イエ・ルポ 2 #016
みなさまこんにちは、ハザマです。先日6月30日のご相談、〈イエはてな〉の豊かな語らいを保っていくためのお話に、みなさまたくさんのご意見やご提案を本当にありがとうございます! コメント欄は今にわかにミーティングルームになっていて。この機会に、みなさまの思いをここまでじっくり聞くことが出来るとは、〈イエはてな〉のさらなる大きな歩みを感じています。いつもご参加下さっている方々も、普段お忙しくしていらっしゃる方も、ここは肝心!とメッセージをお寄せ下さり、あぁいつもこんなにしっかり見ていて下さるんだ…と、あらためてうれしかった。みなさまの言葉から、ここには、私たちみずからの日々の中から生活文化を、豊かなイエコトを語り、創っていくという一つのヴィジョンが根づいたんだと実感しています。今回集まっているご提案を大切に活かして、もっと広く深い語らいの場づくりをしていきたいと思います。ご提案が次々と発展し、今もまだメッセージを頂いていますので、今週いっぱいくらいまでゆっくり聞かせて頂いて、それから具体案をまとめていこうと思っています。引き続き、お気づきをコメント欄に下さいましたらありがたいです。どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m
さてさて、今日は“イエ・ルポ 2”#016のいわしのスタートです。今回は久々に可愛い子たちをテーマに、「ペットや動物がくれたものがたり」。以前の“イエ・ルポ”でも一度、「語り継ぎたい家族&ペットの珍事件」というお題でお話したことがありました。そこでも楽しいエピソードをたくさん出して頂いたのですが、今回も愉快な出来事からあったかなふれあい、悲喜こもごもすべてのものがたりを聞かせて下さいませんか? かつてのペット、今一緒の相棒、街で会う動物たち…。今回もみなさまの素敵なライフストーリーを楽しみにしています!
可愛い家族、ペットや動物がくれたものがたり
「可愛い家族、ペットや動物がくれたものがたり」を教えて下さい
“ルポ・タイトル”
「ミューとイプ、お隣りさんから帰ってくるの巻」by ハザマ
“ルポルタージュ”
うちのチビ・ギャング二匹組の忘れがたい話をひとつ。前に書いた「天井から猫が降ってくるの巻」の続編です。
まだ京都の集合住宅に住んでいた頃、やっぱり押入れの天井板を開けて、二匹は天井裏で遊んでいました。私の考えも甘く、板にガムテープを貼りめぐらしても端からガリガリかじって、身ひとつ分の穴くらいすぐ開けて入っちゃうので、容認していました。
ところがある日、いつまで経っても帰ってこないのです。音もしないし、夜になっても降りてこない…。と、その時ちょうど壁の改修工事が隣りの部屋からはじまっていることに思いあたりました。庭から見てみると、うちの一部も高い所がほんの少し取り壊されて穴が開いていました。あ、ここから外に出て行っちゃったんだ…。外界を知らない世間知らずの二匹が、外で迷って帰って来れない姿を想像すると涙があふれて、近所をあちこち探し回りました。でもその晩は見つからず。翌日も一日帰ってこなくて、事故に遭ったかも…二日経ってもう帰ってこないかも…と、泣いて夜を迎えました。
そこへ、ピンポーン。お隣りさんのカップルでした。何だか神妙な顔で、「あの…天井にヘビがいるみたいなんですけど、お宅でも音がしませんか? 多分すごく大きいヘビですよ」…。「エ…?」。私がにわかに笑顔になったのは言うまでもありません。あいつらめ!!! 工事で開いた天井裏の通路から、お隣りの天井に入り込んでいたのです。
事情を説明して、急遽、夜中の救出作戦。お隣りの部屋に入らせてもらって、天井開けて呼んだり、懐中電灯で照らしたり。すると、「いましたよ!!」。お兄さんが庭から照らしてくれた壁の穴から、二匹が顔を揃えて「ニャー」。帰ってこれなくなっていたようで、ふたりとも泣き顔でした。お兄さんが壁に組まれた足場を登ってくれて、無事に二匹を救出。
二匹を抱きしめる私に、「よかったねぇ」。そう言ってくれるお隣りさんでよかった! 二晩も大ヘビの音(?!)に怯えたにもかかわらず…(笑)。二匹を抱いて、隣りの玄関から出て来る時のうれしいやら情けないやら、もぅ、一生忘れられない一夜でした。
※今回の「いわし」ご投稿は7月10日(木)正午で終了とさせて頂きます。
※今回のピックアップ賞は7月11日(金)に「イエはてな」にて発表いたします。
「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
♪雨と浴衣♪
♪雨の日ですがありましたミニ花火大会。パチリ撮りました♪
鮮やかな浴衣の色に傘の色が加わって、ポスターみたいに賑やかでした。子供の浴衣は早めに買いに行くとかわいいデザインが売りきれていないのでお薦めします。
子供の浴衣姿って久しく目にしてませんが、こんなにカラフルで可愛いんだ。
そして早くもマチで小さな花火大会がひらかれたんですね。
雨でもわくわく楽しそうなムードが伝わってきますw
−ハザマ−
»“リブ・ラブ・スナップ”今回のテーマはコチラから
募集期間中にご投稿頂いた方にもれなくはてなポイント300ptプレゼントいたします。
また、スナップ賞にはアマゾンギフト券3,000円分をプレゼントいたします。
いわしの回答(転記)
飼ってる人もいるんですが、一応規則を守っています。イヌとネコだと完全にネコ派なんですが、飼いたいのに飼えません。でも、代わりにマンションに住み着いている野良ネコが何故かた?っくさんいて、いっつも泣き声が聴こえています。人懐っこくて本当にペットみたいにみんなでかわいがっています。
ま、マンション全体禁止ではないので、分譲で買っている人は 飼っている人もいますが。
うちの近所にも 野良猫が多いところがあります。
なので そこに行けば 猫が見れますね。
ただ、野良犬ってのは いないですよねぇ。
野良猫は捕獲されないけど、野良犬はすべて捕獲されちゃうんですかね。
ジブリのアニメの「猫の恩返し」は、ある日、車に轢かれそうになった猫を助けた女子高生が、そのお礼として、猫しか喜ばないような頓珍漢な贈り物を受け続けるところから物語がスタートします。
実はうちにも、交通事故に遭っていたのを助けた猫がいるんです。大変な重症で、長期間の入院治療を要しましたが、動物病院の先生やスタッフの皆さんの献身的な治療と看護で、今はすっかり元気元気。これがやっぱり色んな贈り物をしてくれるんです。
たとえば紙屑。うちでは紙屑を細長くねじった物を猫のおもちゃにしています。ぽーんと放り投げてやると、猫は両手を前に差し出して、それをキャッチしようとします。うまくキャッチできなくても、床に落ちた紙屑を左右のお手々でチョイチョイチョイとドリブルしながら部屋の隅にシュートしたり、口にくわえてひっくり返って猫キックをしたりして、楽しく遊んでくれます。
事故にあった猫は、退院してもしばらくは前肢に麻痺が残っていて、こういう遊びが出来ませんでした。それがすっかり回復して遊べるようになると・・・・。
この猫、ゴミ箱を漁っては、遊べそうな紙屑を選び出して、私の所に持ってくるようになったんです。最初はそれで遊んでくれとせがんでいるのかと思いました。でも、どうも様子が違うんです。一個運んできてはまた次と、何個も何個も紙屑を運んできては、それを私が座っている後ろに並べるんです。
ある日、その目的に気が付きました。並べた紙屑の向こう側で猫が満足そうにそれを眺めているんです。あ!! 恩返し!!
そうかー、楽しいおもちゃをたくさん俺に運んできてくれたんだね、ありがとねーと撫でてやると、猫は喉をゴロゴロ鳴らしながら私の手にじゃれついてきました。紙屑の一つをポンと放ってやると、猫はそれを取って口にくわえて運んできて、私の膝の上にポトンと落としました。やっぱりこれは私のために運んできてくれたおもちゃのようでした。
もう一匹、ちょっと困った恩返しをしてくれるのもいます。こいつはティッシュを箱から引っ張り出して床にうずたかく敷き詰めて、その上に乗ってくつろぐのが大好きです。それをやられるとティッシュは無駄になるわ、片づけが大変だわで困るので、普段はティッシュを隠しています。
ところがある日、ティッシュを出しっぱなしにして忘れていたら・・・・。なんと猫は自分用のティッシュと別に、私の机の前にも、引っ張り出したティッシュを器用に積み重ねてくれやがりました!!
そうか、俺にここに座れってかと、猫が用意してくれたティッシュの上にあぐらを掻くと、猫は大喜びで膝の上に飛び乗ってきました。そしてもう、普段の200%増しくらいの頬ずりの嵐です。自分の用意した席に私が座ったことが、ものすごく嬉しい様子でした。
こんなふうに、うちの猫達は、色んな恩返しをしてくれます。でも、どんな時でも私を無条件で慕って信頼してくれる姿こそが一番です。
私なんて一人暮らしですから、自堕落な暮らし方をしようと思えば、いくらでも出来てしまいます。いちいち家に帰らなくても誰にも文句は言われない。夜遊びにふけって散財しまくったって、それを叱る人は誰もいません。でも、この子達がいるから、毎日急いで家に帰ります。一杯飲んで帰るより、その分のお金で猫のご馳走でも買って、家路を急ぐ方がずっと楽しい。ずっと幸せ。猫達がいてくれるから、私は毎日を、きちんきちんと送っていくことが出来るんです。それが何よりの猫の恩返し。この子達に、本当に感謝しています。
人間と一緒に暮らすペットたちって、本当はどう思っているんだろうってよく考えます。人間から見ると幸せで、そして楽しんでくれているように感じられますけど。やっぱり野生だと食べ物にも困るだろうし。それに、生まれたときから人間と暮らしていたらむしろそれが当たり前に感じているのかもしれないし。
と、よく人間の立場から考えちゃうんですけど、本当に幸せを感じていてほしいものです。
初めて飼う時って経験がないですから、特に連れてきてすぐはかなり弱っている金魚すくいの金魚なんかの場合、大切に飼っているつもりでも、死なせてしまうことがありますよね。
私も最初の金魚はそうでした。子供心に、もっとベテランの人に飼われていたらこんなことにならなかったのにと、経験不足をすごく悔やみました。
今は上手に飼えるようになって、最近は金魚救助隊などと称して、お祭りの周辺を回って放置されている金魚を見つけて連れ帰るなんていうこともしています。かなり弱っている金魚でも回復させられるようになってきました。
でもそれって、やはりうまく飼ってやれなくて、死なせてしまった経験の上に成り立っているんですよね。あの時の金魚には、本当に謝っても謝りきれないものがあります。そのお詫びの気持ちも込めて、今年も捨て金魚を探して回ります。
最近はペットショップで売っているのを買ってから犬を育てだすのが多いのでしょうね。
私の家にいる見るからに雑種の犬コロちゃん。ご近所から貰った雑種の子犬でした。
名前をコロンビアと命名したのですが、長い!ってことで略してコロになりました。
帰省した時にしか会えないし、撫でてあげたり、散歩も本当に家に帰省の短い時にしか出来ません。
なのに、私のことをちゃんと覚えていて、『あ、今年も帰ってきたんですね、息子さん達と!』と言いたそうな目で見てくれます。
なので、ちゃんとコロちゃんにも『ただいま、帰ってきたよ』と挨拶して撫で回します。
もう10年以上も家で飼っているので、そろそろ老犬です。
白い物も混じって、耳も弱くなったようです。
それでもたまにしか会えない私を覚えてくれているのが嬉しくて嬉しくて。
おまけに、私が自分の子供を犬に紹介したときは、ちゃんと子供の匂いを嗅いでました。
あ、同じ匂いがするから、家族なんですね??とでも思ったのでしょうね。
私が結婚で家を出ても、家族を繋いでくれているのが、雑種のコロちゃんです。
二年前くらいにうちの団地で、どしゃぶりの雨の中びしょぬれで泣いていた子猫。親猫は近くにおらずまだかなり小さかったのでこのままだと死んじゃうと思って拾ってとりあえず保護。だんなに謝りながら実家に頼み込んで飼ってもらうことに。(うちはすでに二匹いたので)その二日後くらいにまた、子猫の鳴き声が・・。でももう拾っても飼えない。誰か拾ってくれますように・・と祈ったけど、二日鳴きどおし。ちょっと見に行ったら、またまたうまれたてで二匹。一匹は弱ってる様子。でも拾ってもどうしようもないし・・。結局見捨てられず、だんな様に泣きながら頼み込んで拾って育児。これがかなり大変。こごえないように、びんにお湯入れて湯たんぽであたため、トイレのしつけもしたり・・・とにかく大変でした。やっと貰い手が見つかって別れた日は悲しくて悲しくて・・・。まるでわが子と離れ離れにされる親のような気持ちでした。でも優しい飼い主さんなんで、安心です。今でも思い出すと切ないですね。
命に関わる事態の時は、とにかく緊急保護が大切ですよね。一度失われてしまった命は二度と取り戻せないのですから、後のことなんて構ってはいられません。
でもそれが、現実にはなかなか出来ないんですよね。うちでは飼えないから、自分では世話が出来ないからと、心を痛めながらも見捨ててしまう。普通は、どうしてもそうなってしまうと思います。
そういう戸惑いを振り切って、命のためにと努力されてこられたことは、本当に素晴らしいと思います。これってもう、敵味方の区別無く傷ついた人達を救助して回った赤十字の創設者、アンリ・デュナンの働きにも匹敵すると思います。もし猫の国があったら、勲一等黄金の猫十字勲章なんて贈られるかもしれません。
そして、こういう無条件で命を尊びたいと努力する人達の心が、いつか人間の世界にも、安全で平和で、争いや傷つけ合いのない社会をもたらしてくれるんだろうと思います。
私は動物が大好きですが、家族のアレルギーの都合で動物が飼えません。そこで野生動物の話です。
嫌われがちなカラスの話なので反感をお持ちになる方もいるかもしれませんが、これから書かせていただくことはたまたま相手がカラスだったということで、状況が違えば他の生物が相手だったかもしれない話と受け止めて、カラスという種類にはあまりこだわらずにお読みいただきますよう、あらかじめお断りしておきます。
ここからが本題です。
土曜日の早朝。その日私は、生まれて初の朝帰りでした。前日仕事で大きな失敗をやらかしたあげくに、その件で同僚と口論、むしゃくしゃして飲みに行った先で無関係なトラブルに巻き込まれて悪者扱いにされ、と散々な目にあっていました。おまけにそのちょっと前に密かに好きだった女性に彼氏がいることがわかって失恋していたので、もうコンディションは最悪でした。
そのまま一晩家に帰らず、深夜営業の店をハシゴしたりネカフェで時間を潰したりして朝を迎えました。
早朝、缶コーヒーを飲みながら公園のベンチに座っていると、一羽のカラスがやってきました。カラスの被害を防ぐゴミ出しが徹底してきているので、カラスはやることがないらしく、地面に落ちている小さなゴミをつついたりして遊んでいました。しばらく見ているとだんだん遊び方が巧妙になってきて、ついに小石を口にくわえて飛び立ち、ゴミに向かってそれを落とすという、ゲームのような遊び方に変わっていきました。これには私も驚いて、それまでの落ち込んだ気持ちも忘れて、この珍しいカラスの行動に見入ってしまいました。
カラスはしばらく爆撃遊びをしていましたが、それも飽きたらしく、また地面に降りてきました。そして私が座っているベンチの前までやってきて、こちらをじーっと見つめました。一瞬攻撃されるかと思いましたが、そんな様子はなく、おだやかにこちらを見つめているようでした。
しばらくしてバサッと羽根を広げて軽く飛び立ち、私が座っているベンチの背もたれに止まりました。そしてずっとそこにとどまって、まるで私を慕って一緒に寄り添ってくれているような状態になりました。
しばらく、穏やかな時間が流れました。都会の喧噪の空白にぽっかりと開いたエアポケットのような空間で、私とカラスの二人だけ。とても癒されるひとときでした。
その静寂はジョギングに訪れた人の足音で破られ、カラスはバサッと飛び立ってどこかに行ってしまいましたが、そこでハッと我に返って気が付きました。もしかしてあのカラスは私が落ち込んでいることを察知して、励まそうとしてくれていたのではないかと。笑顔を忘れていた私にひょうきんな遊びを見せて笑わせてくれて、そして元気出せやと付き合ってくれていた…。そうに違いないと思いました。
この話を後日、大学時代に応用動物なんとか学教室みたいなところで学んでいた友人に話したところ、カラスは見るからに落ち込んで生気を無くしていたお前が急に目を輝かせはじめたのを見て、その変化が面白いと思ったんだろうな、お前って何でもすぐ顔に出るから、カラスはそんな一人漫才みたいなお前が面白くて仕方がなかったんだよとからかわれました。でも、あの時たしかにカラスと私は、古くからの親友のように心を通わせていたと思います。やさしいカラスでした。
うちは父が設計したイエでもありまして、
可愛くともペットに柱や床に傷をつけられては困るという父の願望により、
ペットは今のところ飼えないのよ・・・となっています。
その代り散歩やご近所さんで出会う犬や、
中にはクジャクを買っているお宅があったり、
町内で出会う動物とのふれあいを楽しんでいます。
そのひとつが猫の町内会。
イエの庭に現れる猫や、散歩中に見かける猫談義。
夜な夜な響く、猫の声・・・。
町の至る所で猫の暮らしもあるわけです。
ある日、どうやら猫の町内会があるらしい・・・、と散歩中に父が言いました。
道越しに、茶トラの猫と白ネコが、ニャーニャー!と威勢よく声を張り上げているのを見て、
『今日は日曜だな。今時ならテレビで、政治討論会を放送しているだろ。
猫もあぁやって世間の事を討論してるんだ。』
と言うのです。
茶トラ:原油高なんだから、獲りに行けないんだニャ!
白ネコ:そうは言っても、魚だって食べたいんだニャー!!
茶トラ:食べ過ぎでエサ枯渇なんて問題もあるんだニャー!!!
白ネコ:食べ過ぎと言ったら、茶トラはメタボじゃニャいかwww
そんな事を激論バトルしているらしいのです。
垣根をすり抜けていく猫は、犬のおまわりさんならぬ猫のおまわりさん。
うちの庭をチラ見していく猫も、実は町内視察中なのかも。
町内会があるくらいなので、町内会長を決める選挙なんてのもあります。
春先の夜、ニャーニャーと喚き声が聞こえたら、多分それが町内会長の選挙なんですよ。
最初に飼った犬が最近なくなりました
10年以上一緒に生きてきて、辛いとき、楽しいときもずっと一緒。
いっしょに机の上のごはんを取り合った仲です
後にはあのかわいい声としぐさとが頭の中に残っています
なかなか忘れられませんが、他にも犬がいるのでそのこたちに慰めてもらっています。
こんなときあの子がいれば・・とふと思い出すこともあります。
時間と共に辛さは薄れていきますが、想い出は忘れたくないですね。
昔子供の頃、ハムスターを飼っていました。
最初はちゃんと世話をしてたのですが、だんだんとおろそかになっていって。
いつの間にか母が世話をすることが多くなってきて。
時々は自分でもやっていたんですが、あとは任せきりになってて。
2年ほどたったある日、ケージを覗くとぐったりしているハムスターを見つけてケージから取り出して。
だんだんと鼓動の動きは弱くなってくのを、胸の動きを見て感じて。
目の前で小さな命が心臓が止まるのを見届けました。
何故、ちゃんと毎日自分で責任を持って世話をしなかったのか。
後悔の念が、おそいですがその時になってどっと押し寄せてきました。
辛い時に一緒に遊んで元気をもらったり、話し相手になってもらったり。
それなのに私は、そんな事が次々と思い出され涙があふれでてきました。
あの時、命の大切さを学びました。
本当にごめんねと、今になっても胸の中で呟く事があります。
最後は必ず母が世話をする事になってしまっています。
いつも勝手にペットを連れて帰ってくる私に
「おかあさんにはお前っていうでっかいペットを飼っているのにまた他に世話させるの!」って言われています。
前に飼っていたワンコも最後は母ばかり面倒みていて、私は全然面倒見ませんでした。最後死ぬときもっといろいろしてあげればよかったなぁって後悔しました。
小学校で凄い長寿で巨大な鶏のオスがいて、あだ名が「ジャンボコッコ」でした。
背丈が50cmは越えており、小学生の目には更に大きく見えたものです。
飼育係がそいつの入っている2M立方の檻を掃除をする際はまさに猛獣の檻に入るような覚悟が必要でした。
モップとかで男子3人がかりで追いたたて外に出し、その間に急いで他のメンバーに掃除してもらうのです。
そいつを他の鶏の様に抱いて持てると豪語した6年生がいたのですが、もった途端に耳をつつかれて出血・・・
チャボのオスとたまたま同時に檻の外に出したら闘鶏よろしく戦いだす始末。
数々の凶暴性の伝説を持ったジャンボコッコでしたが、思わず笑ってしまう癖がありました。
校長が朝の朝礼でマイクで長々と話をすると早朝というほどでもないのに何度も「コケコッコー」と時を告げるのです。
きっと「俺の声の方が大きいぞ!」と校長にむかって偉さを自己主張していたのでしょう(W
年寄りの長話につきあって飽き飽きしていた頃にコイツが時を告げてくれるので、子供たちはクスクス笑って、校長は早々に話をきりあげるのでした。
小学校と幼稚園が自宅近くにあったので、自分が物心ついた幼稚園時から中学の何年かまでは奴の朝の雄たけびが毎朝聞こえましたが、
10年以上経過したのちに流石に静かになったので、巨星はいつの間にか落ちていたようです。懐かしいなぁ。
私が中学生ぐらいのときだったでしょうか、ある日姉が「金魚を飼いたい」と言いました。父は娘の願いをかなえるため、ランチュウを飼っている知人にお願いしました。その人は自分でランチュウを繁殖させるほど、ランチュウに熱をあげている人で、どういうものでもいいのなら、という条件で譲ってくれることになりました。
金魚を飼う設備は何一つなかったので、その人のアドバイスから全て買い揃えました。そして4,5匹の金魚が来た日、家族全員で水槽を眺めました。金魚が欲しかった姉も、教わったとおり、毎日世話をしていました。姉は小さいほうがかわいい、と思っていたので最低限のエサしかやりませんでした。
ところが姉の計画に思わぬ邪魔がはいりました。父が邪魔をしたのです。父は大きく育てたほうが良い、と考えておりました。そのため日頃頻繁にエサをやりました。おかげでランチュウは日増しに大きくなっていきました。姉の不満もどんどんたまっていきました。
結局金魚の世話は、ほとんど父がすることになりました。父は一生懸命エサをやり、水が汚れてくると水を換えました。ただ父が世話をする期間は、1年程度になりました。父の熱心な世話で丸々と太った金魚は、あの世に一匹、また一匹と旅立っていったのです。
ランチュウたちの一生は短いものだったかも知れませんが、毎日お腹いっぱいにエサを食べれて幸せな一生を送れたことでしょう。多分父はランチュウからはそれなりに感謝されたと思います。姉からは恨みを買いましたが・・・
家族の一員というと犬の方が情が濃いがしますが、自由に歩き回る猫だけに面白いエピソードとはたくさん遭遇します。
毎回驚かされるのは、猫が獲物を捕ってくる習性です。(しかも家に持って入る)
ねずみ、蜥蜴、もぐら、すずめ、つばめ、その他の鳥…とりあえずいろんな物を捕ってきます。
ねずみや蜥蜴なんかは、人間側も嫌がるので「家に持って入るな」となるのですが、すずめやツバメになると「可哀想だから止めさせよう」となるんですね...
自然の摂理なのですが、なかなか猫の習性だと割り切れません。現在の日本でこういう葛藤を味あわせてくれる猫ってすごいなぁと思ったりします。
ネコ。一度だけですが、ネズミを捕ってきたことがあります。しかも当然ですがもう死んでいて・・・気持ち悪かった。でも誇らしげに人間たちにみせていたような気がしました。当然家中大騒ぎに。
犬や猫を家族として迎えると、どうしても人間より先に彼らは天国へいってしまわなければなりません・・・。
かわいがって、愛情をそそいで、家族のように毎日生活してきただけに、思い出や居なくなったときの寂しさをどうしていいのかは、本当に辛いものがあって、それらの悲しい気持ちや切ない気持ち、何ともいえない気持ちは個人的にわたしのなかでは、ずっとかわりません。
忘れたくても、思い出というものはそう簡単には忘れられないものなんですが、それを乗り越えて楽しい思い出にかえていく勇気、そして、人間として、人間らしく生きていく勇気や気持ちの切り替えを彼らは教えてくれたような気がします。
また、時間が解決してくれるということも、時間がたつにしたがって彼らが教えてくれたことだったりして・・・。
彼らは心の糧をどうすれば強く築いていけるのかということを、教えてくれたような気がします。
ペットロスも、時間がたてば乗り越えて楽しい思い出にかえることができる日がくるということ・・・。
耐えるということは、逆に耐えているのではなく、天国にいる彼らから深い愛情をそそいでもらっていたのかも?ということ。
辛い思い出に耐えるだけだったら、本当に辛いけど、そうではない、何かとても大切なものを教えてくれたような気がします。
道を歩いていると、昔懐かしい針金の篭で出来たネズミ取りを軒先に出しているお宅がありました。今どきまだこんな物があるんだなと見ると、なんと中に灰色のネズミが一匹入っています。長時間放置されているのか元気がないように見えました。ちょうどうまい具合にその家の方が外に出てきたので、お願いをしてそのネズミを譲り受けることにしました。
ネズミは家に着くまでぐったりしていましたが、家についてリンゴの切れ端を与えてみると、鼻を忙しそうにひくひくさせながら囓っていました。
それからネズミはどんどん回復して、翌朝には全く元気になっていたので、仕事帰りにハムスターの飼育セットを買って来て、家で飼うことにしました。最初はもう死んでしまうだろうから、せめて囚われの身ではなく最期を迎えさせてやりたいという気持ちでした。ですからこれは想定外のことでしたが、元気になったからといって外に放せば他人に迷惑が掛かる動物ですから、そうせざるを得なくなったわけです。
気になる病気の媒介についても図書館で調べました。まずダニやノミの可能性については、幸い季節が温暖な時期だったので、しばらく小鳥のように軒先にケージを吊して飼うことで対処することにしました。その間にノミやダニの卵が発見されるかどうかでその後の対処を決めていきます。
他の病気については、感染の経路がほとんど接触によるものとわかりましたので、ネズミに直接触れない、糞便の始末やケージ掃除を頻繁にする、世話をした後は入念に手洗いする等で対処可能と考えました。一応ダメモトで動物病院にも相談してみましたが、さすが動物のお医者さんは嫌われ者の家ネズミにも親切で、色々と詳しく教えてくれました。
それから約3年。ネズミは元気に生き続けました。普段は臆病なので木で出来たハウスに入って隠れています。しかし果物のカケラなどを差し入れてやると、ちょろちょろと這い出てきて、それを両手に持って食べます。その仕草がとても可愛いのです。
目玉は大きくて、顔の輪郭からはみ出しています。よくこんな目玉で傷つかないと感心します。鼻は常時忙しそうにヒクヒクさせています。大きさは家に連れてきた時より、2周りも3周りも大きくなりました。尻尾は長く立派で、毛は美しい銀色です。連れてきたばかりの時は黒っぽかったのですが、だんだん歳を経るごとに美しい銀色に変わっていきました。嫌われ者の家ネズミですが、飼ってみると本当に美しい生き物でした。
最初は臆病者でしたが、人間にも良く慣れて、私がケージを覗くとご馳走をくれとハウスから出てくるまでになりました。犬猫のように抱いたり撫でたりして可愛がるペットではありませんが、心は通い合えることを実感しました。
そして3年くらい過ぎた頃、このネズミは天寿を全うしていきました。まさか家ネズミのために涙を流す経験をすることになろうとは思いませんでした。大好きだったヒマワリの種とリンゴをお供えしてお通夜をし、そして埋葬しました。新盆にも、お供えをして冥福を祈りました。
人に比べたらあまりに短い一生です。だから種を絶やさないようにするために、旺盛な繁殖力を身につけたのでしょう。それを考えると、迷惑だからと駆除することが人として正しい行いなのかどうか、他に何か対処方法がないのかどうか、この科学万能の時代なのですから、もっと人と動物の共存の知恵の研究が進めばいいと、心からそう思いました。
害獣と呼ばれる家ネズミを飼う体験をしたことで、私の生命観は大きく変わりました。生命観だけでなく、自分自身の人生観も変わったと思います。得難い体験をさせてくれたこのネズミに、今も心から感謝しています。
なりゆきとはいえ、害獣と呼ばれる動物であることを承知で、というか、放してしまえば他人に迷惑がかかる動物だからこそ飼育を決断された責任感はすばらしいと思います。また人間が管理して繁殖させたのではない動物が衛生にもたらす影響もしっかり考慮された飼い方は、昆虫など野山で採集してきた生き物を飼おうとする人にも大変役に立つ模範になると思いました。
そして普通なら身近に接することのない生き物をつぶさに観察し、心を通わせていった経験は、本当に得難い体験になったと思います。
私の家にはアレルギーを持った家族がいるので、たとえ衛生上の問題が無くても、動物を飼うことができません。ペットとして扱われている動物でさえ人によってはそうなのですから、人の暮らしのテリトリーの中で勝手に繁殖してしまう動物の取り扱いの難しさは大変なものがあると思います。でもだからこそ発達した科学をうまく応用して、お互いに影響を及ぼさない場所にうまく住み分けていくなどの技術が確立されていったらいいですね。
ペットには戸籍がありません。
しかし、誰かが警察に届けてくれることで 「拾得物」としての届けでで再会出来る事があります。
動物がくれたものがたりというと山羊を思い出します。
私は以前、仕事で田舎で山羊を飼っていました。
しかし、ある日発情した山羊は出会いを求め、何と柵の下に大穴を掘って大脱走したのです。朝気が付いてあちこち探しまわりました。
なかなか見つからず、警察の電話を受けて、やっと発見したのがお寺の中。
どうしてか大分はなれたお寺の中に迷いこんだのでした。
お坊様が通報してくださったのでした。
到着すると「拾得物、持ち主が到着しました」との無線通話をしながら警官に案内され、お寺のものを特に破損などはしておらず、怪我もなく無事連れて帰りました。
しかし、翌日は、大きなお寺でしたから、山羊が「足跡」を付けた玉砂利を慣らしに、お寺のお掃除へ行きました。
せっせせっせとならしていると、「ありがとうございます」と、お供えを下さるお参りの方々。いやあ、違うんですと断るのがてれくさかったです。
・・・遺失物の愛しい山羊がくれたどうぶつ物語でした。
拾得物と呼ばれてしまうと山羊さんも立場がありませんが、動物がいなくなってしまうというのは、法律上は落とし物をしたのと同じってことなんでしょうか。でもそういう名目でお巡りさんまで動いてくれるのは心強いですね。無事山羊さんが戻って本当によかったです。
それにしても、牛に引かれて善光寺参りというのはありますが、山羊のおかげでお寺さんの玉砂利ならしとは。山羊が荒らしてしまったのを復旧する分はプラスマイナスゼロかもしれませんが、それを見て「立派な人がいるなぁ」「お寺に奉仕してありがたいことだなぁ」と感化した分は、すばらしい善徳になったと思います。そこから新たに奉仕を申し出る人などが登場したら、その分の善徳は、山羊さんとkoukameさんの功績としてカウントされそうですね。ご先祖様はさぞお喜びだったのではないでしょうか。いいお話です。
もう30年以上も前のことだから、ミーコのことはほとんど覚えていないのです。ただ、ミーコが来た日といなくなった日のことを除いては。
ミーコはぼくの友達のうちに生まれた子猫でした。学校でもらってくれる人を探していた友達から半ば押し付けられるようにして、親の反対を何とか押し切って、うちで飼うことになったのです。友達のうちに子猫のお礼としてカツオ節を持って行ったのを覚えています。そうするのが作法ということでした。
もらわれてきた夜、細い声で、きっとお母さん猫を恋しがっていたのでしょう、朝方まで鳴いていたんでした。
当時はペットフードなどは一般的ではなく、おかかごはんがミーコの主食でした。隣りのおばあちゃんが外でカメで飼っていた金魚を狙ったりもしていました。
ミーコは半年と少しという短命の猫でした。
ある冬の朝、コタツの中で冷たくなっていました。
予兆はまるでなく、家族の誰もがミーコが病んでいるだなんて思いもしませんでした。
ぼくの父親が、祖父が亡くなったときは人目を気にしてもいたのでしょうが、涙を見せなかったのに、ミーコの死の朝、ポロポロと泣いていたのが子供心に不思議でよく覚えています。
あまりにミーコの死が悲しかったので、それから実家では生き物を飼わないようになりました。
今は亡き初めての猫が気に入ってつめを研いでいた柱、爪で削れてささくれている後が今もそのままです(^^;
カンナで削れば綺麗になるんだと思いますがついそのままにしてしまっています。
その柱を見ると研いでいた姿を思い出します。
「爪研ぎ」を買って与えてみたことはありますが、やっぱり、ふすまや障子、土壁など他の場所も引っ掻きますねえ……
そこでもう、うちでは、「猫は好きなだけバリバリやってよい」というルールを認めることにしました。
ふすまなんかは、もうバリバリやり放題にするために、段ボールを張っています。段ボールにはカッターで切れ目を入れて引っ掻きやすいようにしています。
http://hmk.iijiman.com/photo2006/20061202/index.html
こんなに大きな「爪研ぎスペース」を作っても、やっぱり他の場所でもバリバリやります。
外に出ると、大家さんの生き甲斐である、野菜を育てている「トロ箱プランター」をバリバリ。
http://hmk.iijiman.com/photo2006/20060524/index_5.html
tibitoraさんの「柱を見ると研いでいた姿を思い出します」というのは、ちょっとホロっときました。
別に珍しいことでもないのかもしれませんが、家の中で放し飼いにしているんですけど、どこにいるのかすぐに分からなくなるんですよね。でも、気づくと家の奥の方の、たとえば帽子のなかなんかに隠れていて、そこにひまわりの種を宝物のように隠していたりするんです。なんだかそれがとっても可愛くって好きでしたね?
私の友人にも部屋の中でハムスターを放し飼いにしていますがソファーに座るときは細心の注意を払って座ります。
そうでないとクッションの下にいたりして潰しそうです。
友人は慣れていてあまり気にしていませんがやっぱり気になりますよね。
見ている分には楽しくていいのですが。
こういうときだけ、なぜか家族がまとまりを見せたりします。ただ、あんまり逃がしてばかりいると、家族内での地位が低下します。
おととしの今頃、暑い盛りに逃げ出したんです。家内と2人であちこち探しました。声を出して猫の名前を呼ぶのは恥ずかしいんですけど(微妙なネーミングにしたため)、そうも言ってられません。
幸い、2日目だったかな、発見でき無事に保護。
あとで得た知識なんですが、猫は知らないところに迷い出てしまうと極度の緊張で動いたり、声を出したりすることが難しくなるケースがあるそうです。
うちの猫もぼくらの声は聞こえていても反応できなかったんだろうなあ、とかわいそうになりましたよ。
ともするとうるさいだけに聞こえてしまうかもしれないけど、昔飼っていた鈴虫のあの音色はなかなかきれいなものでした。風鈴とまでは言えないけれど、涼しげな音で鳴く鈴虫はなかなか良かったなあ。
住んでいた社宅の草むらに、沢山の野生のエンマコオロギが棲みついていました。
その何匹かを捕まえてきて、しばらく虫かごで飼っていました。
見た目は「高さの増したゴキブリ」みたいですが、とても良い声で鳴いてくれました。
夜になると、コロコロリー、コロコロリー、と、とても綺麗な声で鳴くのです。
餌は、胡瓜と、ナスと、かつおぶし。
しばらく飼ったら、元の草むらに帰してあげていました。
懐かしいなあ。
そういえば、鈴虫は棲んでいませんでした。鈴虫はお金を出して買わなければならない「高嶺の花」でした。
私が生まれたときから物心つくまで、自分の周りにはずっとネコがいました。だからでしょうか、ネコが大好きです。ネコを見ていると自由気ままで、人間に媚びなくて、好き勝手で、気まぐれで、気が向いたら人の膝の上に来て眠りについたり、突然散歩に出てしばらく帰ってこなかったり、泥だらけで怪我して帰ってきたり、残念ながら今は回りにネコがいないのですが、野良猫に声をかけたり、ペットショップで眺めたりしています。
何かネコが羨ましく感じているのかもしれませんね。
私は生まれたときからずっと犬がいました^^
猫はその後からもらわれてきました、犬も猫もどっちもそれぞれとても大好きです(^^*
にゃんさんはわが道を行って自由ですよね(笑)
でも落ち込んでいるときにそばにいてくれたり、嬉しいです。
小さい頃、ネコのミーコを飼っていました。
ちいさな野良猫だったのを慣らして飼いはじめたのです。
ただ家が飲食店だったので、あんまりいい顔はされていませんでした。
そんなときに、学校の先生がミーコを貰ってくれるという話になりました。
すごく悩んだけどあげることにして、先生にミーコを渡しました。
よく日、その先生が私にミーコは慣れてないからすぐ逃げてしまったと言いました。
すごく後悔しました。
うちに帰ってこないかなと思ったけど、そんなうまい話もありませんでした。
中学校のころ、散歩に連れて行ってひもが外れて逃げ出した犬が走って行って帰ってこなかった。
どこに行っちゃったかわからず、家族でくらーくなって、あきらめていたのですが、ある夜どうも犬がクンクン鳴く声がするのでもしやと思って出てみたら、うちの犬がなんかきまり悪そうな顔して座っていました。
あまり痩せてはいなかったのでどこかで捕まって飼われていたのかもしれません。
あの時の犬のうれしそうというかほっとした!みたいな顔は今でも覚えています。
3ヶ月以上も行方不明だったわんさん、Kumappusさんもご家族の方も心配だったこと度と思います。
わんさん、あまりやせても無くて無事に帰ってきてほんとによかったですね^^
飼われていたのか、食べ物をくれる人がいたのか・・・やさしい人たちにも感謝ですね(^^)