からは、まず生徒が集まって段取りの打ち合わせです。そろそろA先生とB先生がやってくるという時間になって、後門の前にみんなで並んで待ち受けました。やってきた二人を拍手で出迎え。かなりの大人数だったので、それは盛大な出迎えになりました。女子が二名、それぞれA先生とB先生に花束の贈呈。その後音楽室に移動して祝賀集会が開かれました。仲人の校長先生にご挨拶をいただき、ジュースで乾杯。続いて友人(特に親しい生徒)のスピーチです。聞きかじっていた結婚式の披露宴のまねですが、A先生B先生の面白いエピソードが色々出て笑えました。そして、A先生、B先生それぞれから、お二人が結婚に至った動機などをお話しいただきました。中学生がはじめて聞くナマの恋愛の話に、みな赤面しながらも聴き入りました。そして、愛し合うことのすばらしさを熱を込めて語ってくれるこのすてきな二人に感動しました。女の子なんか数人、泣いてましたね。そのあとは即興の隠し芸などをして、楽しく過ごしました。
私たちはこの先生方の結婚によって、純粋に愛し合うことのすばらしさを知りました。まだ恋愛を知る前に、理想の恋の姿に触れることができました。遊びではない、ゲームではない、二人の人生を重ねていくような真剣な愛し合い方を知ることができました。私はまだ未婚ですが、いつかA先生とB先生のような恋愛の末に愛のある家庭を築きたいと夢見ています。A先生、B先生、ありがとうございました。先生方は、何よりも大切なことを、私たちに教えてくれました。


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「学校を去ろうとしていた最後の日に・・・・」by id:TomCat


私は、学校という所に馴染めない生徒でした。中学時代から粗暴な行動が目立っていた私は、色々な経験を経て、高校の後半でやっと立ち直りました。しかし、いわゆる不良だった生徒がそう簡単に学校に馴染めるわけもなく、当時の私は学校をやめることばかりを考えていました。


そんな時、ちょっとした夢を掴んだんです。この道で生きていきたいという、ちょっとした希望を見つけました。今考えれば、それは学校をやめたいという気持ちを説明しやすくするための、自分への言い訳だったんだと思います。新しい夢を見つけたと前向きな自分を演出することで、現状から逃げ出す理由を作る。今思えば、そんな心理だったんだろうと思います。しかし、私は自主退学を決意しました。


そして終業式。学年主任の先生とも担任の先生とも何度も話し合いを重ね、その日に退学届けを提出する、という段取りになっていました。


教室での担任の話が終われば、もう私は卒業を待たずにこの学校を後にします。担任が「終わります」と締めくくりの言葉を言うと、とたんにみんなの間に開放感が広がり、歓声が上がりました。私一人が椅子に座ったまま、視線下げていました。


担任が、「すまん、もうひと行事、これから記念写真を撮るんだ。ちょっと机を後ろに下げてくれないか」と言葉を続けました。私も立ち上がって、みんなと一緒に机の移動。これがこの学校で行う最後の共同作業かと思うと、ちょっと寂しくもありました。


机を戻して、これで正真正銘、全ての行事が終了です。この後職員室に行って退学届けを出せば、もうこの学校に来ることはありません。教室を後にして階段を下りかかると、そこで隣のクラスの友人と鉢合わせになりました。


「お前、今日で最後か」
「ああ。もうここに来ることはない」
「寂しくなるな」


ここまでは何の変哲もない、普通の会話でした。
しかし私が、
「せっかく撮った記念写真も、見ることはなさそうだよ」
と言うと、そいつは、
「え? 卒業式でもないのに記念写真か? うちのクラスはそんなもの撮ってないぞ」
と言うのです。その時、はじめて気が付きました。あれって、今日でここを去る俺のために、俺のためだけに撮ってくれた写真だったのかもしれない!! と。


慌てて職員室に急ぎました。担任の机の前に行くと、担任も階段で出会った友人と同じように、
「これで最後だな」
と声をかけてくれました。ここでポケットから退学届けを出せば、全ては完了です。でも、私の心は揺れ動き始めていました。
もしこの先生が、今日で学校をやめていくたった一人の生徒のために、わざわざ記念写真を残そうとしてくれたとするならば・・・・。


私は、
「だからさっきの記念写真を?」
と問いました。
すると担任は恥ずかしそうに頭を掻きながら、
「だって淋しいじゃないか」
と・・・・。


私はしばらく立ちつくしました。生徒一人一人を深く愛する、そんな担任の思いがズシリと胸に響いて、なかなか次の言葉が出てきませんでした。やっとの思いで口を開いた時には、
「やめません。俺は本校の生徒でい続けます」
と言っている自分がいました。自分でも意外な決断でした。あれほどやめたいと思い続けていた学校が、今はこんなにも愛おしい。自分でその変化に驚きました。そして、強硬に退学の意志を主張し続けていた手前、こんなにも簡単に意志を翻してしまったことに赤面しました。もう、恥ずかしくて恥ずかしくて、そのまま消え入りたい気分でした。でも担任の、いや、この恩師の思いが、そんな気恥ずかしさを全て拭い去ってくれました。


「お前、夢はあきらめたのか」
先生はそうおっしゃいました。私は、
「いえ、先延ばしするだけです」
と答えました。しかし実際には、今まで気付かなかった、気付くことが出来なかった、学校という場所に隠されていた素晴らしい希望を、この時、見つけたんだろうと思います。


「そうか。保護者の方には?」
「いえ、今決めたことなので・・・・」
「そうか!!」
先生は私の手をぎゅっと握ってくださいました。
「お前、今さら学校やめないって家に帰って言えるか? 恥ずかしいだろう」
「恥ずかしいです。めちゃくちゃ恥ずかしいです。どうしたらいいですか」


先生も私も、泣きながら笑っていました。ここから後の私の高校生活は、本当に輝きに満ちたものになりました。この先生のお陰で、今の私がいます。数学のK先生。忘れられない恩師です。


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「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」


「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
テーマ「リブ・ラブ〈MYメモリアルアイテム〉スナップ」から、今日の一枚をご紹介!
id:H-Hさん、ご投稿ありがとうございました。




Nikon EM (1980年発売) 
これはお父さんから譲り受けたものです。 私が子供のころ、カメラ好きだったお父さんがこのカメラをいつも持ち歩いてたくさん写真を撮ってくれました。 今はデジカメが主流ですが、この重厚でレトロなデザインが好きでお父さんに貰いました。 自分が好きだったものを娘が欲しがるのでお父さんの方が嬉しそうでした^^。 昔は銀塩一眼レフカメラが主流でたくさんありましたが、今はほとんど製造中止で中古品しか買うことができません。 なかなか上手く扱えませんが、持ち主二代目としてこれからも大切に使いたいと思います。


スナップコメント

わぁ、これは大事にしたい、素晴らしい記念の逸品ですね。
受け継いでくれるというのをお父様の方が喜ばれたって、何だかわかりますw
このカメラはおよそ30年を経て、まだまだ現役ということ。
本当に昔のアナログなものは丈夫で壊れず、愛着とともに価値が増しますね!
−ハザマ−


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